矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

梅沢富美男さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断  (第188回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第188回目の今日は梅沢富美男さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとUMEZAWA  TOMIO となり、

苗字の最後の文字「わ」と、下の名前の最初の文字「と」、

フルネームの最初の文字「う」と、最後の文字「お」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

しかし全体を見るとA、I、U、E、O、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。

 

ロイヤルネームは芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。 

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本名は池田富美男(いけだとみお)という名前で、

ローマ字で書くとIKEDA TOMIO となり、「ウ」の母音がないのでこちらはただの “ノーペアネーム”ですね。

 

昭和14年に旗揚げされた剣劇一座『梅沢劇団』の創設者にして、戦前・戦後まもなくの大衆演劇界のスターだった父・梅沢清(うめざわきよし)と、娘歌舞伎出身の母との間に生まれた梅沢富美男さんは、1歳7ヶ月で初舞台を踏みました。

中学生になった頃に兄の梅沢武生(うめざわたけお)さんが座長を引き継ぎ、富美男さんはそれまでの男形から女形に転身します。

するとその美しさが評判となり、「下町の玉三郎」と呼ばれるスターとなりました。

しかも単なる“下町のスター”ではなく、テレビの取材も度々来て取り上げられたので全国的にも有名になったのです。

大衆演劇というのは基本の出演料(ギャラ)だけでなく、お客さんからの気持ちで“おひねり”と呼ばれる報酬を貰えるので、花形役者は儲かるんですね。それで全国を回る訳ですから年収は相当な額になっていた筈です。

 

◉「夢芝居」のヒット

 

『梅沢劇団』(武生さんが座長だった時期は『梅沢武生劇団』)は歌舞伎演目のパロディー芝居、ミュージカル仕立てのショー、そして歌謡ショーの3部構成で行われていました。その歌謡ショーで唄う為に作られた「夢芝居」が大ヒットして、1回限りの「紅白歌合戦」出場も果たしています。

元々唄いたくなかった梅沢富美男さんは、「シクラメンのかほり」や「愛燦燦」など自分の好きな歌を手掛けた小椋佳(おぐらけい)さんが作ってくれるなら、と断られる前提で提案したところ、たまたまレコード会社のディレクターが小椋佳さんの銀行員時代の後輩だった事から話が進み、唄う羽目になったそうです。

そんな嫌々始めた様な歌手活動でもヒットするんですからロイヤルネームの「何をやっても上手くいく」特性、侮れません。

 

2006年から始まった「情報ライブ ミヤネ屋」にコメンテーターとしての出演依頼が来ました。これも最初は「自分は中学校しか出ていないので教養もないから」と断っていましたが、義理の母やお手伝いさんなどの同居人が政治のニュースに愚痴や不満をぶちまけているのを聞いて、「これだったら自分にも出来るかも知れない」と思ってオファーを受けたのです。

だから「いつ降ろされても構わない」というスタンスで言いたい放題、正に恐いもの無しで不躾な発言を連発しました。しかしそれが視聴者目線で「言いたい事を言ってくれる」と好評になり、コメンテーターとしても成功したのです。

これまた嫌々と言うか破れかぶれで始めた仕事なのに上手くいってしまう。ロイヤルネームの恐ろしさです。

 

以降はバラエティーにも出演する機会が増え、ハラスメントや炎上を恐れて自由な発言が出来ない他のタレントを尻目に、「コンプライアンスなんて知らねぇよ」と言わんばかりに歯に衣着せぬ発言で一喝する“すぐに怒るおじさん”として有名になりました。

 

もうそこには華麗な女形役者の面影も、「夢芝居」の歌声の魅力もありません。

今の時代、怒れる人が少ないので“怒ってくれる人”が求められているのです。

これからも梅沢富美男さんにはどんどん怒ってもらいたいですね。

ちなみに女形役者に扮している時の写真を“女装”と言われるとすぐに怒ります。

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

芦屋雁之助さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断  (第187回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第187回目の今日は芦屋雁之助さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとASHIYA  GANNOSUKE となり、

苗字(姓)の最後と下の名前(名)の最初の文字の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

“なめらかネーム”は男女を問わず俳優業に強く、当たり役やヒット作に恵まれやすいという特性があります。

 

また、全体を見るとA、I、U、E、O、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。

ロイヤルネームは芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

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本名は西部 清(にしべ きよし)という名前で、

ローマ字で書くとNISHIBE KIYOSHI となり、苗字(姓)の最初と下の名前(名)の最後の文字の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

 

本名がリターンネームで、芸名がなめらかネームのロイヤルネームという、今まで私が見てきた芸能人の中でも最高レベルの良いお名前です。

 

昭和24年、芸事が好きだった父の影響で漫才師に弟子入りし、弟と2人で 芦屋雁之助・小雁として漫才を始めました。

若手漫才の有望株と呼ばれ4年間ほど活動した後、演劇評論家の勧めで喜劇役者に転向します。

昭和34年には大村崑(おおむらこん)さんらと『劇団・笑いの王国』に参加し、公開コメディー番組「番頭はんと丁稚どん」で薬屋の番頭を演じて人気を集めました。

ひょうきん族」世代の方はご記憶の方も多いでしょう。太平(たいへい)シローさんが芦屋雁之助さんのモノマネで「いや!えらいとこ見つかってしもたやないの!」と言っていたのは、この番組で流行っていたギャグだったのです。

 

◉“裸の大将”のきっかけ

 

やがて『笑いの王国』からは弟の芦屋小雁(あしやこがん)さんらと共に独立し、『喜劇座』という新しい劇団を旗揚げします。その座付き作家だった藤本義一(ふじもとぎいち)さんから“画家の山下清に風貌が似ている”と指摘され、それをヒントに生まれた舞台劇「裸の大将放浪記」が公演されて評判を呼びました。

 

その後劇団が解散するとテレビに舞台を移し、時代劇「必殺からくり人」にレギュラー出演するなど、俳優の道を進んでいきます。

そして昭和55年(1980年)、漫才ブームに乗って誕生した演芸番組「花王名人劇場」の特別ドラマ「裸の大将放浪記」で再び山下清役を演じ、これが評判となって不定期ながらも17年にも渡る人気シリーズとなりました。

芦屋雁之助さんにとって山下清(やましたきよし)さんに風貌が似ていた事が当たり役となった要因ですが、本名の下の名前が同じ“清”というのも運命的なものを感じます。

 

また、にわかに始めた様な歌手活動においても、娘を嫁に出す父親の心情を綴った「娘よ」が大ヒットして、1回限りの「紅白歌合戦」出場まで果たしました。

 

実はロイヤルネームの歌手は結婚をテーマにした歌がヒットするというジンクスがありまして、

安室奈美恵(あむろなみえ)さんの「CAN YOU CELEBRATE?」や

山口百恵(やまぐちももえ)さんの「秋桜(コスモス)」、

チェリッシュ松井悦子(まついえつこ)(現:松崎)さんの「てんとう虫のサンバ」、

山根康広(やまねやすひろ)さんの「Get Along Together」などが

結婚式の定番となり、いずれも代表曲となっているのです。

 

芦屋雁之助さんに至っては初めて出したレコードが結婚にまつわる歌だったわけですから、これも名前のもたらす運命的なものを感じずにはいられません。

 

94年頃からは持病の糖尿病が悪化してテレビや舞台出演を控える様になり、2004年鬱血性心不全の為、72歳で亡くなられました。

少し短い生涯だったと言えるかも知れませんが、喜劇役者として俳優として、そして歌手としても成功を収めたのですから幸せだったのではないでしょうか。

「裸の大将」シリーズはドランクドラゴン塚地武雅(つかじむが)さんの主演で復活しましたが、2010年以降は新作が製作されていません。

やはり芦屋雁之助さんの山下清役はなかなか超えられない当たり役、いやハマり役ですからね。

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

德永英明さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断  (第186回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第186回目の今日は德永英明さんです。

 

「名前の法則」的見地とは、画数ではなく母音で名前を診断する方法ですので、

分かりやすくする為にローマ字にしてみましょう。

 

ローマ字で書くとTOKUNAGA  HIDEAKI となります。

 

苗字の最後の文字「が」と、下の名前の最初の文字「ひ」、

フルネームの最初の文字「と」と、最後の文字「き」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

しかし全体を見ると、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。

ロイヤルネームは芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。 

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中学3年生の時にラジオで聴いた井上陽水さんの 「氷の世界」に衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになった德永英明さんは、19歳の時に大阪で通っていた専門学校を中退して上京し、ミュージシャンを目指し始めました。

父親からは「25歳までにデビュー出来なかったら普通の社会人として働け」と言われていたそうです。

21歳の頃には「スター誕生!」の決勝大会に出場するもスカウトの手は上がらず、24歳でミニFM局主催のミュージカルのオーデイションに参加、主演に選ばれてようやくきっかけを掴み、父親との約束ギリギリの24歳10ヶ月でアルバムとシングルの同時デビューを果たします。

そのデビューシングルが「Rainy Blue」でした。当初は無名の新人が唄う曲という事であまり注目されませんでしたが、彼の活躍と共に後々評価されて多くのアーティストにカヴァーされています。

デビュー2年目、4枚目のシングル「輝きながら・・・」がCMソングに起用されてヒットし、「ザ・ベストテン」などの歌番組にも出演して一気に知名度が上がっていきました。

続く「風のエオリア」もCMソングとしてヒット、武道館でのコンサートも成功させるなど、一流アーティストの仲間入りを果たしました。

1990年には個人事務所を設立し、その第一弾となった「夢を信じて」がアニメ「ドラゴンクエスト」の主題歌に、続く「壊れかけのRadio」がドラマ「都会の森」の主題歌に起用されてどちらも大ヒットとなります。

何もかも順風満帆かに見えましたが、その頃にはヒット曲を生み出すプレッシャーに苛まれる様になっていました。

 

◉病気との闘いと再起

 

そんなプレッシャーの影響からか、93年には声帯ポリープの手術でツアーを延期するという事態が起きてしまい、以降テレビ出演も控えるようになります。

90年代後半からは小室サウンドブームに押されてCDの売り上げも伸び悩み、それまで味わった事のない低迷期を迎えました。

そして2001年にはもやもや病(脳血管障害の一種)を発症して、しばらくの活動休止を余儀なくされました。

およそ1年半掛けて何とか克服したもののそのブランクは大きく、もはや“過去の人”になりかけていたのです。

 

しかし、この方には小室哲哉(こむろてつや)さんがあのブームの最中、「日本の男性歌手で1番良い声の持ち主」と羨む程の美声が残されていたのです。

2005年に女性ボーカリストのカヴァーを集めたアルバム「VOCALIST」を発表するとこれが大ヒットして再評価が高まり、翌年には「VOCALIST2」を発売すると共に「紅白歌合戦」にも初出場を果たしました。その後も「VOCALIST」シリーズは第6弾まで及び、「紅白」にも10年連続で出場するなど、歌手としての命を吹き返したのです。

 

さすが何をやっても上手くいくロイヤルネーム、シンガーソングライターとして作詞・作曲した「壊れかけのRadio」、歌手として楽曲提供してもらった「輝きながら・・・」、そしてカヴァーアルバム「VOCALIST」と、何をやってもヒットするんですねぇ。

 

ただ2016年には急性咽頭喉頭炎の為にツアーの一部を延期、18年には軽度の脳梗塞を発症して入院するなど、病気との闘いは続いている様です。

こればっかりはロイヤルネームの力でも避けられないのでしょう。

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

AKB48「神7」の共通点は?(“まゆゆ”は何故引退したのか?)

「名前の法則」の世界へようこそ。

ここでは有名人の名前が持つ「音」に注目し、その共通点を見つけていきたいと思います。

 

早速ですがクイズです。

前田敦子高橋みなみ篠田麻里子小嶋陽菜板野友美

この5人の名前の共通点は何でしょう?

 

今回は元AKB48「神7」編です。

 

『おおっ!今日はいっぺんに5人か!?やるなぁ!』

「3人に絞るのが難しかったんで、一気に5人並べちゃいましたよ。」

 

ヒント1:それぞれのお名前をローマ字にしてみましょう。

 

前田敦子 =MAEDA ATSUKO

高橋みなみ=TAKAHASHI MINAMI

篠田麻里子=SHINODA MARIKO

小嶋陽菜 =KOJIMA HARUNA

板野友美 =ITANO TOMOMI

 

ヒント2:ローマ字の切れ目(苗字と下の名前の間)に注目してください。

 

『おっ!シンキングタイムか?じゃあ「恋するフォーチュン・クッキー入れてくれ。』

「カラオケみたいに言わないでください。」

『🎵保持する、標準数値〜、血圧、そんな高くないよ〜、ねぇ先生〜、』

「ねぇ先生〜、は“ヘヘイヘ〜イ”の部分です。」

『🎵医者を〜呼ぶのは、ハ〜ダカを見せる事〜、』

「そうとは限らないでしょ!」

 

えー最初から5人も該当者の名前が挙がっていればもう簡単ですよね。

 

では正解を発表しましょう。

 

正解は苗字(姓)の最後の文字と、下の名前(名)の最初の文字が同じ母音になっているという点です。

 

その為本来は一瞬途切れがちな、性と名の繋がりの部分で同じ母音が続くので、フルネームで呼ぶ時に「言いやすい」のです。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では“なめらかネーム”と呼びます。

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AKB48の初期メンバーで最初に「神7」と呼ばれた7人の内、実に5人もの方がなめらかネームだったのです。

 

前田敦子さんは下の名前の最初が“あ”ですので、苗字の“まえだ”を伸ばすとそのまま続けて言えるので特に言いやすく、これはもうなめらかネームの中でも特上のなめらかさです。

AKB在籍中はほとんどの曲でセンターに立ち、1番の人気を誇っていたのも納得ですね。

 

板野友美さんはフルネームの最初と最後の文字も同じ母音になっています。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

このなめらかネームとリターンネームの両方に該当する名前を、トランプの役にかけて“ツーペアネーム”と呼びます。

 

前田敦子さんはなめらかネームの女優運を活かして映画やドラマに出演していますし、篠田麻里子さん、小嶋陽菜さんは身体の発育が良くなる特性を活かしてモデルとしての活動を続けています。板野友美さんは小柄ながらモデルの仕事と、リターンネームの歌手運を活かして音楽活動も行っています。

『たかみなは?』

高橋みなみさんは結婚してまだ間がないんで、新婚生活を楽しみながらゆっくり仕事してるって感じですかねぇ。

他にも初期メンバーには大島麻衣(おおしままい)さんや宮澤佐江(みやざわさえ)さん、中西里菜(なかにしりな)さんなどがいて、とにかくなめらかネームが多かったんですよ。

『そんじゃAKB初期の曲から「会いたかった」いってみよう!』

「ノリが軽いなぁ。」

『🎵ハエたかった〜、ハエたかった〜、ハエたかった〜、Yes!・・・ハエたかった〜、ハエたかった〜、ハエたかった〜、Yes!、キム兄い〜、』

「怒られますよ、ボーッと生きてんじゃねぇよ!って。」

 

「神7」の内5人がなめらかネームだったという事は、残りの2人はどうだったのでしょうか?

大島優子(おおしまゆうこ)さんは、フルネームの最初と最後の母音が同じなので“リターンネーム”ですね。

AKB在籍中は前田敦子さんとセンターの座を争う程の人気でしたし、卒業後は女優として活躍していました。名前に“ゆう”または“ゆ”が入っている方は女優業で成功する可能性が高いのです。 

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フライングゲット

『🎵フライ入り弁当〜、僕は一足先に〜、10分待ち、今すぐ手に入れようか〜!』

「駄目ですよ!ちゃんと順番守ってください。」

 

ただリターンネームの性質上海外への憧れも強くなったのか、2017年の後半から1年余りの間、アメリカで語学留学をしていました。 

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芸能界で1年以上もブランクが空くと人気の回復が難しい事も分かっていたでしょうが、それでも抑えきれない程の強い要望だったのでしょう。それもある意味名前の特性通りと言えます。

Everyday、カチューシャ

『🎵エビ、エビ、エビ天!(フゥ〜!)エビ、エビ天!杜仲茶、があ〜る!』

「エビ天と杜仲茶があってテンション上がってるみたいです。ほっといて先に進めましょう。」

 

さて、残る1人は・・・

まゆゆ”こと、渡辺麻友(わたなべまゆ)さんです!

ローマ字で書くとWATANABE  MAYUとなり、

苗字の最後の文字「べ」と、下の名前の最初の文字「ま」

フルネームの最初の文字「わ」と、最後の文字「ゆ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

最初の「神7」の中でこの方だけがなめらかネームでもリターンネームでもない“ノーペアネーム”だったんですね。

 

ノーペアネームは芸能活動が安定しない名前だと、私はこのブログで何度も申し上げてきましたが、それが的中したと言うか、まさか引退までしてしまうとは!

『総選挙で1位取って、センターに立った事もあったのになぁ。

 「あぶら摂ると太りまーす」だったっけ?』

ラブラドール・レトリバーです!今大事な所なんで、ボケないでもらえますか?」

 

そうそう、総選挙で1位になる程の人気者だったのに、AKBを卒業してから約2年半、まだ26歳の若さで引退してしまったんですよ!

これはさすがに私も驚きました!

 

『とか言いながら、名前の法則通りだって内心喜んでんじゃないのか?』

「へへー、本当はね、そら見ろって感じですね。・・・いやそんな事ないですよ!引退しないで欲しいって思ってます・・・。」

 

という訳で、AKB48で1番最初に「神7」と呼ばれた7人の中で、唯一ノーペアネームだった渡辺麻友さんが突如引退してしまったのですが、名前を見ると分からなくもないと言うか、健康上の理由というのも納得がいく、という事です。

 

指原莉乃(さしはらりの)もノーペアネームだぞ。』

「AKB時代は色々あって博多に飛ばされたり、安定はしてなかったでしょう?それに・・・。」

『それに?』

「“さしはら”って呼ばれる事でリターンネームになるんです、だから人気があるんですよ。」

『なんかずるくねぇか?』

 

えーこの様に画数ではなく母音に着目して有名人の名前をタイプ分けすると、同じ共通点を持つ方がこれだけ見つかるのです。すなわち人の名前が持つ「音」にはそれだけの力が秘められているのではないか?というのがこの「名前の法則」の世界の研究テーマなのです。

もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

『そんな事より、峯岸(みねぎし)みなみはいつまで居るんだ?』

“フォーカードネーム”なのでしぶといですね。コロナが収束すれば卒業しますよ、多分・・・。」

 

ではまた次回をお楽しみにー。

 

漫才コンビ名(列記型)の共通点は?

「名前の法則」の世界へようこそ。

ここでは有名人の名前が持つ「音」に注目し、その共通点を見つけていきたいと思います。

 

早速ですがクイズです。

やすきよのりおよしおハイヒール

この3組の名前の共通点は何でしょう?

 

今回は漫才コンビ編です。

 

『🎵あなたが〜好きだから、それでいいのよ〜、っとくらぁ!』

テレサ・テンさんの「愛人」ですか。なんだか上機嫌ですね?」

『いやなに、俺先週大活躍だったからギャラが弾んじゃってさ〜、昨日は久しぶりに飲んじゃったよ〜。』

「へぇ〜、本当にギャラ出たんですか。」

『🎵アタシは〜、真澄のオンナでいいの〜、てか?』

「“待つ身の女”です!桑田さんの愛人限定の歌になってるじゃないですか!」

『バカやろー、真澄っつったら岡田真澄(おかだますみ)だろうが!』

「どっちでもいいです!て言うか、岡田真澄さんもう亡くなってるでしょ?そんな事よりヒントいきますよ!」

 

ヒント1:もう一度コンビの名前を整理してみましょう。

 

やすきよ  =やすし・きよし

のりおよしお=のりお・よしお

ハイヒール =リンゴ・モモコ

 

『なんか関西色つえ〜なぁ。』

「まぁたまにはこんな回があってもいいでしょう。」

 

ヒント2:コンビ名やグループ名の場合は両端の文字に注目してくださいってなるんですけど、今回両端は関係ないんですねぇ。まぁ気楽に考えて下さい。

 

『おっ!シンキングタイムか?じゃあ1曲唄うか!』

「すでに1曲唄ってるでしょ。」

『🎵いつもそばにネエちゃん〜、女が好き〜、』

「ん?何の歌だこれ?」

『🎵好きな女の〜胸揉みながらも〜、違う女の〜胸も見たい〜、』

ジュディ・オングさんの「魅せられて」じゃないですか!」

『🎵ハ〜ア〜、ウ〜ン〜、』

「ハ〜ア〜、ウ〜ン〜、じゃないですよ!お名前診断で名曲だって紹介したばっかりなのに、こんな下品な替え歌にされたら台無しじゃないですか!」

『🎵もう動悸が止まらない!』

「それも今週紹介した山本リンダさんの「どうにも止まらない」でしょ!?」

『1週間掛けてのフリ、ありがとな。』

「あなたの替え歌のフリの為に、お名前診断やってるんじゃありません!」

 

もう!シンキングタイム終わりですよ!・・・え?まだ分からない?

 

ヒント3:じゃあこれが最後のヒントですよ。「・」の前後の文字を見て下さい。

 

 

もうお分かりですよね。では正解を発表しましょう。

 

正解は、2人の名前の繋がりの部分が同じ母音になっている点です。

やすし・きよしは“し”と“き”の母音がどちらも「イ」、

のりお・よしおは“お”と“よ”の母音がどちらも「オ」、

リンゴ・モモコは“ゴ”と“モ”の母音がどちらも「オ」、

となっています。

 

同じ母音が続くので2人の名前を続けて言う時に言いやすいのです。

つまりコンビ名なのに“なめらかネーム”になる、という事でした。

 

こういった2人の名前を続けて言うコンビ名は、漫才界では古くから使われていて(当ブログでは“列記型”と呼んでいます。)最近でこそ少なくなりましたが

海原(うなばら)やすよ・ともこなど、何組かは現在も残っています。

あと、おひと方が亡くなられた為に解散となりましたが、

横山たかし・ひろし海原さおり・しおりもこのタイプでしたね。

『あ〜〜、すまんの〜。』

「おや?ひょっとして・・・?」

『大金持ちのお坊っちゃまじゃ。みんな、笑えよ〜。』

「また亡くなった人の魂が入ったのかな?まぁいいや、続けよう。」

 

2人の名前のどちらが先になるか、クイズで紹介した3組の様に年功序列の場合もあるんですが、言いやすさというのもあると思うんですよね。

たかし・ひろしはひろしさんのほうが年上でしたし、

さおり・しおりもしおりさんのほうが年上でした。

やすよ・ともこに至ってはともこさんがお姉さんですからね。

『別に逆でも言いやすいんじゃないか?』

「ともこ・やすよより、やすよ・ともこのほうが言いやすいでしょ。」

『そうじゃな、すまんのう。』

「どっちのキャラで行くかだけ決めてもらっていいですか?」

 

あと、「横山」や「海原」といった“屋号”の最後の母音が「ア」なので、たかしさんややすよさんの名前が先にくる事で横山たかし海原やすよ“なめらかネーム”になります。

だから年齢よりも言いやすさが優先されて順番が決められたんじゃないかと思うんです。

先に名前がくる方がなめらかネームになり、2人の名前を続けて言う時もなめらかに言える。一石二鳥ですね。

やすし・きよしは屋号が違いましたが、正式には横山やすし・西川きよしと、やすしさんの“し”と西川きよしさんの“に”の母音が同じ「イ」になるので続けて言いやすかったんです。

 

この様に漫才コンビの名前はただ何となく並べられたのではなく、言いやすさによって順番が決められていたんですね。

 

他にはいとし・こいし(夢路いとし・喜味こいし)や中田カウス・ボタンの様に2人の名前を続けて言うと、最初と最後の母音が同じ“リターンネーム”になる名前もあります。

 

オール阪神・巨人はどっちにもあてはまらないだろ!』

「あのお二人は仲が良くないですから・・・。」

紳助・竜介は?』

「早くからコンビ格差がありましたし・・・。」

『サブロー・シローは?』

「あの二人も仲は良くなかったんで・・・もうこんな話はやめましょう!今日はもう終わったんで、今から飲みにいきましょうか?有作さんのおごりで。」

『あ〜〜!ワシにそんな金があると思うか?』

「えっ?でもギャラが入ったって言ってましたよね?」

『そんなん嘘に決まっとるやろ〜、ギャラなんか出るかいな〜。』

「でも、昨日久しぶりに飲んだって・・・。」

『飲んだのは酒やのうて水じゃあ。』

「水であんな酔った振りしてたんですか?」

『酔うた振りでもせなやってられるかいな〜。』

「なぁんだ、ギャラ入ったんじゃないのか。・・・あ、でも10万円の給付金入ったでしょ?」

『そんなに言うなら1軒だけやぞ横山。』

「私横山じゃないですけどね。」

 

えーこの様に画数ではなく母音に着目して有名人の名前をタイプ分けすると、同じ共通点を持つ方がこれだけ見つかるのです。すなわち人の名前が持つ「音」にはそれだけの力が秘められているのではないか?というのがこの「名前の法則」の世界の研究テーマなのです。

もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

『なに!?10時で終わり?つらいのォ〜。』

「第二波の影響!」

 

ではまた次回をお楽しみにー。 

 

テレサ・テンさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断  (第185回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第185回目の今日はテレサ・テンさんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとTERESA TENとなり(英語表記ではTERESA TENG)、最初と最後の文字の母音が同じ「エ」である事がよくわかります。

(最後が「ン」で終わる名前の場合、一つ前の文字で判断します。)

 

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

 

テレサ”は彼女が尊敬するマザー・テレサにちなんで自ら名付けたという説もありますが、カトリック信徒だった故の洗礼名という説が有力な様です。

 

本名は鄧 麗筠(デン・リーユン)といいます。筠という字が“ジュン”と間違えて発音される事が多かった為、中華圏では鄧 麗君(デン・リージュン)という芸名を使っていました。

 

ここでは日本での芸名テレサ・テンとして診断していきます。

 

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。 

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この記事でも説明している通り「ヒット曲に恵まれる」運が強く、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

10歳の時、台湾の歌唱コンテストで優勝すると天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューします。16歳で主演映画が製作されて女優デビューも果たすとタイやシンガポール、マレーシアなどでも人気に火がつき、18歳の時には香港でも歌手デビューするなど、アジアのトップスターとなっていったのです。

その人気に目を付けた日本のレコード会社が契約に漕ぎつけ、1974年に日本でも歌手活動を始めました。1曲目こそ不発に終わりましたが2曲目の「空港」がヒットして「日本レコード大賞」の新人賞を受賞するなど、日本でもスターの仲間入りを果たします。

 

しかし79年に、台湾ではなくインドネシアのパスポートで来日しようとした事が旅券法違反とされ(当時日中国交正常化の影響で日本は中華民国と国交断絶していた為、台湾のパスポートでは入国手続きが困難だった)、国外退去処分を受けた為に日本での活動が出来なくなってしまいます。

 

◉日本へのリターン

 

処分から1年後、台湾・香港で活動を再開したテレサ・テンさんは中国本土でも人気を集め、コピーしたカセットテープ(海賊版)が出回る程でした。

そして83年、日本のファンの強い要望もあって再来日が許可され「ふたたびの」小林幸子さんのカヴァー)を挨拶がわりに日本再デビューを果たします。

84年には「つぐない」が有線放送で圧倒的な支持を受けて「日本有線放送大賞」を受賞、続く「愛人」時の流れに身をまかせもヒットして、3年連続で受賞するという快挙を成し遂げました。「つぐない」「愛人」は150万枚、「時の流れに身をまかせ」は200万枚を越える大ヒットで、いずれもテレサ・テンさんを語るにおいて欠かせない代表曲となったのです。

その後も「別れの予感」などのヒットで日本での人気を不動のものにしましたが、86年に中国で彼女の歌が事実上解禁となった事もあり、再び香港に移住します。

 

◉平和への願いと謎の死

 

彼女には両親の生まれた中国本土でコンサートを開くという夢がありました。

89年には香港で行われた中国の民主化支援コンサートに参加して、唄う事で平和への願いを届けましたが、その活動むなしく中国で天安門事件が起きてしまいます。

90年に予定されていた中国本土でのコンサートは中止となり、中国共産党政府に失望した彼女は、イギリスから中国に返還される事が決定していた香港を離れ、フランスのパリへと移住しました。

それ以降は日本を訪れる事も稀になり、持病の喘息も悪化していったのです。

 

そんな各地を転々とする活動をしていた為か、アジアの各国では死亡説が流れていました。

母国台湾へ他国の軍事事情を知らせる為のスパイとして働いていたとされる暗殺説から、エイズによる病死説など様々な憶測が飛び交いましたが、どれも真実とは異なるものでした。

本当のところは、空気の良い場所で静養する為に訪れていたタイのホテルでの、気管支喘息の発作による急死でした。

 

42歳の若さでこの世を去ったテレサ・テンさんの死はアジア中に衝撃を与え、多くのファンが悲しみに暮れました。台北市では国葬並みの葬儀が行われ、各国から3万人以上の参列者が詰めかけたそうです。

 

墓は小さな公園の様に整備され、本名の一部を取って“筠園”と呼ばれています。墓前には銅像があり、彼女の歌が常に流されているそうです。

また、遺体は火葬されておらずエンバーミングを施されて土葬されました。没後50年は生前の姿であり続けるといいます。

偉大な“アジアの歌姫”テレサ・テンは、今も平和を願って唄い続けているのです。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

ジュディ・オングさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断  (第184回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第184回目の今日はジュディ・オングさんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとJUDY ONGU となり(英語名はJUDY ONGG)、最初と最後の文字の母音が同じ「ウ」である事がよくわかります。

 

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

 

台湾名は翁 倩玉(Ong chhiàⁿ-ge̍k)といい、

ジュディという名前は英語の家庭教師に付けられた英語名でした。

日本に帰化した当初は翁 玉恵(おきな たまえ)で、

現在の帰化名は翁 ジュディです。

過去には日本人の方と結婚していた事もありましたが現在は独身です。

いくつも名前がある方なのでややこしいですが、ここでは日本での芸名ジュディ・オングとして診断していきます。

 

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。

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この記事でも説明している通り「ヒット曲に恵まれる」運が強い方が多く、今週紹介している様にカタカナ表記の名前でも関係ないのです。

 

1952年、父の仕事の都合で2歳の時に台湾から来日したジュディ・オングさんは、9歳で劇団ひまわりに入団します。

その2年後から映画やドラマに出演し、16歳で歌手としてもデビューしました。

同時期にはアニメ映画「サイボーグ009」の003役で声優デビューも果たします。

その後も歌手業と女優業の両輪の活動を続け、日本だけでなく母国台湾でも映画やドラマに出演するなど大車輪の活躍を見せていました。

 

そして1979年、「魅せられて」という歌に出逢います。

副題には「エーゲ海のテーマ」とあり、この歌は日本とイタリアの合作映画「エーゲ海に捧ぐ」をイメージして作られました。

あの袖が扇状に広がる羽根の様なドレスは、当初映画の1シーンがスクリーンの様に映し出される予定でしたが、テレビでの初披露の際に映像が間に合わず、急遽バックからライトを当てる演出に変更となります。しかしそれが、イントロが流れた瞬間に浮かび上がる彼女のシルエットを際立たせるという思わぬ効果を生み、以降も続けられて強い印象を与えました。

そして「魅せられて」は200万枚を越える大ヒットとなり、「日本レコード大賞」まで受賞したのです。

なお、あのドレスのデザインは彼女自身によるもので、最初は袖の先を中指に引っ掛ける小振りなものでしたが、「紅白歌合戦」などの大舞台ではより大きく見せる為に棒で伸ばすなどの変化が加えられました。

あのドレスは「魅せられて」と共にジュディ・オングさんの代名詞となり、現在でも袖にヒラヒラの付いた衣装を着た人が「ジュディ・オングみたい」と言われる程になったのです。

小林幸子(こばやしさちこ)さんや天童(てんどう)よしみさんなど、他の歌手にも影響を与えたと言って間違いないでしょう。

そんな歌に出逢えた事と、衣装のデザインやハプニングなども含めて、これも“リターンネームのヒット曲運”と言えるかも知れません。

同曲がヒットしていた頃、アメリカのテレビドラマ「将軍 SHOGUN」の出演依頼も来ていたものの、忙しさのあまり断念した為にその代わりを島田陽子(しまだようこ)さんが務めたという逸話も残っている程です。

 

また、1980年には台湾の国民栄誉賞王貞治(おうさだはる)さんに次ぐ2人目として受賞し、85年に「おしん」が香港で放送された際には、香港版オリジナル主題歌を広東語で唄って、東南アジア全域で大ヒットしました。

母国の台湾語以外に日本語、英語、中国語、広東語、スペイン語と6言語を話せる才女でもあるのです。

日本で「必殺からくり人」など多くの時代劇で演技が出来ていたのも、それだけ語学に堪能だったからなのですね。

 

今年1月には70歳になり、芸歴60年の記念も兼ねてバースデー・ライブを行ったそうです。もちろん「魅せられて」もあの衣装で唄ったそうですよ。

70歳でも歌手としてライブが出来るのも、大ヒットした1曲があるからなのです。やはり歌手にとってヒット曲に恵まれる事は大きいですね。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。