矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

一青 窈さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第139回)※2021.5.3改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第139回目の今日は一青 窈さんです。

このお名前は本名で、“一青”という地名が石川県にあります。

 

ローマ字で書くとHITOTO YOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。 

blog.housoku.work

この記事でも紹介している様に“なめらかネーム”の女性歌手は、男性顔負けの男らしい歌や、恋愛なんてそっちのけのスケールの大きな歌を唄ったほうが成功する傾向があります。

 

台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフである一青 窈さんは、幼い頃に父を台湾に残して日本での生活を始めました。小学2年生の時に父親が癌で亡くなり、母親の苗字“一青”を名乗るようになります。

大学時代にアカペラサークルに所属し、そこで現ゴスペラーズ北山陽一(きたやまよういち)さんと出会って詩が面白いと評価されて以降、自分で作った詩で唄うようになりました。

その後福祉イベントで唄っているところをスカウトされ、2002年に「もらい泣き」でデビューしていきなりのヒットとなります。

初見では絶対に読めない「一青窈」という名前も(ひととよう)と認知されていきます。

この、同じ文字が続くタイプの名前を“連チャンネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

ただでさえ同じ文字が続くので呼びやすい、覚えてもらいやすいという特徴がある上に、一度読み方さえ分かればなかなか忘れられない印象の強い名前なので、たちまち浸透していきました。(斜体文字が加筆した部分です)

 

そしてテレビの歌番組で唄う事になったのですが、極度の緊張から「立って唄う事が出来ない」と床に座り込み、更に「このほうが楽だから」と裸足で唄いだしたのです。

これはもう「女性らしく見られたい」という感情を放棄した行為です。

昔、(あずさ)みちよさんが「二人でお酒を」という歌をステージに座り込んで唄っていましたが、この場合は歌のイメージに合わせた「演出」でした。ところが一青窈さんはデビュー早々、なりふり構わず裸足で座り込んだのです。

 

なめらかネームの女性歌手に共通して言える事ですが、

水前寺清子さんや加藤登紀子さん、和田アキ子さんの“超”ショートヘアに

天童よしみさんのわがままボディーなど、

優先順位が「女性らしく見られたい」よりも、「自分がこうしたい」とか「そのほうが楽」になっていると思うのです。

なめらかネームの女性歌手は、男らしい歌が合うだけでなく、内面的にも男らしくなってしまうのでしょうか?

 

◉カラオケの定番「ハナミズキ

 

同じ文字が続く“連チャンネーム”は“ワンモアネーム”でもあります。 

blog.housoku.work

デビュー曲がヒットするとそのイメージが強くなり過ぎて2曲目以降がヒットせず、得てして“一発屋”になりがちですが、“ワンモアネーム”の一青窈さんはそのジンクスを打ち破りました。

2004年に発表した5枚目のシングルハナミズキがロングヒットとなったのです。

こちらは2番の歌詞に「僕の我慢が」とあるように男性目線の歌です。冒頭の「空を押し上げて」という歌詞にもスケールの大きさが感じられますね。

作詞した本人曰く、2001年の9・11事件の時にニューヨークにいた友人の体験を元に書いたそうで、最初は「銃」や「テロ」などの言葉が含まれていたそうですが、なぜか最終的には幼い少女を想う優しい歌になりました。

特に「君と好きな人が百年続きますように」の一節でヤラれた人が多かったんじゃないでしょうか?

平成30年の間で最もカラオケで唄われた曲として、一青窈さんの代表曲になったのです。

何度も言うようですが、なめらかネームの女性歌手は男性目線の歌や、スケールの大きな歌を唄うと成功するんですよ。

 

そしてその世界観が求められ、2005年からは作詞家として他のアーティストに詞を提供するようになる傍ら、2014年に大ヒットしたドラマ「昼顔」の主題歌として、その昔金井克子(かないかつこ)さんが唄った「他人の関係」をカヴァーしました。

一応恋愛の歌なのですが、不倫がテーマのドラマ主題歌に起用される程、かなり屈折した恋愛模様が描かれています。

思えばデビュー曲の「もらい泣き」も、「夜光虫」や「ひきこもり」など特異なワードが盛り込まれた、決してストレートな恋愛の歌ではありません。

たまに恋愛の歌がヒットしたと思ったらこの屈折度合い、やはりなめらかネームの女性歌手は純粋な恋愛の歌が合わないと思われます。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

加藤登紀子さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第138回)※2021.5.2改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第138回目の今日は加藤登紀子さんです。

 

この加藤登紀子というお名前は本名でしたが、結婚して苗字が“藤本”に変わりました。

ご主人が他界された後も旧姓には戻していない為、現在の本名は藤本登紀子になります。

 

ローマ字で書くとKATO TOKIKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

(平仮名で書くと“かとう”となるので、苗字の最後の母音が「ウ」だと思われがちですが、「と」を伸ばしている音ですので、カタカナで書くと“カトー”となり、最後の母音は「オ」という事になります。)

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。 

blog.housoku.work

この記事でも紹介している様に“なめらかネーム”の女性歌手は、男性顔負けの男らしい歌や、恋愛なんてそっちのけのスケールの大きな歌を唄ったほうが成功する傾向があります。

 

1966年に歌手デビューした加藤登紀子さんは、自身で作詞・作曲した歌も唄うシンガーソングライター(当時はまだその言葉が浸透していなかった)でしたが、森繁久彌(もりしげひさや)さんの唄った知床旅情をカヴァーして大ヒットし、紅白歌合戦にも出場しました。

作詞・作曲も森繁久彌さんによるこの歌は、歌詞に「俺たち」とある様に男性目線の歌であり、「はるか国後(クナシリ)に白夜はあける」というスケールの大きさを感じさせる内容でした。

女性にしては低音だった為に“男唄”の印象がついたせいか、清酒大関」のCMソング(「酒は大関こころいき」)のオファーが来ます。

こちらも歌詞にも「男だて」や「男なら」という言葉が入る男性目線の歌でした。

やはりなめらかネームの女性歌手は男らしい歌やスケールの大きな歌が合うんですね。

 

◉CMソングにも強い?

 

この2、3日なめらかネームの女性歌手を紹介していて気付いた事ですが、

天童よしみさんの『VC3000のど飴』

水前寺清子さんの『C.C.レモン

加藤登紀子さんの『酒は大関こころいき』

和田アキ子さんの『永谷園の麻婆春雨』など、

印象的なCMソング(「CMに使われた」のではなく、社名や商品名が入る「CMの為に作られた」オリジナルソング)を唄われた方が多いですね。

ちなみに「🎵やっぱり〜俺は〜、菊正宗〜」という

『菊正宗』のCMソング、「初めての街で」を唄っていたのも

西田佐知子(にしださちこ)さんというなめらかネームの歌手でした。

これはもう新しい「法則」と認知していいでしょう。

新しい法則と言っても私が最近発見しただけで、これらのCMソングはみな何年も前からテレビで流れていたんですけどね。

 

◉“超”ショートヘア

 

加藤登紀子さんのトレードマークと言えば、1つはそのヘアスタイルでしょう。

デビュー当時はロングヘアだった髪がどんどん短くなり、一時期はサイドを刈り上げ、男性でもなかなか居ない“スポーツ刈り”とか“角刈り”のレベルまでいっていました。

内面よりも容姿が男らしいものになっていたのです。

ちょうど「百万本のバラ」がヒットしていた頃だったと思いますが、歌詞の内容と容姿のミスマッチに戸惑った人も多かったでしょう。

 

シンガーソングライターとしては中森明菜(なかもりあきな)さんが唄った「難破船」(厳密には楽曲提供ではなく中森明菜さんがカヴァーした)や、和田アキ子さんの「今あなたにうたいたい」(何年か前の紅白で和田アキ子さんがマイクなしで唄った)が有名です。

お名前をひらがなにすると(かきこ)と、「と」が2つ入る“ワンモアネーム”でもあるので、自分で唄っても良し、他の人が唄っても良しなんですね。

blog.housoku.work

また女優としても映画「居酒屋兆治」では高倉健(たかくらけん)さんの妻役を演じ、6年も前に発表していた「時代おくれの酒場」が主題歌に起用されリバイバルヒットとなりました。なめらかネームは女優運もある名前なのです。

 

謡曲からシャンソン、フォーク、ポップス、ロックと、実に様々なジャンルに取り組み、77歳になった今も現役で歌手活動を続けられています。

(とうとこ)と、「か」と「き」が入る“お・か・きネーム”でもあるので、自分に厳しい方なのです。(斜体文字が加筆した部分です) 

blog.housoku.work

実はどのジャンルの歌手として紹介しようか悩んだのですが、そんな定義づけすら無意味に思わせる、広い視野を持った方だと感じました。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

水前寺清子さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第137回)※2021.5.1改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第137回目の今日は水前寺清子さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとSUIZENJI KIYOKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

この記事でも紹介している様に“なめらかネーム”の女性歌手は、男性顔負けの男らしい歌や、恋愛なんてそっちのけのスケールの大きな歌を唄ったほうが成功する傾向があります。

 

本名は林田民子というお名前で、

ローマ字で書くとHAYASHIDA TAMIKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」なのでこちらもなめらかネームですね。

 

ショートヘアーと着流し姿がトレードマークの水前寺清子さんは、前回の東京オリンピックが開催された1964年、19歳の時に「涙を抱いた渡り鳥」でデビューしました。

タイトルから男性の歌かと思いきや、涙を隠して旅に出る女性の心情を描いた内容でした。

その後も「娘田原坂」「女黒田節」「女三四郎と、タイトルに「娘」や「女」という文字が入る、男勝りな生き方をしながらもどこかで女性としての幸せ(恋愛)に未練を残しているという内容の歌が続きます。

しかしデビューから2年後、初めて大きなヒットとなった「いっぽんどっこの唄」では、「ぼろは着てても心の錦〜(中略)〜どんとやれ男なら」と、歌詞の主人公が完全に男性に切り替わっていました。

それ以降「男でよいしょ」「人生男節」「男じゃないか」と、タイトルに「男」の文字が多くなり、明確に男性目線の「男意気」路線に変わって行ったのです。

更に三百六十五歩のマーチが100万枚を超える大ヒットとなります。こちらはタイトル通りの行進曲で、まさに恋愛なんてそっちのけの内容でした。

やはりなめらかネームの女性歌手の法則通り、男らしい歌や恋愛なんてそっちのけの歌で成功した方なのです。

 

◉動物のチーターではない?

 

水前寺清子さんには“チータ”という有名な愛称があります。

足が速かったから動物のチーターになぞらえてそう呼ばれるようになったのではないかと思われる方も多いでしょうが、実は本名から来たものです。

デビュー前から目を掛けていた作詞家の星野哲郎(ほしのてつろう)さんが、小柄だった林田民子さんを「小さなたみちゃん」と称し、それが略されて“チータ”になった事が正しい由来です。

だからチーターと呼ぶのは間違いで、正しくは“チータ”と最後は伸ばしません。

まぁ本人もチーターと呼ばれる事はまんざらでもなかった様で、チーターの柄が入った着物を着て唄った事もあったそうです。そりゃ誤解も招きますわねぇ。

 

◉女優運が開花?大ヒットドラマの主演

 

渡る世間は鬼ばかり」のプロデューサーとしても知られる石井(いしい)ふく子さんが、歌手しかやらないという信念を持っていた水前寺清子さんを「ドラマの役柄のイメージにぴったりだ」と何度も出演交渉して口説き落とし、主演させたドラマが「ありがとう」でした。

主人公と山岡久乃(やまおかひさの)さん演じる母との日常生活や、石坂浩二(いしざかこうじ)さんが演じた恋人との恋愛も描かれたそのドラマは、民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録し正に大ヒット、当たり役となりました。更にその主題歌「ありがとうの歌」も唄ってヒットします。

なめらかネームは女優運も強い名前です。特にヒット作や当たり役に恵まれる運を持っています。

また本名の林田民子というお名前をひらがなにすると(はやしだたみこ)と一方に濁点は付くものの、「た」という文字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。 

blog.housoku.work

歌がヒットしてドラマもヒットと、まさに“ワンモア”な活躍ですね。

ドラマはシリーズ化され水前寺清子さんは第3シリーズまで主演しましたが、やはり歌手活動に専念したいとの意向で降板し、第4シリーズでは主演が「世界は二人のために」などのヒットで知られる佐良直美(さがらなおみ)さんに交代となりました。(バトンを受けたのもなめらかネームの歌手だったのです。)

その当時は「歌手がドラマに出ると歌が売れなくなる」というジンクスの様なものがまことしやかに囁かれていたようで、それを懸念して降板した節もあったそうですが、それにしても勿体ない話ですね。

 

かつては「紅白」の常連として大トリや司会を務めた事もありましたが、1986年を最後にもう30年以上も出場していません。「紅白はヒット曲が出ない限りは出場しない」という自分への戒めもあるようで、芸名(すいぜんじよこ)は「き」が入る“お・か・きネーム”でもある為、芸名を名乗っているうちに自分への厳しさが身についたのかも知れません。

(斜体文字が加筆した部分です) 

blog.housoku.work

それでも唄うスタイルを(ヘアスタイルも)変える事なく55年以上歌手活動を続けてきました。

ちなみにデビュー前はポップス系の歌手志望で、自分で考えていた芸名は「東京マリ」だったそうです。もしその名前だったらここまで続いていたか、いや売れていたかどうかも・・・。

プロデューサー向きの“リターンネーム”ではないので自己プロデュース力は弱かったのかなと。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

天童よしみさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第136回)※2021.4.30改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第136回目の今日は天童よしみさんです。

 

この“天童”という苗字は「天から授かった童(わら)」という意味が込められた芸名で、本名は吉田芳美(よしだよしみ)といいます。

 

ローマ字で書くとTENDO YOSHIMIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

(平仮名で書くと“てんどう”となるので、苗字の最後の母音が「ウ」だと思われがちですが、「ど」を伸ばしている音ですので、カタカナで書くと“テンドー”となり、最後の母音は「オ」という事になります。)

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

この記事でも紹介している様に“なめらかネーム”の女性歌手は、男性顔負けの激しいロックや、恋愛なんてそっちのけのスケールの大きな歌を唄ったほうが成功する傾向があります。

 

子供の頃から歌が上手かった天童よしみさんは、のど自慢番組に出場すると次々に優勝の座をかっさらい、のど自慢あらしと囁かれていました。

16歳の時に吉田よしみ名義で、アニメ「いなかっぺ大将」の主題歌「大ちゃん数え唄」で初めてレコーディングを経験すると、その2年後には「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、グランドチャンピオンに輝いて天童よしみという芸名をもらい、正式にプロの歌手としてデビューしました。

ここまではエリートコースのトントン拍子という感じですが、演歌の世界で新人がすぐに売れる事は少なく、天童よしみさんも10年程は不遇の時代を経験します。

それでも「道頓堀(とんぼり)人情」を引っさげて全国津々浦々を営業でまわると、有線放送からジワジワと火がついてヒット曲となります。

出世作となったこの歌は、大阪人の「負けたらあかん」という心意気やド根性を描いたもので、やはり男らしさを感じさせる内容でした。

更に「珍島(チンド)物語」もヒットするのですが、「海が割れる」だの「道が出来る」だのと、映画「十戒」の名シーンを彷彿させるようなとんでもない歌詞が並びます。

普通の女性歌手が唄っても、説得力に欠けるでしょう。しかしこの方が唄うと説得力に溢れ、本当に海を割れるんじゃないかとさえ思えてしまうから不思議です。

やはり男らしい歌やスケールの大きな歌が合うんですね。

 

◉魔除け?のキーホルダー

 

1998年には天童よしみさんの姿を模した「よしみちゃん人形(キーホルダー)」が発売されました。これも普通の女性歌手であれば可愛いマスコットとして扱われる筈ですが、天童よしみさんはモノが違います。当時流行していた新型インフルエンザから身を守る為の“魔除け”として重宝され、女子中高生の間で大ブームとなったのです。

 

ここで改めて本名の吉田芳美というお名前を見てみましょう。

ローマ字で書くとYOSHIDA  YOSHIMIとなり、

苗字の最後の文字「だ」と、下の名前の最初の文字「よ」

フルネームの最初の文字「よ」と、最後の文字「み」の母音が違います。

母音で見ると同じ母音のペアが出来ない“ノーペアネーム”ですが、

文字で見ると“み”と同じ文字が2つずつ入ります。

“ワンモアネーム”✖️2の“ツーモアネーム”という事になりますが、「いなかっぺ大将」から「道頓堀人情」でワンモア、そしてキーホルダーでツーモアと考えると納得です。

 

紅白歌合戦」には「珍島物語」のヒット以来24年連続で出場し、1991年以降30年に渡り毎年新曲をリリースし続けています。

そして今年も1月に新曲「残波(ざんぱ)が発売されました。ドラマやバラエティーに出る事も少なくほぼ歌手業一筋ですが、紛れもない成功者なのです。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

寺尾聰さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第135回)※2021.4.29改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第135回目の今日は寺尾聰さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとTERAO  AKIRAとなり、

苗字の最後の文字「お」と、下の名前の最初の文字「あ」、

フルネームの最初の文字「て」と、最後の文字「ら」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能生活が不安定になりがちです。

blog.housoku.work

しかし文字で見ると(ておあき)と、「ら」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

この“ワンモアネーム”は、バンド(グループ)でも成功してソロ歌手としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。

blog.housoku.work

寺尾聰さんはいくつかのグループを渡り歩いていて、ザ・サベージというグループで活動していました。

「いつまでも いつまでも」「この手のひらに愛を」の2曲がヒットするも、寺尾聰さんはすぐに脱退して別のグループ、ザ・ホワイトキックに加入します。しかしそのグループもシングル1枚を出しただけで解散と、実に安定しない日々を送っていたのです。

ザ・サベージもザ・ホワイトキックスも継続性の高い“リターンネーム”でなかった上に、寺尾聰さん自身もノーペアネームだった為に安定しなかったのですね。

しかしその後すぐに、石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さん製作・主演の映画「黒部の太陽」で俳優デビューしました。

これをきっかけに石原裕次郎門下(俗に言う石原軍団)の若手有望株としてテレビドラマを中心に活躍するようになります。

当初は三枚目の役を演じる事もありましたが、「大都会PARTⅢ」や「西部警察」などではサングラスを掛けてニヒルな刑事役を演じ、二枚目路線に転向します。

 

◉3曲集中ヒット

 

寺尾聰さんはザ・ホワイトキックス解散後もソロ歌手としてシングルをポツポツと(3〜4年に1枚くらい)リリースしていましたがヒットには至りませんでした。

しかし「西部警察」出演中はここぞとばかりにシングル3枚を連続リリースします。

そして3発目となったルビーの指環が大ヒットし、「ザ・ベストテン」では12週連続1位の新記録を打ち立てます。

するとあまり売れていなかった1発目の「SHADOW CITY」や2発目の「出航 SASURAI」まで相乗効果でヒットし、3曲同時にベストテン入りした週もありました。

ルビーの指環」はその年の「レコード大賞」も受賞し、その後の歌手活動も華々しいものになるかと思われましたが、次の曲がリリースされた頃には「西部警察」も終了していたせいか、予想をはるかに下回る売れ行きとなってしまいました。

以降もヒットが続かず、寺尾聰さんは音楽活動を休止して俳優に専念するのですが、この著しい「不安定」さはやはりノーペアネームの性質がそうさせたのでしょうか。

 

◉父から受け継いだ縁

 

1つ言い忘れていましたが、この方も「二世タレント」にあたります。

お父さんは宇野重吉(うのじゅうきち)さんという俳優で、舞台・映画・ドラマと幅広く活躍された方でした。

石原裕次郎さんとも映画で共演した事があり、その縁で寺尾聰さんを「黒部の太陽」の出演者に選んだのでしょう。その縁が無ければ俳優・寺尾聰は誕生していなかったかも知れず、「ルビーの指環」もヒットしていなかったかも知れません。

実際、レコード化の前に石原プロの社長であった裕次郎さんと専務に聴いてもらった所、専務が「こんな曲売れる訳がない」と言ったのに対し、裕次郎さんが「いいんじゃないの」と

言ってくれたお陰でレコード化が決まったそうです。

寺尾聰さんの芸能人生は父である宇野重吉さんと、昭和の大スター・石原裕次郎さんに支えられていたんですね。

 

近年は再び俳優として存在感を放ち、2001年の映画「雨あがる」と、2005年の「半落ち」で2度のアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。その後現在までもドラマで重厚な役を演じています。

もう一つ付け加えると、(てらら)と、「お」と「き」が入る“お・か・きネーム”でもあります。 

blog.housoku.work

自分に厳しい方が多い名前なので、恵まれた部分だけでなく自分自身の努力で歴史を刻み込んだと言えるでしょう。

(斜体文字が加筆した部分です)

歌手ではグループからソロでワンモア、俳優ではアカデミー賞をワンモアと、ワンモアネームの特性を活かしきっている方です。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。

 

堺正章さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第134回)※2021.4.28改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第134回目の今日は堺正章さんです。

本名は栗原正章といいます。

 

ローマ字で書くとSAKAI  MASAAKIとなり、

苗字の最後の文字「い」と、下の名前の最初の文字「ま」、

フルネームの最初の文字「さ」と、最後の文字「き」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

ノーペアネームは芸能活動が「不安定」になりがちです。

ただ、母音ではなく文字で見ると(かいまあき)と「さ」の字が2つ入っている“ワンモアネーム”でもあります。 

blog.housoku.work

この“ワンモアネーム”は、バンド(グループ)でも成功してソロ歌手としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。

 

堺正章さんはザ・スパイダースというグループで活動していました。

井上順(いのうえじゅん)さんやかまやつひろしさんも在籍していた人気グループで、「夕陽が泣いている」「バン・バン・バン」などのヒット曲で1960年代後半のグループサウンズ・ブームを牽引しました。

堺正章さんはその中でボーカルとしてアイドル的な人気(その当時の日本にまだアイドルという言葉が浸透していませんでしたが)を誇っていたのです。

ただ、ザ・スパイダースという名前が継続性の高くなる“リターンネーム”でなかった為か、個人の人気が先にたってしまい1970年に解散しました。

その頃既に堺正章さんはドラマ「時間ですよ」に出演してお茶の間の人気者になっていました。ザ・スパイダース解散後はソロで音楽活動を継続、デビュー曲となった「さらば恋人」はいきなりのヒットを飛ばします。ここまででも充分ワンモアな活躍ですね。

他にも「街の灯り」や「NHKみんなのうた」の「北風小僧の寒太郎」など、歌手活動も盛んに行っていました。

俳優としては「西遊記」で主役の孫悟空を演じ、「時間ですよ」以来のヒットドラマとなります。また『新春かくし芸大会』においては毎年のように磨き上げた個人芸を披露してエンターテイナーぶりを発揮し、テーブルクロス引きは堺正章さんの代名詞になりました。

また司会者としても「紅白歌のベストテン」→「ザ・トップテン」や、「カックラキン大放送!!」(司会と言うよりはコントの主役)などの人気番組を支えました。

歌手・俳優・司会者・エンターテイナー(コメディアン)と、芸能界における肩書きをいくつも手に入れ、正に八面六臂の活躍をするのです。

 

◉苦労知らず?芸能界の超エリート

 

もう1つ肩書きを付けるとするなら「二世タレント」でしょうか。

お父さんは堺駿二(さかいしゅんじ)さんという喜劇俳優で、戦中・戦後と舞台、映画などで活躍された方でした。

その次男に生まれた正章少年は、撮影所に連れられていった事がきっかけで映画に出演し、

5歳の時すでに芸能界デビューを果たしていたのです。

ザ・スパイダースに加入したのも16歳(高校在学中)で、そこからは前述の通りスター街道まっしぐらですから苦労らしい苦労は見えません。

子供の頃から裕福な暮らしを送り、芸能界でも一線を走り続ける。なかなかこんな方はいませんよ。

ここでもう1度ローマ字表記を見て頂きたいのですが

SAKAI MASAAKI と、

苗字の最初と最後、下の名前の最初と最後で母音がアイ、アイとジグザグになっていますね。

線で表すとダブルスラッシュ(//)の様に苗字と下の名前が斜めの平行線になるのです。

実は歴史上の人物で同じ名前タイプの人がいます。

それは織田信長です。

ローマ字で書くとODA NOBUNAGAと、母音がオア、オアとジグザグになっていますね。

という事で、この様なお名前を“ノブナガネーム”と呼びます。 

blog.housoku.work

有名人でも数少ない希少なタイプですが、浜崎あゆみさんや大谷翔平選手など桁違いの活躍をされている方に該当する名前なのです。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

◉“マチャアキ”から“巨匠”へ

 

この方には肩書きと並んでいくつもの愛称(別称)があります。

若い頃は正章をもじって“マチャアキ”と呼ばれ人気を博しました。これはおそらく周りから呼ばれた愛称だったでしょう。堺さんのキャラクターとも相まって世間にも浸透しやすかったのです。

40代頃には後輩タレントも増えてきて“堺先生”(読み方は“しゃかいしぇんしぇい”)と呼ばれるようになります。半ばおちょくっているかの様な呼び方ですが、それを許せるだけのキャリアと寛大な精神をお持ちだったのです。

そして50代になった頃には料理番組「チューボーですよ!」の司会を担当し、“巨匠”と呼ばれるようになります。しかしこれはどうやら萩本欽一さんの“大将”やビートたけしさんの“殿”に匹敵する別称が欲しかったあまり、自分から「巨匠と呼びなさい」と言い出した事がきっかけだった様です。マチャアキなどの軽い感じではなく、威厳を保てる様な別称に憧れていたんでしょうね。

芸能人にとって名前がいくつもあるのは良い事です。またその肩書きも歌手・俳優・司会者・コメディアンなど、どれが本業かわからないほど安定しないのはノーペアネームだからかも知れません。

 

◉伝統芸?ズッコケ

 

ここで本名の栗原正章というお名前を見てみましょう。

ローマ字で書くとKURIHARA  MASAAKIとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

堺正章さんは芸能生活60年近くになる大御所ですが、タレントが大勢集まる祭典的な番組で審査員を務める時に、わざわざ大道具さんに発注して壊れやすい材質にしてもらい、よき所でズッコケて机ごと倒れます。これが見た目にも派手なので大ウケするのですが、かなりの痛みを(打ち所が悪いと負傷する事もある)伴う危険な行為なのです。

何が言いたいかというと、老体にムチ打って高齢になっても一笑いの為にそこまで身体を張る所に、なめらかネームの「身体が丈夫になる」特性が出ているのではないかという事です。

今や孫ほど年の離れた若い共演者たちの心を掴むにはてっとり早い手段なのでしょうが、70歳を過ぎてそれが出来る体力とサービス精神に、伊達に長く芸能界で君臨してきた訳ではないという心意気の様な物を感じずにはいられません。

最後にもう一つ付け加えると、(いまさあ)と、「か」と「き」が入る“お・か・きネーム”でもあります。 

blog.housoku.work

自分に厳しい方が多い名前なので、もう引退(隠居)していておかしくない年齢でも、自分を甘やかさず身体を張った芸が出来るんですね。

昭和、平成、令和と時代は変わっても、人が「面白い」と感じる物はそう変わってはいないんだという事を、身をもって教えてくれている様な気さえするのです。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。

 

南こうせつさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第133回)※2021.4.27改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第133回目の今日は南こうせつさんです。

本名は漢字で南高節と書きます。

 

ローマ字で書くとMINAMI  KOSETUとなり、

苗字の最後の文字「み」と、下の名前の最初の文字「こ」、

フルネームの最初の文字「み」と、最後の文字「つ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

しかし全体を見るとMINAMI  KOSETUと、、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。 

blog.housoku.work

ロイヤルネームの方がグループ内にいた場合はリーダーになる確率が高く、南こうせつさんはかぐや姫というグループでリーダーを務めていました。

このかぐや姫にはメンバーチェンジ、名義変更などの変遷があり、最初は南高節とかぐや姫でした。

南高節が“なんこうぶし”と間違われるなど、良い事がないまま1年程で解散。他二人のメンバーは一般の社会人になりました。

そして伊勢正三(いせしょうぞう)さんと山田(やまだ)パンダさんを迎え、南こうせつかぐや姫(第二期)がスタートします。

山田パンダさんは南こうせつさんより年上でした。ロイヤルネームは年上をも引っ張る程のリーダーシップがあるんですね。

あの伊勢正三さんを迎えた事でグループはパワーアップし、シングル神田川の大ヒットに続いてアルバムもセールス1位を記録するなど、大人気グループとなりました。

“あの”って“どの”、なんて思ってませんか?あのなごり雪を作った伊勢正三さんですよ。

イルカさんのカヴァーがすっかり有名になりましたが、最初はかぐや姫のアルバムの中の1曲だったのです。これまで多くのアーティストにカヴァーされ、日本の歌謡史に残る名曲と言われていますよね。

 

◉更に改名して“かぐや姫”に

 

ここでグループのギャラ配分について少し話しますと、“南こうせつかぐや姫”名義の場合、単純計算で南こうせつさんに50%が入り、残りの50%がかぐや姫に入ります。それを伊勢正三さんと山田パンダさんで二頭分するので25%ずつという事ですね。

この後グループは改名して“かぐや姫”になるのですが、この名義になるとギャラは三頭分になります。南こうせつさんの取り分は少なくなる訳ですが、それはおそらく南こうせつさんから二人への配慮だったと思われるのです。

実際、前述の「なごり雪」が収録されたアルバム「三階建の詩」制作時には南こうせつさんが「メンバー全員に平等に印税が入るように」と、伊勢正三さんと山田パンダさんに曲作りのノルマを課しています。「三階建の詩」というタイトルにも、三人で作り上げたアルバムという意味が込められていたのでしょう。メンバー全員が平等であるようにとグループをまとめるリーダーシップ、さすがロイヤルネームといった所ですね。

しかし改名後も“リターンネーム”でなかったせいか(実際はレコード会社に勝手に次のシングルを決められるなど、メンバーの意向が無視されるようになった事が大きい)かぐや姫は解散を迎えます。

ここでもう1度南こうせつさんのお名前をよく調べる為、今度は全てひらがなにしてみましょう。

こうせつ」と「み」の文字が二つ入っていますね。

この様なお名前を“ワンモアネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

この“ワンモアネーム”は、バンド(グループ)でも成功してソロ歌手としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。

南こうせつさんはかぐや姫解散後、ソロ歌手としても「夢一夜」をヒットさせました。また日本人アーティストとして初めて日本武道館でワンマン公演を行った歌手でもあるのです。

伊勢正三さんはフォークデュオ(かぜ)として再スタートをきります。

「三階建の詩」に収録されていた「22才の別れ」でデビューしてヒットしましたが、それ以降はヒットが続きませんでした。

なごり雪」や「22才の別れ」などのヒット曲を生み出しながら、伊勢正三さんの名前が今一つ知られていないのは、どちらもご自身の名義で発表した曲ではなかったからなのかも知れませんね。

あと山田パンダさんもソロ、グループと音楽活動を続けました。

この名前で見ると“フォーカードネーム”なので良い名前なのですが、明らかに芸名と分かりますよね。

本名は山田嗣人(やまだつぐと)というそうで、こちらはシンプルなノーペアネームになります。

だからグループ、ソロ、またグループと安定しなかったのでしょう。芸名も母音で見ると良いとは言え、あまりおふざけ感が出ると良くないのかも知れません。

 

そうそう、今回は南こうせつさんの話でした。72歳になった今も歌手として活動を続けられています。「懐かしのヒット曲」などの番組では「神田川」や「妹」など、かぐや姫時代のヒット曲を要望される事も多いので、若い世代は南こうせつさんの歌だと思われる方も多いでしょう。まぁ実際メインボーカルで唄ってた訳ですし、ギャラを出来るだけ分配しようとしていたリーダーの役得ですかね。

今年もコンサートツアーを敢行中で、来月26日には作曲・プロデュースを手がけた(ふじ)あや子さんの新曲が発売されます。まだまだ精力的に活動されているのです。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。