矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

山下智久さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第270回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第270回目の今日は山下智久さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとYAMASHITA TOMOHISAとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

リターンネームの男性はアイドル性が高くなる傾向があります。なのでジャニーズ事務所の中でも際立った存在となり、アイドルの中のアイドルとなり得るのです。

 

滝沢秀明(たきざわひであき)さんに憧れていた山下智久さんは11歳の時、母親に頼んでジャニーズ事務所に履歴書を送ってもらいました。

しばらくは週末のレッスンに呼ばれたり呼ばれなかったりの日々が続きましたが、骨折をした際にギプスをして番組の収録に参加していた姿を見た先輩たちから「根性(ガッツ)のある奴」と認められ、次の週からは毎週呼んで貰えるようになります。

ジャニーズJr.時代はKinki Kidsの専属バックダンサーを務める一方、「池袋ウエストゲートパーク」や「ランチの女王」などのドラマにも出演していました。

またジャニーズJr.の初代リーダーだった滝沢秀明さんに後継者として目をかけられ、二代目リーダーにも任命されます。

そして2003年9月、高校在学中の18歳の時に新グループNEWSの一員に選ばれ、「NEWSニッポン」でCDデビューを果たしました。

このNEWS(ニュース)というグループ名は最初と最後の母音が同じなので“リターンネーム”(1つの母音だけで構成されているので“ストレートネーム”)です。

“リターンネーム”のグループは継続性が強くなるので、最初の人数(9人)から3分の1になった現在でも存続していますね。(皮肉の意味はありませんよ)

 

NEWSの中心メンバーとしてだけでなく、2005年にはドラマ「野ブタをプロデュース。」で共演したKUT-TUNの亀梨和也(かめなしかずや)さんとのユニット、修二と彰でも青春アミーゴが大ヒットしました。

亀梨和也(KAMENASHI KAZUYA)さんも最初と最後の母音が同じ「ア」なのでリターンネームです。この2人が組んだユニットですから大ヒットも頷けますね。

その翌年にはソロデビュー曲の抱いてセニョリータも80万枚を超えるヒットとなり、グループ主流となっていたジャニーズの中で香取慎吾(かとりしんご)さんの“慎吾ママ”や草彅剛(くさなぎつよし)さんの“チョナン・カン”など別名義(いわゆる企画もの)を除いては、ソロとして久々の成功を収めました。

更にドラマでも「クロサギ」や「プロポーズ大作戦」「コード・ブルー –ドクター・ヘリ救急救命–」「ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜」などで次々と単独主演を果たし、俳優としてもひとり立ちしました。中でも「コード・ブルー」は好評につき3rd season までシリーズ化し、劇場版まで制作される程の代表作となったのです。

 

もうこの時点でNEWSというグループの枠には収まらない存在となり、やはりと言うか遂にと言うか、2011年にNEWSを脱退してソロのアイドルになります。

ソロになった直後、ドキュメンタル番組「山下智久ルート66〜たった1人のアメリカ」でアメリカ大陸を横断し、現地の人々とコミュニケーションを取る為に生きた英語を学びました。その体験が後の活躍につながっていくのです。

 

“リターンネーム”は海外進出運の強い名前です。

2016年に中国映画「サイバーミッション」(日本公開は2019年)で海外作品に初出演し、本格的なアジア進出を果たします。

更に2019年には国際ドラマ「THE HEAD」にメインキャストとして、スペインなどで3ヶ月にも及んだ海外ロケに通訳もマネージャーもつけずに単身で参加し、全編英語の役に挑戦しました。そのドラマのエンディングテーマとなった「Nights Cold」が海外で配信され、歌手としても世界デビューを果たしたのです。

また撮影を通してウィル・スミスのマネージャーと知り合い、息子のジェイデン・スミスを紹介された後、ウィル・スミス本人とも友達になりました。もちろん通訳など介さず身につけた英語で直接話し、逆に日本語を教えるほど堪能だったそうです。

 

そして遂に2020年、本格的に世界進出を果たす為にジャニーズ事務所からも独立しました。

来年公開予定のハリウッド映画「THE MAN FROM TORONTO」の撮影を終え、現在は初主演となる海外ドラマの撮影に取り組んでいます。もうジャニーズ事務所や日本の枠に収まらない存在となったのですね。

Jr時代やNEWSの時代からファンだった方には手元を離れていくようで少しさみしいかも知れませんが、11月には肉体美を披露した写真集が発売されるそうなのでそちらを楽しみに待ちましょう。少々お値段お高いらしいですけど・・・。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。

 

野沢直子さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第269回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第269回目の今日は野沢直子さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くと=NOZAWA NAOKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

また、フルネームの最初と最後の文字の母音が同じ「オ」である事もよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

つまり野沢直子さんは、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。

このタイプのお名前を、同じ母音のペアが2つ出来る事から“ツーペアネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

1983年、高校生の時に(ところ)ジョージさん司会の素人参加番組「ドバドバ大爆弾」に出演し、その様子が面白いとスカウトされて芸能界に入りました。

まず“なめらかネーム”の女優向きの性質が作用したのか、劇団テアトルエコーに入団しますが、芸風が合わなかった為にあっさり退団します。

その後叔父にあたる声優の野沢那智(のざわなち)さんの紹介(コネ)で吉本興業に所属する事となり、本格的にタレント活動を開始しました。

 

生まれつき“リターンネーム”の女性はよく喋る方が多く、人を笑わせる事が好きなタイプも多いのです。

皆さんも学生時代を思い出してください。クラスに1人くらいはよく喋って人を笑わせてばかりの女子がいたでしょう。その人のフルネームは最初と最後の母音が同じだった筈です。(違ってたらごめんなさい。)

吉本興業は水が合ったのか、野沢直子さんは持ち前の話術と奇抜なファッションが受けてキャラクターが立ち、たちまち人気タレントとなりました。

“なめらかネーム”の目立ちたがりで物怖じしない性格の為、「笑っていいとも!」のレギュラーに選ばれても大先輩のタモリさん相手に臆する事なく絡んでいきます。

「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!」でも当時フリーアナウンサーに転向したばかりの、司会の逸見正孝(いつみまさたか)さんを翻弄し(上手く転がし)、面白い一面を引き出していました。

“リターンネーム”はバラエティー運の強い名前でもあります。

お笑い第3世代とされるダウンタウンウッチャンナンチャンと同年代だった事もあり「夢で逢えたら」のレギュラーにも選ばれました。この番組への出演が地位を揺るぎないものにしたと言っていいでしょう。

現在女性芸人(タレント含む)が活躍する道筋を作ったと言っても過言ではないかも知れません。

また、リターンネームは女性歌手運の強い名前であり、なめらかネームはラブソング以外の歌に強い傾向があります。

人気に乗じて冗談半分で(売れたら儲けもの的な)感覚で出したアルバム「はなぢ」に収録された、俳優の大和田獏(おおわだばく)さんの名前を連呼するだけの「おーわだばく」が話題となって、なかなかのヒットとなりました。

ええ、大ヒットとまではいきません、なかなかのヒットです。調子に乗って第2弾の「ふかづめ」など、計4枚のアルバムが発売されたぐらいですから。

 

しかしそんなタレントとして大成功を収めていた最中の1991年、突如単身渡米する事を企てます。

“リターンネーム”は海外進出運の強い名前、いや海外進出欲の強くなる名前なのかも知れません。

3月に全てのレギュラー番組を降板し、アメリカ(サンフランシスコ)に移住してしまいました。

その海外進出は決して成功と言えるものではなかった様で、93年に「夢で逢えたら」の特番でダウンタウンウッチャンナンチャン清水(しみず)ミチコさんが逢いに行った時には、小さなライブハウスでパンクロックバンドを率いて、なぜか猿の被り物を着てシャウトしていたのですから。

でもまぁ、本人がそれをやりたがっていたのなら問題はないでしょうし、そこで知り合ったバンド仲間と結婚した事を思えばそれで幸せだったのかも知れません。

ちなみに結婚後の本名はナオコ・オークレアー(Naoko Auclair)で、「名前の法則」的に見るとこちらも“ツーペアネーム”です。まぁ、これは単なる偶然でしょう。

 

現在は「出稼ぎ」と称して毎年一時期だけ(子供が夏休みに入る時期に)帰国して様々な番組に出演しています。

吉本坂46に加入(既に卒業)したり、娘の真珠(しんじゅ)野沢オークレアーさんも格闘家として活動するなど、まだまだ話題には事欠かない様です。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

オノ・ヨーコさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第268回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第268回目の今日はオノ・ヨーコさんです。

このお名前は本名で、漢字では小野洋子と書きます。

 

ローマ字で書くとONO YOKOとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

また、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事もよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

つまりオノ・ヨーコさんのお名前は、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。

更に「名前の法則」での判断基準となる4つのポイントが全て同じ母音ですので、

このタイプのお名前を、トランプ(ポーカー)の役にかけて“フォーカードネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

更に名前を構成する文字の母音が全て同じ「オ」なので、縦の移動がない横一線の“ストレートネーム”になります。

苗字か下の名前のどちらかだけを芸名にしている“ショートネーム”では絢香(あやか)さんなどがいますが、フルネームでこのタイプは滅多にいません。亡くなられた樹木希林(きききりん)さんぐらいではないでしょうか。

冒頭からなんとかネームのオンパレードになってしまいましたが、それだけ希少な良い名前という事です。

 

皆さんはオノ・ヨーコさんと聞くと、元ビートルズジョン・レノンの奥さんという印象しかないのではないでしょうか。(実は私もそうでした)

※当ブログでは外国人の名前に日本の敬称「さん」は付けない方針です。

なので「ジョン・レノンを呼び捨てにするな!」という書き込みはしないでください。

ついでにお断りしておきますが、グループ名・団体名にも「さん付け」はしない方針、いやそもそも付ける必要はないものと考えています。

なのでビートルズにも(スピッツにも)「さん付け」はしない事をご理解頂いた上でお読みください。

 

前置きが長くなってしまいました。そろそろ本題に入りましょう。

オノ・ヨーコさんは1933年に東京で生まれ、銀行員だった父親の転勤先(サンフランシスコやニューヨーク)と日本を行ったり来たりの生活をしていました。

そんな中で20歳の時にニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、詩や音楽を学ぶようになります。リターンネームは音楽・芸術に対して嗜好が強くなる傾向がある名前なのです。

その大学で知り合った一柳 慧(いちやなぎとし)さんという、後に作曲家となる方と一度目の結婚をし、前衛芸術活動を始めました。

ニューヨークでは、床に置かれたキャンバスを客が踏みつける事で完成する「踏まれるための絵画」などが高い評価を受けていたそうです。

1962年に帰国し、観客が彼女の衣装をハサミで切り取るパフォーマンス「カット・ピース」などを披露しましたが、当時の日本は前衛芸術に慣れていなかった為に評価は低く、評論家からは批判も受けました。

母音ではなく文字で見ると(のようこ)と、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。このタイプは自分に厳しく、時には自分を追い込み過ぎてしまう事があります。

blog.housoku.work

日本で認められなかった事で自分を責めてしまったのか、自殺を謀って未遂に終わった挙げく精神病院に入れられてしまいました。

 

そんな絶望の淵に立たされたオノ・ヨーコさんを救ったのは、彼女の芸術に憧れて来日したアメリカの映像作家アンソニー・コックスでした。どんな言葉を使ったかはわかりませんが、彼女を口説き落として退院させたそうです。

やがて二度目の結婚をしようとしたものの一柳 慧さんとの離婚が法的に成立しておらず、一度「無効」とされた後にようやく結婚に漕ぎつけました。

そしてアンソニーとの間に娘(キョーコ・チャン・コックス)が生まれます。

しかし1966年から芸術活動の為イギリスのロンドンに拠点を移すと、ジョン・レノンと関係を持ち始めてしまうのです。アンソニー・コックスとは69年に離婚しますが、娘の親権をアンソニーが強く主張して法廷でも争う事となった為、やむ無く親権を譲る覚悟を決めました。

そうしてアンソニーとの離婚から一ヶ月半後、ジョン・レノンと三度目の結婚をします。

アメリカではミドルネームを入れる事も可能で、結婚後の本名はヨーコ・オノ・レノンになりました。

ジョン・レノンと結婚した事で一躍有名になり、ある意味世界中で一番名前を知られた日本人だったかも知れません。またその頃からプロとしての音楽活動も始め、70年代前半には4枚のソロ・アルバムを発表しています。

ただ結婚前後の二人の活動が世間からは奇妙なものと映った為か、「ビートルズを解散させた女」との批判を受ける事もありました。

二人は反戦活動に力を入れ、ジョン・レノンはアルバム「イマジン」を発表、オノ・ヨーコさんは反戦デモに参加するなど世界平和の為に紛糾します。

やがて1975年、息子のショーン・レノン(正式にはショーン・タロー・オノ・レノン)が誕生しました。しばらく二人は育児の為に活動を休止していましたが、ショーンが5歳になったのを機に音楽活動を再開し、二人の共作によるアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表します。

しかしその直後の80年12月8日、自宅前でファンを装った男に銃で撃たれ、ジョン・レノンは命を落としてしまったのです。

最愛のパートナーを失ったオノ・ヨーコさんは悲しみを乗り越え、その意思を継ぐかの様に音楽活動・反戦活動を続けました。

 

こんなにも愛と芸術に生きた波乱万丈の人生を歩んでこられた方だったのですね。

そして88歳になった今もTwitter核兵器廃絶を訴えています。

平和への祈りは終わる事はないのでしょうか。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

野茂英雄さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第267回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第267回目の今日は野茂英雄さんです。

 

ローマ字で書くとNOMO HIDEOとなり、フルネームの最初と最後の文字の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

 

野球選手をあつかう事なんてあるんだ、と思っていませんか?

実はこの「お名前診断」第1回はイチローさんから始まったんですよ。

blog.housoku.work

第2回も松井秀喜(まついひでき)さんだったのでそれ以来になり、投手(ピッチャー)としては初めてになります。

 

小学生の頃から野球を始めていた野茂英雄さんでしたが、高校は野球の名門校ではなかった為、甲子園の出場経験もありませんでした。

ただその頃すでに、後の「トルネード投法」の原型となる身体をひねる投げ方は会得していたそうです。

高校卒業後プロからの誘いもありましたが断って社会人野球へ進み、2年目にフォークボールを習得すると三振をばったばったと取れるピッチャーに転身。1988年のソウルオリンピックで日本代表に選出され、チームは銀メダルを獲得したのです。

そして翌年のドラフトでは史上最多8球団からの1位指名を受け、抽選の結果近鉄バファローズに入団しました。契約金は史上初の1億円台(推定)だったと言われています。

プロでは1年目から投手4冠(最多勝最優秀防御率最多奪三振・最高勝率)のほか、ベストナイン・新人王・沢村賞(前年までセ・リーグの選手のみが対象だった)・MVP(優勝チームから選ばれるのが通例であるが近鉄はこの年優勝していない)など、各タイトルを総ナメにしました。

また同世代のライバル選手、西武ライオンズ時代の清原和博(きよはらかずひろ)さんとの対戦は「平成の名勝負」とも言われ、多くのファンを沸かせました。

そうして新人時代から4年連続で最多勝最多奪三振のタイトルを獲得するなど大活躍しましたが、契約更改では「現状維持」を提示され、近鉄球団側との確執が生じる様になります。

ただそういった日本での活躍に見合わない評価が、メジャーリーグ挑戦へのきっかけとなったと言ってもいいでしょう。

1995年にロサンゼルス・ドジャースマイナー契約を結び、日本人2人目のメジャーリーガー(1人目は1964〜5年の村上雅則(むらかみまさのり)さん)となったのです。

 

“リターンネーム”は海外進出運の強い名前です。

メジャーに行ってからの野茂英雄さんは素晴らしい活躍を見せました。日本では制球力(コントロール)に難ありとされ、与四球(フォアボール)も多かった点が問題視される事もありましたが、少々のボール球でもどんどん振ってくるメジャーのバッターには逆に有効で打たれにくかったのです。

1年目から13勝を挙げてリーグ最多奪三振のタイトルも獲得し、「ドクターK(野球のスコアブックに三振を記録する際、略字として“K”を用いる事から)」と呼ばれました。

野茂という苗字も“NOMO”と欧米人でも発音しやすく、英雄(HIDEO)という下の名前も「バナナ・ボート」の歌詞になぞらえて『デ〜オ、HIDE〜O、野茂が投げれば大丈夫〜』という替え歌まで作られ大人気となったのです。

ファンからも球団からも、日本球界にいた頃より高い評価を受けたと言えるでしょう。

 

メジャーでは通算123勝(近鉄時代の78勝と合わせて通算201勝)、1918奪三振、2度のノーヒット・ノーランなど、後に続いた日本人メジャーリーガーが到底及ばない記録を残しました。

(勝利数の次点は黒田博樹(くろだひろき)さんの79勝、奪三振の次点はダルビッシュ有選手の1392)

2008年にメジャーでの契約解除となった後、東北楽天ゴールデンイーグルスから日本球界復帰のオファーがありましたが、「もうプロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、自分の中ではまだまだやりたい気持ちはあっても、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけてしまうだけだから」と、39歳で現役引退を決意しました。

母音ではなく文字で見ると(のもひで)と、「お」が入る“お・か・きネーム”でもあるので自分に厳しく、高いレベルでのパフォーマンスが出せない自分が許せなかったのでしょう。

blog.housoku.work

それでもこの方が多くの日本人選手に勇気を与え、メジャーリーグに進出する道を切り開くきっかけとなった事は間違いありません。

ダイナミックなトルネード投法は日本の枠に収まらず、世界で評価されるスーパースターとなったのです。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

千葉真一さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第266回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第266回目の今日は千葉真一さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとCHIBA SHINICHIとなり、フルネームの最初と最後の文字の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

blog.housoku.work

本名は前田禎穂といいます。

ローマ字で書くと MAEDA SADAHOとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

“なめらかネーム”は身体の発育が促進され、運動能力が発達する効果があると思われます。

blog.housoku.work

俳優になる前の千葉真一さん、つまり前田禎穂さんは器械体操でオリンピックを目指す選手でした。高校3年生の時に全国大会で優勝し、大学も日本体育大学に進学しましたが、2年生の時に跳馬の練習中に着地に失敗して腰と両膝を痛めてしまい、医者から1年間運動禁止と告げられ選手を続ける事が困難になってしまったのです。

失意の中で別の道を模索していた頃、「東映ニューフェイス募集」のポスターを偶然見かけて俳優を志す様になります。オーディションに合格して大学を中退し、東映に入社して6ヶ月の研修を受けた後、1960年にテレビドラマ「新 七色仮面」の二代目主人公として主演デビューしました。

その後アクションの出来る俳優として数々の映画に出演し、1968年から始まったドラマ「キイハンター」で全国的なスターとなり、“千葉ちゃん”の愛称で呼ばれる程になったのです。

当時自身の役をスタントなしで演じるだけでなく、人材不足の為にやられ役(投げ飛ばされたり海に落とされたりする)までスタントマンとして演じていた為に、アクション・スタントの出来る若手俳優を育成しなければと感じていました。

それがJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の創設につながり、真田広之(さなだひろゆき)さんや志穂美悦子(しほみえつこ)さんなど多くのアクションスターを育てるきっかけとなったのです。

母音ではなく文字で見ると(ばしんい)と、「ち」の字が2つ入る“ワンモアネーム”になります。

“ワンモアネーム”はグループで成功してから個人でも成功するという特性がありますが、千葉真一さんの場合は個人で成功した後にグループの創設者となって成功したので、ワンモアネームの逆パターンと言えますね。

よく見ると本名の(まえほ)も「だ」の字が2つ入るワンモアネームです。

blog.housoku.work

そして“リターンネーム”は海外進出運の強い名前です。

千葉真一さんは日本のアクション俳優の第一人者としてその出演作品は海外の映画会社からも高い評価を受け、海外ではサニー・千葉(Sonny Chiba)という愛称で親しまれるほどの国際的スターになりました。(ちなみにこの“Sonny”は「兄ちゃん・坊や」という意味で使われる事もあり、日本での愛称“千葉ちゃん”を欧米風にしたものとも言われています。)

「名前の法則」的に見てもつなぎ目の母音が「イ」で同じ、最初と最後も「ア」で同じなのでツーペアネームの非常に良い名前です。

blog.housoku.work

ご自身も海外への進出には意欲的で、諸外国との合作映画に数多く出演するだけでなく、50歳を過ぎた頃にロサンゼルスへ移住し、本格的にハリウッドへの進出を果たしました。

日本で成功し、世界でも成功する。そこに“ワンモアネーム”の特性が活きたのでしょう。

 

去る8月19日、新型コロナウィルス感染症による肺炎の為、82歳でこの世を去りました。その意思は教え子の真田広之さんや、息子であり俳優の新田真剣佑(あらたまっけんゆう)さんに受け継がれていくでしょう。

blog.housoku.work

ジャッキー・チェンクエンティン・タランティーノなど多くの映画人、アクションスターに多大なる影響を与えた功績を讃えると共に、謹んでご冥福をお祈り致します。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

特別企画・ヒロタカの夏休み?

「名前の法則」の世界へようこそ。

ここでは有名人の名前が持つ「音」に注目し、その共通点を見つけていきたいと思います。

 

『またやったな!?』

「はい?何の事でしょう?」

『やってくれたな!?』

「何ですかダチョウ倶楽部上島竜兵(うえしまりゅうへい)さんみたいに。」

『この前ブログ休んだと思ったら、今週また休んだなって言ってんだよ!』

「あぁ、その件についてはクイズにしてありますのでこちらをご覧ください。」

『クイズ?』

 

Q1.私、矢名樹ヒロタカは8月23日に続いて9月1日にも、このブログ「お名前だけお借りします。」の更新を休んでしまいました。さて、その理由は何だったでしょう?

 

A.またうたた寝してしまったから

B.今度こそ急に母親の容体が悪くなったから

C.1回休んだら連続更新のモチベーションが下がったから

D.2回目に慣れすぎて書き下ろしがしんどくなったから

E.夏休みが欲しかったから

F.巨人のエース菅野智之(すがのともゆき)投手が久しぶりに良いピッチングをしたから

 

『いや選択肢多すぎだろ!Fなんて絶対関係ないだろがよ!?』

「Fは今回有名人の名前が出てこない恐れがあるんで無理矢理入れときました。」

『いやダチョウの上島出てるだろよ!』

「あぁ、そうでしたね。

『それよりホントにこの中に答えあるんだろうな?』

「もちろんありますよ。」

『うーん、じゃあBだ!今度こそ急に母ちゃんの容体が悪くなったからだろ!?』

「ブッブー!残念!正解は・・・Aのうたた寝してしまったから、でしたー。」

『(ドテッ!)またうたた寝かよ!』

「いやぁー今回は日付けが変わる前の23時22分に目が覚めたんですけどねぇ。」

『じゃあ何で休んだんだよ!』

「30分ぐらいじゃ間に合わないでしょ!」

『それもそうだな・・・って、なんで逆ギレしてんだよ!』

「まぁ連続更新も途絶えちゃったし、お名前診断の2回目に慣れすぎて新記事しんどいなぁなんて思ってたから、CとDも正解ですね。」

『正解ありすぎだろ!』

「あと今テレビつけてたら「有吉の夏休み2021」ってやってて、あぁ夏休みかぁいいなぁって思ってたんで、Eも正解ですね。」

『E加減にしろ!』

「あと菅野投手が久しぶりに良いピッチングしてたんで、つい安心して眠っちゃったからFも正解と言えば正解・・・」

『もういいぜ!』

「どうもありがとうございましたー。」

『待てまて!なに終わろうとしてんだよ!』

「いやサンドウィッチマンの漫才の締めみたいだったから。」

『今日まだなにもやってないだろ!』

「だから今日はもう本当に夏休みって事にしてまた休もうかなと思ってたんで・・・」

『いや週末の俺の出番を大切にしろよ!』

「もううるさいなぁ。じゃあ今(4日の22時45分)やってる「有吉の夏休み2021」見てて気付いた事でいいですか?」

『そんな思いつきで書けんのかよ?』

 

えーこの番組はここ数年この時期の恒例になっているスペシャルで、タイトル通り有吉弘行さんが今人気のタレントたちと夏休みのバカンスを楽しむっていう内容なんですけど、そのメンバーがですね・・・

男性陣はメインの有吉弘行(ありよしひろいき)さんをはじめ、

平成ノブシコブシ吉村崇(よしむらたかし)さん、

アンガールズ田中卓志(たなかたくし)さんと、

“なめらかネーム”ばかりなんですねぇ。

有吉弘行さんが元猿岩石だった事を考えると、3人ともコンビで出世したほう、とも言えます。

 

そして女性陣は藤田(ふじた)ニコルさん、

生見愛瑠(ぬくみめる)さんと2人が“リターンネーム”なんです。

 

この様に私が「名前の法則」で推奨している良い名前の方ばかりなんですよ。

今人気のタレントが集められている訳ですから当然そうなるんですねぇ。

 

まぁ例外は“みちょぱ”こと池田美優(いけだみゆ)さんが“ノーペアネーム”って事ぐらいですね。

フワちゃんはどうなるんだよ?』

フワちゃんも本名は不破遥香(ふわはるか)というなめらかネームなんですねぇ。

『本名出すのありかよ!?』

 

番組後半から途中参加の小嶋陽菜(こじまはるな)さんもなめらかネームですし、

タンポポ川村(かわむら)エミコさんは5つの母音が揃う“ロイヤルネーム”ですから、

正に良い名前の方ばかりという感じです。

 

とにかく明るい安村は?』

「本名は安村昇剛(やすむらしょうごう)っていうらしいですよ。」

『ですよじゃなくて、ノーペアネームだろ?』

「だからその、人気も一時的だったというか・・・」

『お前結構ひどい事言ってるぞ。』

「まぁ“スライドネーム”ではあるんで、元コンビ(アームストロング)からピンになって成功したって事じゃないですかね。」

『なんか適当に言ってないか?』

「まぁ今日は21時過ぎまで本当に休もうかと思ってたぐらいですから。あっ、それぞれの名前(〇〇ネーム)については横にある「各名前タイプの説明」をご覧ください。」

『過去記事の貼り付けも休みかよ!』

 

この様に画数ではなく母音に着目して有名人の名前をタイプ分けすると、同じ共通点を持つ方がこれだけ見つかるのです。すなわち人の名前が持つ「音」にはそれだけの力が秘められているのではないか?というのがこの「名前の法則」の世界の研究テーマなのです。

もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

『待てまて!俺の最後の一言は?』

「それもお休みでお願いします。」

 

ではまた次回をお楽しみにー。

 

立川談志さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第265回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第265回目の今日は立川談志さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとTATEKAWA DANSHIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

blog.housoku.work

本名は松岡克由といいます。

ローマ字で書くと MATSUOKA KATSUYOSHIなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

本名も“なめらかネーム”なのです。

母音ではなく文字で見ると(まつおかかつよし)と、「か」が入る“お・か・きネーム”でもあります。

よく見ると芸名の屋号:立川(たてわ)にも「か」が入っていますね。

blog.housoku.work

このタイプは自分に厳しくなる名前なので芸事に厳しくなるのはもちろんお客さんにも厳しかった様で、落語の途中で居眠りしていたお客さんに退場を勧告したというエピソードもある程です。

 

1952年に高校を中退して、当時の柳家小さん(やなぎやこさん)さんに弟子入りし、最初は本名の一部を取って柳家小よし、二つ目に昇進後柳家小ゑんという名前を経て、真打ちに昇進後立川談志を襲名しました。

 

“なめらかネーム”は司会者運の強い名前です。

何を隠そう立川談志さんは「笑点」の初代司会者なのです。

「寄席でやっている大喜利をテレビで出来ないか?」と企画してあの番組のスタイルが生まれ、以降50年以上続く人気番組となりました。

しかし開始当初は視聴率が伸び悩み、初期のレギュラー陣との関係も悪化(原因は不明)していたそうで、1969年に衆議院議員選挙出馬を表明した為に談志さんは降板を余儀なくされました。

 

思った事を正直に言う真っ直ぐなまでの毒舌と、古典落語だけに捉われない型破りな行動から“落語界の反逆児”とも呼ばれ、好き嫌いのはっきり別れる芸風でした。

「師匠に教えられた通り古典落語をやっているだけでは落語はいつか滅びる」と感じ、「時代に合わせて落語も変えていかなければならない」との思いをモットーにしていました。

その為師匠と対立する事も多く、1983年に落語協会から脱会して(建前上の破門)落語立川流を創設して“家元”となりました。

師匠から受け継いだ型を大事にする古典落語において、「己を語る」という視点から現代に生きる人々の価値観や美意識を内容に投入し、噺の途中で「このストーリーのここがおかしい」「こういう人情は違う」と、自身の意見や解説、哲学まで取り入れていました。それ故に「客は“噺”ではなく、“談志”を聴きにくる」と言われ、熱心なファンを獲得し続けました。

また漫談、漫才など落語以外のお笑いにも興味を示し、広くエンターテイメントとして捉えていました。

ツービート時代のビートたけしさんや爆笑問題太田光(おおたひかり)さんの才能をいち早く見出すなど先見の明もあったのです。

リターンネームではないのであまりベラベラ喋るタイプではありませんでしたが、自身も含め落語家がテレビに出る事には前向きであり、晩年は手数(口数)少なめの的確な一言で締めるコメンテーターとしても活躍しました。

 

2011年11月、喉頭癌の為に75歳で亡くなりましたが、この時の報道各紙の見出しは生前の本人の希望により「談志が死んだ」だったそうです。最後まで“洒落”が好きだったのですね。

現在その毒舌ぶりは弟子の立川志らく(たてかわしらく)さんに受け継がれています。まぁ天国から「まだまだだな。」なんて言いながら見ているかもしれませんけど。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。