矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

続(ゾクッ!)ほんとにあったこわい話「ログイン出来ない!」

「さて、今日の「お名前診断」は誰にしようかな・・・?」

『こんばんは〜!』

「ウワッ!?ビックリしたー!」

・・・進伍(もり しんご)です。』

「あぁ、森進一さん専門でやってるものまねタレントの方ですね。・・・てか、最近森進一さんのものまねもあんまり見ないですけど。」

『今日は皆さんに、どうしてもお伝えしなければならない事があって、やって参りました。』

「何ですかえらくかしこまって。大体今日は有作さんの出番の日じゃないでしょ。いつもは週末に・・・」

『お前が最近更新サボり気味だから平日にズレこんだんだろが!ちょっと黙ってろ!』

「読者向きとこっち向きで態度が全然違う。」

『今回は矢名樹ヒロタカに代わって私、不満有作が特別企画「ゾクッ!ほんとにあったこわい話」をお送りします。』

「なんで“続”がカタカナなんですか?そこカタカナにすると「女だらけの水泳大会」みたいになるから。」

『この意味がわかるあなたは“アラフォー”です。』

キャーッ!!(子供たちの悲鳴)

「それ前回やりました!」

『改めましてこんばんは、ストーリーテラーの稲垣淳二です。』

「えっ?ややこしいな。その名前だと“ほん怖”の稲垣吾郎(いながきごろう)さんなのか、怪談の稲川淳二(いながわじゅんじ)さんなのか、どっち?ってなるでしょ。」

『やだな〜、こわいな〜。』

「それ言ったらもう淳二です。」

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『私は〜11月1日未明にこの「ブログ版・ほんとにあったこわい話」の記事を上げたんですがね〜。』

「もう口調も淳二になってるな。」

『それから4日後の11月5日、渡しが「お名前診断」の細川(ほそかわ)たかしの記事をかき揚げましてね〜。』

「誤字が多いな!細川たかしさんだからって“私”を“渡し”にしなくていいです。“書き上げ”も“かき揚げ”になってるし・・・いやそもそも「お名前診断」の記事書いたの私ですからね!」

『そして記事を上げようとしたその時!・・・なんと、ログイン出来ないじゃありませんか!?』

「あぁ、そんな事ありましたねぇ。」

『私はいつも通りメールアドレスとパスワードを入れてログインしようとしましたが、「時間を空けて再度お試しください。またはサポート窓口にお問い合わせください。」というメッセージが出てログインが出来なかったのです。』

「そうでした、そうでした。」

『これはきっと、“お・か・きネーム”の呪いに間違いありません!』

「何を言い出したんですか?」

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『11月1日の「ブログ版・ほんとにあったこわい話」では、最近の「お名前診断」で取り上げた、

第271回 田村正和(たむらまさかず)

第272回 津川雅彦(つがわまさひこ)

第273回 藤田(ふじた)まこと

第274回 藤山寛美(ふじやまかんび)

第275回 渥美清(あつみきよし)

第276回 西城秀樹(さいじょうひでき)

第277回 尾崎豊(おざきゆたか)

第278回 尾崎紀世彦(おざききよひこ)

第279回 河島英五(かわしまえいご)

第280回 やしきたかじん

第281回 北島三郎(きたじまさぶろう)

・・・など既に死んだ芸能人の名前を挙げ、“お・か・きネーム”短命説を実証しました。』

「前回も注意したでしょう?言い方が良くないって。“死んだ”じゃなくて“亡くなった”って・・・いや北島三郎さんはまだ生きてますって!」

『“まだ”生きてますって、死にかけみたいだろうが!』

「あ〜すいません、北島さん失礼しました。」

『きっとこの死んだ芸能人たちの名前を挙げ、侮辱して馬鹿にして記事にした為に怨霊たちの怒りに触れて呪われてしまったのでしょう。』

「侮辱したり馬鹿にしたりはしてないですけどね。」

『その後時間を空けて何度も試みましたが、何度やっても、いくら時間を空けても同じメッセージが出るだけでいつまで経ってもログイン出来ません。 “お・か・きネーム”の呪いは私の想像以上に恐ろしいものだったのです。』

「たまたま通信上のトラブルかなんかだったんじゃないですか?」

『あくる日の11月6日の土曜日も同じ状態が続き、記事を上げる事はおろか、皆さんの記事にスターをつける事も出来ませんでした。』

「先々週あたりですかね、私の顔(アイコン)がまとめて出たなと思った方もいらっしゃったでしょうけど、そういう訳だったんです。」

『そんな、ブロガーとしては由々しき事態に見舞われながら、この男が取った行動は・・・!』

「えっ?私なにしてましたっけ・・・?」

クライマックスシリーズ阪神VS巨人戦を見ていたのです!』

キャーッ!!

「あぁそうでしたね。いやぁ〜白熱したいい試合でしたよ、巨人も連勝しましたし。」

『ブロガーとして恥ずかしくないのか!他にもっと出来る事あっただろ!?』

「いやサポート窓口に問い合わせもしましたよ、はてなブログのID入れて。・・・でもすぐには返答が来なかったから、まぁいいかって。」

『まぁいいかって、そんな生温い気持ちだからヤクルトに負けて日本シリーズ行けなかったんだろが!』

「なにで怒られてるんですか?」

『ただでさえ最近サボり気味で更新間隔空いてるのに、2日も遅れたんだぞ!』

「ちゃんと7日の日曜の夜には回復してたんだし、焦っても仕方ないって事だったんですよ。それにもし本当に呪われたとしたら“お・か・きネーム”短命説なんて言い出した有作さんのせいでしょ?」

『“お・か・きネーム”短命説を否定するのか?あれから後も瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)は“お・か・きネーム”じゃないから99歳まで長生きしたけど、細木数子(ほそきかずこ)は「き」と「か」が入る“お・か・きネーム”だから83歳で死んじゃったじゃないか!』

瀬戸内寂聴さんの本名は瀬戸内晴美(せとうちはるみ)・・・“お・か・きネーム”じゃないか。でも細木数子さんの83歳は短命とは言えないと思いますけど・・・。」

『人に散々言ってた、あんたこそ地◯に堕ちるわよ!』

「やめなさい!私も一応占いに近い事をやってる者として、尊敬する人だったんですから。」

 

・・・という訳で、今回はあまり名前と関係ない話になってしまいました。ログイン出来なかったのは“呪い”ではない思いますが、皆さんも亡くなられた方の名前を出す時にはくれぐれも注意しましょう。

『どう注意するんだよ!?』

あと、こちらの本もよろしくお願いします。

『皆さん、今回は楽しんで頂けましたか?』

「いや淳二が残っている!」

 

ではまた次回をお楽しみにー。

 

森進一さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第283回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第283回目の今日は森進一さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとMORI SHINICHIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。

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本名は森内一寛といいます。

ローマ字で書くとMORIUCHI KAZUHIROとなり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

生まれつきリターンネームの男性は、歌が上手くなるか楽器が演奏出来るようになるなど、音楽性が高くなる性質があります。

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10歳の時に両親が離婚して母子家庭となり、母の故郷・鹿児島から家計を支える為に大阪へ集団就職した森内一寛少年は、少しでも高い賃金を求めて様々な職を転々としながらも18歳の頃に素人参加の歌番組で優勝し、チャーリー石黒(いしぐろ)さんにその才能を認められて渡辺プロダクションに所属する事となります。

芸名はその渡辺プロ創業者である渡辺晋(わたなべしん)さんの“晋”を同音の“進”に替え、本名の苗字と下の名前から1文字ずつを取って、森進一となりました。ちなみにその名付け親はクレージーキャッツハナ肇(はじめ)さんだったそうです。

元は普通の声でしたが、チャーリー石黒さんがそれでは個性が弱いと声をつぶすように説得し、1966年に「女のためいき」という曲でデビューしました。

かすれ声で女心を唄う新人男性歌手は異質な存在であり、世間から“ゲテモノ”扱いをされる事もありましたが、2年目の「命かれても」「盛り場ブルース」などが着実にヒットを続け、3年目の68年には「花と蝶」でついに紅白歌合戦に出場します。

翌年には港町ブルースレコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞し、2回目の出場となる紅白では22歳の若さで白組のトリを務めました。

なお、その回の後攻・紅組のトリ(大トリ)は美空(みそら)ひばりさんで、まだ出場2回目の森進一さんをトリに推薦したのも美空ひばりさんだと言われています。要は対戦相手に選ばれたという事ですね。

続く70年には「銀座の女」、71年には「おふくろさん」のヒットで3年連続のトリを務め、紅白の常連になりました。

 

◉演歌歌手ではなく“流行”歌手

 

森進一さんと言えば演歌歌手というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、本人はそう呼ばれる事を快く思っておらず、「いい音楽であればどんなジャンルでも自分の世界に取り込みたい」という信念から、自身を“流行”歌手と表現しています。

その言葉通りフォークソングの騎手吉田拓郎(よしだたくろう)さんが作曲した襟裳岬や、シティ・ポップと称される大瀧詠一(おおたきえいいち)さん作曲の冬のリヴィエラなどを唄い、演歌以外でも見事にヒットを飛ばしました。

本名がリターンネームなので歌が上手い為にどんなジャンルでも唄いこなせ、下の名前には(ずひろ)と「か」の文字が入る“お・か・きネーム”なので自分に厳しく、演歌歌手として成功しただけでは満足出来なかったのでしょう。

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◉歌手の遺伝子

 

1986年、それまで社会福祉活動「じゃがいもの会」にも共に参加していた歌手仲間の森昌子(もりまさこ)さんと“2度目の”結婚をしました。(1度目は女優の大原麗子(おおはられいこ)さん)

当時は“森さん”同士の結婚として大きな話題になったものです。(実際は森昌子さんも芸名で本名は森田昌子(もりたまさこ)だったので“森さん”同士ではない)

「名前の法則」的に見ると森昌子さんは芸名・本名ともリターンネームなので、本当に歌が上手い同士の結婚と言えるでしょう。

やがて2人の間に3人の男の子が生まれました。

現在、長男の森内貴寛(もりうちたかひろ)さんはロックバンドONE OK ROCKのボーカルTakaとして、

三男の森内寛樹(もりうちひろき)さんもロックバンドMY FIRST STORYのボーカルHiroとして大活躍しています。

ちなみに二男の森内智寛(もりうちともひろ)さんはテレビ東京の社員として働いています。

3人とも森進一さんの本名、一寛の“寛”が入ったリターンネームか“なめらかネーム”ですが、歌手にならなかった智寛さんだけが“お・か・きネーム”ではありません。

“寛”を受け継いでもお・か・きネームを受け継がなかった事が分かれ道となったと考えると、非常に興味深い事由です。

ともあれ3兄弟のうち2人が歌手になった事は、遺伝子云々よりも両親の姿を見て育った影響が大きかったでしょう。子守唄もハスキーボイスの格別なものだったのかも知れません。

 

2000年代に入ってからは森昌子さんとの離婚、C型肝炎うつ病による入院、更には「おふくろさん」の歌詞をめぐってのトラブルなど災難にも見舞われましたが、デビュー50周年を迎えた2015年には紅白歌合戦連続出場48回の記録を打ち立てて(2019年に五木ひろしさんに破られるまでは最長記録)、紅白を勇退しました。

およそ半世紀に渡って大晦日の夜を唄い上げた日本を代表する演歌、いえ“流行”歌手なのです。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

細川たかしさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第282回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第282回目の今日は細川たかしさんです。

このお名前は本名で、漢字で貴志と書きます。

 

ローマ字で書くとHOSOKAWA TAKASHIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。

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北海道出身の細川たかしさんは、札幌すすきののクラブなどで唄いながら歌手を目指していました。

24歳の時に結婚後、東京の芸能プロダクションからデビューの話を持ちかけられ、「1年で売れなかったら戻る」と約束して妻子を残し上京します。

そうして1975年4月に「心のこり」でデビューすると、「🎵私バカよね〜」という唄い出しがインパクトを与えて大ヒットし、レコード大賞最優秀新人賞などその年の新人賞を多数受賞した挙句、1年目で紅白歌合戦にまで出場したのです。

余談ですがこのデビュー曲は最初「私バカよね」というタイトルになる予定でしたが、新人として挨拶まわりをする時に、「この度「私バカよね」でデビューする事になりました細川たかしです。」と言うのはまずいと感じられた為「心のこり」に改題されたそうです。

見事1年目で約束を果たして東京で歌手になった訳ですが、2曲目以降はなかなか大きなヒットに恵まれませんでした。いわゆる“1発屋のジンクス”に苛まれたのでしょう。

当時は歌手がバラエティー番組にゲスト出演しても唄う機会が多かった為、「8時だよ!全員集合」に出演してコントにも挑戦したところ、誤って転んだ際にアキレス腱を断裂して長期入院を余儀なくされてしまいました。

怪我から復帰後の仕事が激減していた頃に「欽ちゃんのどこまでやるの?」にゲストで呼ばれた時、萩本欽一(はぎもときんいち)さんから「仕事ないの?じゃあ毎週来る?」と言われて同番組のレギュラーになります。

そして82年の3月に発売された新曲北酒場を宣伝する為に番組内で唄うのはもちろん、「🎵タバコの先に〜火をつけて〜」という歌詞の後に「ワッチ〜!」と言いながら熱い物をさわって火傷をする様な手振りを入れる(欽ちゃんが入れさせる)など、番組を上げての売り込み作戦を展開しました。

おかげで「北酒場」は「心のこり」以来7年ぶりのヒットとなり、その年のレコード大賞まで受賞しました。

おまけにその翌年の83年にも矢切の渡しレコード大賞を2年連続で受賞したのです。

母音ではなく文字で見ると(ほそわたし)と、同じ文字が2つ入る“ワンモアネーム”になります。

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ポップスで2年連続受賞(個人)は中森明菜さんや安室奈美恵さん、3年連続の浜崎あゆみさんなどがいますが、演歌で2年連続は細川たかしさんだけです。

特に演歌は「一曲当たれば一生食べていける」と言われるほど長く愛され続けるので、よりその価値も増すでしょう。

それだけではありません、更にその翌年の84年には浪花節だよ人生はレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、それまでの新人賞、大賞と合わせて3冠達成の偉業を成し遂げました。

いったい、いくつ“ワンモア”すれば気が済むんでしょうか。もうこうなると左うちわで、「曲を書いて持ってきなさい、私が唄ってあげるから。」くらいの心境でしょうね。

(実際本人が思っていたかどうかは別として。)

もう一つおまけに85年には紅白でも何度も歌唱した「望郷じょんから」がヒットしました。

それら数々の栄誉を讃え、故郷の北海道真狩村(まっかりむら)には89年に「細川たかしを讃える碑」が建てられ、94年には“唄う銅像”(手形のセンサーでヒット曲が流れる)「細川たかし記念像」まで創られました。

下の名前には(たかし)と、「たか」という音が入る“たかたかネーム”でもあります。

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この“たかたかネーム”は芸能人の中でもリスペクトされる方に多い名前なので、故郷に銅像が立つほどリスペクトされているのですね。

ただの“変な髪型のおじさん”なんて思ってたら大間違いですよ。

まぁレイザーラモンRGさんにその髪型をイジられても“こぶしたかし”という名前を与えるほど寛大な方なので大丈夫でしょうけど。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

ブログ版・ほんとにあったこわい話 「呪われた名前」

「名前の法則ろうそく」の世界へようこそ。

「ん?」

ここでは有名ゆうれい人の名前が持つ「音」に注目し、その共通点を見つけていきたいと思います。

 

「ちょっと!いつもの挨拶をなに1文字ずつ変えてるんですか!」

『最近「お名前死んだん」で死んだ人ばっかり扱ってるからだろ!』

「「お名前死んだん」じゃなくて「お名前診断」です!」

『そんなに死んだ人ばっかり扱ってたら、そのうち「知ってるつもり!?」みたいになるぞ!』

「今や「知ってるつもり!?」を知ってる人が少ないですけどね。」

『まぁいい、せっかく死んだ人ばっかり扱ってるこの機会に、俺が良い企画思いついたから。』

「良い企画?」

『そう、先々週の「オールスター感謝祭」風クイズに続くテレビ番組連動企画第2弾として、今回はブログ版「ほんとにあったこわい話」、略して“ほんたこ”をお送りします。』

「略し方間違ってます!それを言うなら“ほん怖(こわ)”でしょ!“ほんたこ”だと“本場のタコ”みたいになるから。」

『どう略そうと俺の自由だろ。』

「大体「ほんとにあったこわい話」の放送は先週だったでしょ?なんでテレビ番組連動企画って言いながらいつも1週遅れなんですか?」

『ほんとに放送当日にやったら「狙ってんな。」と思われるだろ!』

「って言うか勝手に“連動企画”って言ってるだけで、実際は何にも連動してないですからね。それに今日なんか他のブロガーはハロウィン特集みたいなのやって・・・」

『よそはよそ!うちはうち!』

「なんで母親みたいな怒られ方してんですか?」

『まぁいいから、とにかくお前が最近「お名前診断」で取り上げた人たちの名前を見てみろ。』

「えっ?最近取り上げたのは・・・

第271回 田村正和さん

第272回 津川雅彦さん

第273回 藤田まことさん

第274回 藤山寛美さん

第275回 渥美清さん

第276回 西城秀樹さん

第277回 尾崎豊さん

第278回 尾崎紀世彦さん

第279回 河島英五さん

第280回 やしきたかじんさん

第281回 北島三郎さん 

・・・ですけど。」

『お気づきだろうか〜?』

「いやそれ“ほん怖”じゃなくて、心霊が映ってるビデオとか扱う番組でしょ。」

『では読みがなを付けてもう一度ご覧頂こう。』

 

第271回 田村正和(たむらまさかず)

第272回 津川雅彦(つがわまさひこ)

第273回 藤田(ふじた)まこと

第274回 藤山寛美(ふじやまかんび)

第275回 渥美清(あつみきよし)

第276回 西城秀樹(さいじょうひでき)

第277回 尾崎豊(おざきゆたか)

第278回 尾崎紀世彦(おざききよひこ)

第279回 河島英五(かわしまえいご)

第280回 やしきたかじん

第281回 北島三郎(きたじまさぶろう)

 

『お分かりいただけただろうか〜?』

「だから番組のテイストが違うんですよ。」

『よ〜く見ると、ほら!』

「え?なんか共通点あります?」

藤田まこと以外は、全員「お」、「か」、「き」のどれかが入る“お・か・きネーム”なのだ!』

キャーッ!!(子供たちの悲鳴)

「いや無理矢理“ほん怖”っぽくしなくていいです!」

『そしてこの人たちはもう、全員この世にはいない!』

キャーッ!!

「そりゃここ何回か亡くなった人たちを集めて追悼特集やってましたから・・・いや北島三郎さんは生きてますよ!」

『そこで私は気づいたのです、「“お・か・きネーム”短命説」に!』

キャーッ!!

「キャーッ、もういいわ!津川雅彦さんは「か」に濁点が付いて「が」だから“お・か・きネーム”にならないでしょ?」

『本名は加藤(かとう)雅彦だから「か」が入るんだよ!』

「本名まで言います?それに短命って言っても、田村正和さんや津川雅彦さんは70代後半まで生きられましたし、天寿(てんじゅ)を全うされたと言える方もいらっしゃいますよ。」

西城秀樹は“新・御三家”の中で一番先に死んじゃったじゃないか!』

「まぁ(ごう)ひろみさんと野口五郎(のぐちごろう)さんは“お・か・きネーム”じゃないですねぇ。」

西城秀樹は本名の木本龍雄(もとたつ)にも「き」と「お」が入るんだぞ!』

「えーと本名は、郷ひろみさんは原武裕美(はらたけひろみ)で、野口五郎さんが佐藤 靖(さとうやすし)だから、どちらも「お・か・き」は入らないですねぇ。」

『それに、このリストを見ろ!』

不満有作が取り出した、恐怖のリストとは?・・・この後すぐ!

「え?CMいきました?」

「なんでCM挟んでるんですか?」

『お前も「オールスター感謝祭」風クイズの時にやってただろが!』

「あれは番組の雰囲気を出す為にですねぇ・・・」

『それに、このリストを見ろ!』

「CMの数秒前に戻ってる!」

『これは俺が以前書いた記事の中でも名前を挙げた、「自殺した芸能人」のリストだ!』

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「あぁ、このブログの黒歴史として封印してあったのに・・・」

 

沖雅也(おきまさや)

沖田浩之(おきたひろゆ)

古尾谷雅人(ふるやまさと)

田中実(たなみのる)

岡田有希子(おかだゆこ)

清水由貴子(しみずゆこ)

甲斐智枝美(いちえみ)

可愛(わい)ずみ

 

『ほ〜ら、俳優やアイドルだけでもみんな“お・か・きネーム”じゃないか。』

「否定する為に敢えて名前出しますけど、三浦春馬(みうらはるま)さんや竹内結子(たけうちゆうこ)さんは“お・か・きネーム”じゃないですよ。」

ウクレレ漫談の牧伸二(ましんじ)や、コントラッキー7ポール牧(ま)も“お・か・きネーム”だろ!』

パチン!

「私の眼の前で“指パッチン”しないでください!そのお二人はまあまあ長生きされたじゃないですか。」

『そんな事言うんなら、自殺じゃないけど“謎の死”を遂げたZARD坂井泉水(さいいずみ)はまだ若かっただろ!』

「あぁ、坂井泉水という名前は芸名で、本名は蒲池幸子(まちさちこ)と・・・本名にも「か」が入るなぁ。」

『どうだ?この“お・か・きネーム”短命説、真実味を増してきただろ?』

「いや名前に「お・か・き」のどれかが入る人なんていっぱいいるんで、たまたまだと思いますよ。」

『じゃあこれでトドメだ、このもう一つのリストを見ろ!

不満有作が取り出した、もう一つのリストとは?・・・この後すぐ!

「いやCMいいですわ!」

「どうでもいいけど、なんで眠ってるCMばっかりなんですか?」

『眠ってるみたいだろ?死んでるんだぜ、それ。』

「やめなさい!広告主さんから怒られるわ!」

『このもう一つのリストを見ろ!』

「また数秒前に戻ってる!」

『これは俺が別の機会に書いた記事の中でも名前を挙げた、「覚醒剤で捕まった芸能人」のリストだ!』

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「また黒歴史を引っ張り出す・・・」

 

勝新太郎(つしんたろう)

清原和博(よはらずひろ)

ASKA=宮﨑重明(みやざしげあ)

槇原敬之(まはらのりゆ)

赤坂晃(あら) ※元光GENJI

ピエール瀧(た)

酒井法子(さいのりこ)

小向美奈子(こむいみなこ)

沢尻(さわじり)エリ

 

『見ろ!みんな“お・か・きネーム”だろ。』

勝新太郎さん以外は亡くなってないから“短命”ではないでしょ?」

覚醒剤なんて身を滅ぼす危険なクスリなんだから、命を粗末にするという意味では同じだろ!』

「そんな強引な・・・」

樹木希林(きききりん)なんて「き」が3つも入るんだぞ!』

樹木希林さんは旧芸名が悠木千帆(ゆうちほ)で・・・「き」が入るなぁ。本名(旧姓)は中谷啓子(なたにけいこ)で・・・「か」が入るなぁ。いやクスリはやってませんでしたし、天寿を全うされたと言えるでしょ。」

『そんな事言うんならクスリはやってなかったけど、「お笑いマンガ道場」の川島なお美(わしまなみ) もまだ若いうちに死んじゃっただろ!』

「確かに川島なお美さんは癌に侵されながらも舞台に上がり続けたという意味では、命を粗末にするじゃないですけど、死をも顧みなかったと言えるんじゃないですかね。・・・て言うか、川島なお美さんの名前出すのに“お笑いマンガ道場の”ってやめてもらえますか?歳がバレますよ。」

『「アイ・アイゲーム」のほうが良かったかな?』

「大して変わんないです。・・・もう、有作さんがこうやって“お・か・きネーム”を不吉な“呪われた名前”みたいにするから、私が「自分に厳しいタイプです」ってフォローしないといけないんですよ。」

『お前が最近、田村正和から北島三郎まで死んだ人ばっかり扱うからこんな事になったんだろうが。』

「だから北島三郎さんは生きてますって!今もお元気で・・・なんか自身なくなってきたなぁ。とにかく、ハロウィンてもっと楽しい日なんじゃないんですか?なんでそんな日にまたこんな不吉な話を・・・?」

『「ハロウィン」は俺たちにとっちゃホラー映画なんだよ!』

「・・・この意味がわかるあなたは“アラフィフ”です。」

キャーッ!!

『以上、ブログ版「ほんとにあったこわい話」、略して“ほんアッコ”をお送りしました。』

「いや“本物の和田アキ子”さんみたいになってる!(それが一番こわいかも?)」

 

・・・という訳で名前に「お・か・き」のどれかが入る方、お気を悪くされたかも知れませんが、どうぞ気になさらず忘れてくださいね。

ただ「自分に厳しいタイプ」ですので、くれぐれも自分を追い込み過ぎないようご注意ください。

あと、こちらの本もよろしくお願いします。

(今回の様な「こわい話」は載っていません。)

『次回はテレビ番組連動企画第3弾、ブログ版「アッコにおまかせ!」をお送りします。』

「ウソです!やりませんよ!次回からの「お名前診断」は、ちゃんと生きてる人やります!」

北島三郎さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第281回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第281回目の今日は北島三郎さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとKITAJIMA SABUROとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。

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本名は大野穣(おおのみのる)といいます。

ローマ字で書くとONO MINORUとなり、

苗字の最後の文字「の」と、下の名前の最初の文字「み」、

フルネームの最初の文字「お」と、最後の文字「る」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

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北海道出身の大野穣少年は、高校生の時に函館で催された「NHKのど自慢」に出演し、鐘は2つしか鳴らなかったものの司会者から声を褒められた事で気を良くして歌手の道を目指し始めます。

高校を中退して上京し、流しをしながら作曲家の船村徹 (ふなむらとおる)さんに弟子入りして修行を積みました。

その間に下宿先のアパートの大家さんの娘と結婚したり、漫才コンビとしてステージに立つなど紆余曲折がありながら1962年、25歳の時に北海道(北の島)生まれの意味を込めて北島三郎という芸名をもらいデビューしました。

デビュー曲の「ブンガチャ節」は諸事情により放送禁止となりますが、2曲目の「なみだ船」のヒットにより一躍有名になります。

やはりなめらかネームの芸名をもらったのが良かったのでしょう。なめらかネームは男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいのです。

63年に「紅白歌合戦」に初出場、65年には兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の人」がたて続けにヒットして、演歌歌手としての地位を確立しました。

兄弟仁義」は映画化もされて自身も出演し、続編も制作されるなど一時は俳優としても活躍しました。なめらかネームは俳優運の強い名前でもあるのです。

歌手としては「紅白歌合戦」に連続出場を続けるものの新曲がなかなか大きなヒットにつながらない時期がありましたが、78年には「与作」がヒットして面目躍如を果たします。

この「与作」はなぜかゲーム化(「きこりの与作」)されるなどしてニ次的なヒットを生み、新しいファン層を獲得して更に知名度が上がっていきました。

またこの頃から原譲二(はらじょうじ)というペンネームを使い、自分の歌の作詞・作曲だけでなく弟子の山本譲二(やまもとじょうじ)さんや小金沢昇司(こがねざわしょうじ)さんたちに楽曲提供するという、シンガーソングライターの様な活動も始めました。

紅白歌合戦」で何度も歌唱した「まつり」もご自身の作曲によるものです。

 

ここで本名の大野穣(おおのみのる)というお名前を母音ではなく文字で見ると(おおる)と、「の」が2つ入る“ワンモアネーム”になります。

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この“ワンモアネーム”はだまさんや井上陽水(のうえようす)さん、松山千春(つやちはる)さんなど、シンガーソングライターとして成功した方に多い名前なのです。自分で唄って作詞・作曲も出来るのですから“ワンモア”な活躍と言えますね。

 

しかしこの方の最たる“ワンモア”な活動と言えば馬主としての一面ではないでしょうか。

きっかけは先輩歌手の春日八郎(かすがはちろう)さんに薦められたからだったそうですが、63年に始めたという事は2曲目の「なみだ船」がヒットした直後と考えると驚きです。

出場50回を機に「紅白」勇退をした後の2015年にキタサンブラックがG1で初優勝を果たし、50年以上にも及ぶ馬主生活が報われました。

当時「もうすぐ80歳になりますが、こんなに感動した事はない」と語ったそうで、「紅白」を勇退した分、歌手活動に使ってきた運がキタサンブラックに乗り移ったんでしょうかね。

 

つい先日、「岸壁の母」のヒットで知られる元歌手の二葉百合子(ふたばゆりこ)さんとのデュエット曲「栄枯盛衰」が発売されました。

今年85歳にして現役の歌手であり続ける姿勢は、本名の大野穣(おのみのる)に「お」が入り、60年名乗ってきた芸名の北島三郎(たじまさぶろう)にも「き」が入る“お・か・きネーム”故の、自分に対する厳しさの表れでしょう。

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ちなみに二葉百合子さんは御年90歳だそうで、合計175歳の奇跡のデュエットと言えます。

これからも高齢化社会の希望の星となって欲しいですね。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

やしきたかじんさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第280回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第280回目の今日はやしきたかじんさんです。

このお名前は芸名です。

本名は漢字で家鋪隆仁と書きますが、読み方は(やしきたかじ)です。

 

ローマ字で書くとYASHIKI TAKAJINとなります。

苗字の最後の文字「き」と、下の名前の最初の文字「た」、

フルネームの最初の文字「や」と、最後の文字「じ(ん)」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちです。

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大阪出身のやしきたかじんさんは大学生の頃に新聞記者か音楽家を志すも、会社を手伝わせようとしていた父に勘当され、京都に移り住む事となりました。

大学を中退し、アルバイトがてら祇園のクラブやスナックでギターの弾き語りをしていましたが、女性とお酒を飲みに来ているクラブやスナックの客が自分の歌をまともに聴いていない事に腹を立て、客に生卵をぶつけたりタバスコをかけたりする暴挙に出てしまう事がしばしばあったそうです。当然、店を次々とクビになっていきました。

そんな自暴自棄になっていたある時、客の1人から名刺を渡されます。その客とはキング・レコードの社員で、素行の悪さは別として歌の才能を見出されたのでした。

そして1976年にシングル「ゆめいらんかね」とアルバム「TAKAJIN」でデビューします。しかしすぐに売れる訳もなく、2年程続けて結果が出なかった為に一度は歌手を辞めようとしました。

丁度その頃に大阪のフェスティバルホールで開かれた音楽祭に、周囲の人たちに薦められて渋々出演し、「どうせならフェスティバルホールの舞台に少しでも長く立ちたいから」と、10分近くもある「ながばなし」という歌で参加するとこれが見事にグランプリを獲得し、歌手を続けるきっかけとなったのです。

ただ世間からは歌よりも“しゃべり”の才能を認められ、「ヤングタウン」などのラジオ番組に出演してファンを増やしていきました。

81年には空前の“ガンプラ”ブームに乗って制作された「機動戦士ガンダム」劇場版第1作の主題歌で谷村新司(たにむらしんじ)さん作詞・作曲による「砂の十字架」の歌手に選ばれ、これが初めての全国的なヒットとなりました。

しかし本人は気に入っておらず、「こんなもん、誰が唄っても売れる」と否定的でした。

全部ひらがな表記なのでそのまま文字で見ると、(やしじん)と、「か」と「き」の字が入るので自分に厳しくなる“お・か・きネーム”でもあります。

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自分の実力が評価された訳ではなかった(レコードジャケットにも自分の写真ではなく、主人公アムロ・レイのイラストが使われていた)事が不満だったのです。

本人の予想通り次の曲からは通常のセールスに戻り、結局歌手よりも関西のラジオDJとして有名になっていきました。普通は芸人が選ばれるはずの「日本放送演芸大賞」のホープ賞も受賞した程ですから。

その後レコード会社をビクターに移籍し、86年に発売した「やっぱ好きやねん」が関西でじわじわとヒットしてようやく軌道に乗り始めます。

「ICHIZU」「なめとんか」などが相次いでヒットし、関西でのコンサートやディナーショーは常に満員(前売り即完売)状態になっていきました。もちろん歌だけではなく、お客さんの半分以上は“しゃべり”を楽しみに来ていたでしょう。

歌も上手くて“しゃべり”も面白いとなると、当然東京キー局のテレビ・ラジオからも声が掛かる訳ですが、本人が根っからの関西人気質(東京の人間はつめたい、気取っているなどの思い込みが強い)である事と、番組制作に対する姿勢の違い(放送上のタブーも辞さないフリートークを基調としていた為、東京流の台本通りの進行にそぐわなかった)などから、関東および全国ネットの番組にはほとんど出演しませんでした。いわゆる“水が合わない”とはこの事でしょう。

93年に「東京」というタイトルの曲が60万枚を売り上げ自身最大のヒットとなりますが、この歌もやしきたかじんさんの“東京嫌い”を作詞家の及川眠子(おいかわねこ)さんが、「好きな人を追いかけて東京まで来たけれど、良かった事はその人に逢えた事だけ」という大阪の女性の心情にあてがえた様な内容でした。

東京の水に合わない分、逆に“どぎつい”のが好きな大阪では歯に衣着せぬ発言が受け、90年代は関西ローカルのテレビで「たかじんnoばぁ〜」「たかじん胸いっぱい」「たかじんWAN MAN」など冠番組が次々とスタートして軒並み高視聴率を獲得しました。

特に「たかじんnoばぁ〜」は深夜枠ながら最高25%を記録し、関西の視聴率男と呼ばれるまでになったのです。

ではやしきたかじんさんのローマ字表記をもう一度見て頂きましょう。

YASHIKI TAKAJINと、母音がア➖イ、ア➖イとジグザグになっていますね。

線で表すとダブルスラッシュ(//)の様に苗字と下の名前が斜めの平行線になるんです。

歴史上の人物では織田信長(ODA NOBUNAGA)も該当する事から、この様なお名前を“ノブナガネーム”と呼びます。

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この“ノブナガネーム”は浜崎あゆみさんや大谷翔平選手など桁違いの活躍をする可能性を秘めているので、やしきたかじんさんも(関西では)天下を獲ったという事でしょう。

テレビだけでなく普段から裏表のない性格の為に他人から好かれる存在で、笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)さんや藤山直美(ふじやまなおみ)さんなど、同じ関西の芸能人と親交が深かった事でも知られています。

また下の名前に(たかじん)と、「たか」という音が入る“たかたかネーム”でもあります。

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この“たかたかネーム”は芸能人の中でもリスペクトされる方が多いので、生前言いたい放題で暴言連発(放送出来ない為“ピー”が入る事が多々あった)にも関わらず、2014年に心不全により64歳で亡くなった後も冠番組はしばらくタイトルそのままで続けられたのです。

はっきり言って関東の方には馴染みがないかも知れませんが、関西では多くの人々に愛された歌手でありタレントでした。

今も生きていれば代わりに言いたい事を言ってくれるのではないかと思う反面、昨今のコンプライアンスでがんじがらめのテレビ界では魅力が半減してしまうのかとも思います。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

河島英五さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第279回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第279回目の今日は河島英五さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとKAWASHIMA EIGOとなります。

苗字の最後の文字「ま」と、下の名前の最初の文字「え」、

フルネームの最初の文字「か」と、最後の文字「ご」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちです。

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高校生の頃にフォークソングブームの影響を受けた河島英五さんは、高校卒業後にホモ・サピエンスというグループを結成し、1973年に自主レーベルながらレコードデビューを果たしました。

ジャンル的にはあまりメッセージ性のない曲を唄う“支離滅裂フォーク”と呼ばれていたそうで、あのねのねらと共に活動していた事からもその方向性が伺い知れます。

75年に河島英五ホモ・サピエンスとしてメジャーデビューするものの、大きな成果を上げられないまま解散し、河島英五さんはソロ歌手として活動を始めます。

その第1弾に選ばれたのは河島英五ホモ・サピエンスのデビューアルバム「人類」に収録されていた酒と泪と男と女でした。

この歌は河島英五さんが18歳の時、法事で100人以上集まった親戚が飲み食いする様子を見て作詞したもので、自身は未成年だった為に想像で「酒を呑むのでしょう」「静かに眠るのでしょう」となっていたのです。

当時萩原健一(はぎわらけんいち)さんもカヴァーしていましたが、清酒「黄桜」のCMソングに使われた事でロング・ヒットとなり、後々河島英五さんの代表曲となっていきました。

母音ではなく文字で見ると河島英五(わしまえいご)と、「か」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。

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グループが解散しても1人で活動を続けたところは自分に対する厳しさの表れでしょう。ただ前回の「お名前診断」で紹介した尾崎紀世彦(おざききよひこ) さんと違い、同じ文字が2つ入る“ワンモアネーム”ではありません。

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だからグループ時代は大きな成果が得られなかったという事でしょうね。

 

その後、山本寛(やまもとひろゆき)さんの曲をカヴァーした「野風増〜お前が20才になったら」や、阿久 悠(あく ゆう)さん作詞・森田公一(もりたこういち)さん作曲による「時代おくれ」などがヒットしましたが、自作の曲ではなかったのでおそらく歌唱印税しか入らず、シンガーソングライターとしてはやや不本意だったでしょう。

でも生前の河島英五さんがテレビの歌番組に出ていたのをご記憶の方は少ないのではないでしょうか。私に言わせればノーペアネームの為目立ちたがりではなかったという事になるのですが、「時代おくれ」の歌詞にもある「目立たぬように、はしゃがぬように」は河島英五さんの心情を見事に表していたのかも知れません。

河島英五さんは2001年、長女・河島あみるさんの結婚式に参列した後、肝臓疾患により48歳の若さで亡くなられています。

それでも河島英五さんの曲は昭和世代のカラオケソングの定番として、これからも末長く愛されていくでしょう。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。