矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

ちあきなおみさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第199回)※2020年8月26日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第199回目の今日はちあきなおみさんです。

このお名前は芸名で、本名は瀬川三恵子といいます。

 

ローマ字で書くとCHIAKI NAOMIとなり、苗字の最初と下の名前の最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味でリターンネームと呼びます。

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

4歳の頃から米軍のキャンプをまわって唄うほど歌が好きだった少女は、20歳の頃にレコード会社のオーディションを受け保留となりました。

橋幸夫(はしゆきお)さんやこまどり姉妹の前座歌手を務めながら1年4ヶ月のレッスンを受け、デビューの時を待ちます。

ちあきなおみという芸名の由来は、当時フジテレビのプロデューサーだった千秋予四夫(せんしゅうよしお)さんという方の苗字を“ちあき”と読ませ、坂本龍馬の諱(いみな)であった直柔(なおなり)から取って“なおみ”としたそうです。かなり複雑で引用した方も2人とも男性というなんとも不可解なネーミングです。

1969年、21歳の時に「雨に濡れた慕情」で歌手デビューしましたが、その時のキャッチフレーズも「苗字がなくて名前が二つ」だったそうで、そこを売りにする辺り面白みを狙って名付けられたと思われます。

本名の原形も留めておらず、リターンネームになったのも偶然でしょう。

なお本名の瀬川三恵子というお名前をローマ字で書くと

SEGAWA MIEKOとなり、同じ母音のペアが出来ない“ノーペアネーム”です。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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とは言えそんなに悪い名前とも思えませんが、何か完全な芸名にしなければならない理由でもあったのでしょうか。

いずれにせよ偶然リターンネームになったお陰か、ヒット曲運が開花していきます。

デビュー2年目に発売した「四つのお願い」がヒットして紅白歌合戦にも出場し、歌手としての知名度が上がっていったのです。

 

そしてその2年後、喝采という運命の1曲と出会います。

この歌は主人公の女性歌手がステージに上がっていた時に訃報が届き、意中の男性が亡くなった事を知るという悲しい歌でしたが、ちあきなおみさんが情感を込めて唄い上げた事で感動を誘い大ヒットしました。ちあきさんの実体験に基づいて作られたのではないかという噂もありましたが、あながち当たらずも遠からずで、前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死したという経験をしていたのです。

ちあきさんはおそらくその方を思い浮かべながら唄っていたのでしょう。思い入れも強かったこの歌が年末には日本レコード大賞を受賞して、歌手人生の代表曲となります。

その後続いた「劇場」「夜間飛行」などの楽曲は“ドラマティック歌謡”とも呼ばれました。

 

そんなヒット曲もありながら本人は意外とひょうきんな一面もあり、「元祖どっきりカメラ」や「欽ちゃんのドンとやってみよう!」などのバラエティー番組にも出演していました。

リターンネームはバラエティー運もある名前なのです。

単に出演していただけなら“運”と言うほどではないでしょうが、「元祖どっきりカメラ」の出演が縁で俳優の宍戸錠(ししどじょう)さんから実弟の俳優郷鍈治(ごうえいじ)さんを紹介され、78年に結婚したのです。

芸能人同士の結婚、普通なら女性が引退するのが相場でしょうが、ちあきさんはヒット曲もある有名な歌手、郷鍈治さんは端役ばかりの無名な役者だった為、結婚後は郷鍈治さんが芸能界を引退し、ちあきさんの個人事務所を設立して社長兼マネージャーとなりました。

ちあきさんもヒット曲を追うのではなく、自分の唄いたい歌にじっくり取り組みたいと、マイペースで活動を続けるようになります。紅白歌合戦の連続出場も8年で途絶えてしまいました。

 

結婚から10年後、レコード会社の移籍を機に歌手活動を本格的に再開し、「NHK歌謡パレード’88」の番組オリジナルソングとして唄った紅とんぼ」が好評となり、11年振りに紅白の舞台に返り咲きます。

89年には初のミュージカルにも挑戦し、好評につき再演が行われるなど、再び充実の時を迎えたかに見えましたが、92年に夫の郷鍈治さんが肺がんの為55歳でこの世を去ってしまいます。

人生最大の伴侶を失ったショックは大きく、郷さんが荼毘(火葬)に付される時、ちあきさんは棺にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したそうです。

まるで「喝采」の歌詩の様に、歌手として生きながら最愛の人を亡くしたちあきさんは、その後全ての芸能活動を休止し、人前に姿を表していません。

運命に翻弄された歌手ちあきなおみは、元の瀬川三恵子という1人の女性に戻っていったのです。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。