勝手にお名前診断 (第255回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第255回目の今日は郷ひろみさんです。
このお名前は芸名です。
(今週の流れで何故郷ひろみさんかと言うと、255回目で“ゴーゴー”と語呂合わせになるからです。まぁ何となくファンキーな男性歌手つながりという気がしないでもないか。)←これは読んで貰わなくてもいいひとり言です。
ローマ字で書くとGO HIROMIとなります。
苗字の「ごう」と、下の名前の最初の文字「ひ」、
フルネームの最初の文字「ご」と、最後の文字「み」の母音が違います。
この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。
“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちです。
本名は原武裕美といいます。
ローマ字で書くとHARATAKE HIROMIとなり、
苗字の最後の文字「け」と、下の名前の最初の文字「ひ」、
フルネームの最初の文字「は」と、最後の文字「み」の母音が違います。
本名も“ノーペアネーム”ですね。
デビューのきっかけは、家族で映画を見に行った帰りにフォーリーブスのマネージャーからスカウトされたという説と、15歳の時に近所の女性が勝手に応募した映画出演のオーディションに落選したものの、審査員のジャニー喜多川さんに惚れ込まれて超VIP待遇でジャニーズ事務所に入ったという説があります。
最初はフォーリーブスのコンサートにバックダンサーとして同行していました。
その時フォーリーブスのファンから「レッツゴーひろみ!」と声援を受けた事と、フォーリーブスの次なるスターとして、4(フォー)より多い5(ごう)で行こうとなったのが芸名の由来と言われています。
1972年1月、大河ドラマ「新・平家物語」で先に俳優デビューした同じ年の9月に「男の子女の子」で歌手デビューも果たしました。
先にデビューしていた野口五郎(のぐちごろう)さんや西城秀樹(さいじょうひでき)さんと共に新・御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りをしたのです。
しかしこの方の芸能活動は、私に言わせればかなり不安定だったと言わざるを得ません。
まずデビューから3年後の1975年にジャニーズ事務所を退所して、バーニングプロダクションに移籍します。
この件についても郷ひろみさんがジャニー喜多川さんの寵愛に反発したという説もありますが、実際はバーニングプロダクションから持ちかけたヘッドハンティングの様なものだったらしく、当時は今よりはるかに小さい事務所だったジャニーズ側が引き止めきれなかったという説が有力な様です。
ジャニー喜多川さんは体調を崩す程のショックを受けたそうで、フォーリーブスの江木俊夫(えぎとしお)さんも後年、
「ジャニーズ事務所に1番大きな利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんの1番の理想のアイドル像は郷ひろみだった。」と述べています。
よく歌番組などで取り上げられる「ジャニーズアイドル栄光の歴史」に郷ひろみさんが含まれないのは、そういった早期退所の経緯があったからなのですね。
70年代中期は「アイドル水泳大会」の花形スターとして西城秀樹さんと毎回トップ争いをして盛り上げ、ミスター水泳大会とまで呼ばれていました。
81年にはラテン調の「お嫁サンバ」を「🎵1、2、サンバ、2、2、サンバ、」と陽気に唄っていました。
目立つのが好きなタイプかと思いきや、82年に「哀愁のカサブランカ」が「ザ・ベストテン」にランクインした時、
「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由で、ランキング形式の歌番組の出演をすべて拒否する様になるのです。(後年明らかになる事ですが、「お嫁サンバ」の歌詞も抵抗があったそうです。)
よって84年に発売した「2億4千万の瞳」もランキング形式ではない「夜のヒットスタジオ」などでしか唄っていません。ただ「ジャパ〜ン!」と元気に唄っていた印象はあります。
そして86年には芸能活動を一旦休止してニューヨークに滞在します。そこが仕事でニューヨークに行ったリターンネームの久保田利伸さんとの違いですね。
その間に女優の二谷友里恵(にたにゆりえ)さんと結婚して新居まで構えましたが、89年にはその住居を売り払い、日本に帰ってきて芸能活動を再開しました。
ね、芸能活動もプライベートも安定していないでしょう。
93年に「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」が「2億4千万の瞳」以来9年ぶりのヒットとなり、翌94年の「言えないよ」と95年の「逢いたくてしかたない」はバラード3部作と呼ばれてロングヒットしました。
歌手としての人気再燃かと思われましたが98年に二谷友里恵さんとの離婚を発表、その告白本「ダディ」は皮肉にもバラード3部作を凌ぐミリオンセラーとなり、スキャンダルで人気再燃となってしまったのです。
それでも99年にはリッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」をカバーした「GOLD FINGER ’99」がスマッシュ・ヒットします。
その頃にはもう44歳でしたが、何かが吹っ切れたかの様に「ア〜チ〜チ〜、ア〜チ〜!」と元気に唄っていました。
この方の場合、芸名の“郷”という苗字でかなり得をしてきたと思われます。
何故って英語で「進む」という意味の“GO”と同じ音なんですよ。
そのお陰でデビュー曲の「男の子女の子」から歌の合間に「GO!GO!」と声援を受け、「2億4千万の瞳」や「GOLD FINGER ’99」などでは自身で自分の名前を「ゴー!」と叫んで盛り上げていましたからね。
芸名がなめらかネームではないので俳優運は良くないのか、90年に「刑事貴族」に途中参加して以来連続ドラマの主演はありません。
本名・芸名ともリターンネームではないせいか話し上手な訳でもなく、バラエティーもアイドル時代の「カックラキン大放送」以来レギュラー出演はほとんどありません。
テレビに急に出なくなったり40歳を過ぎてから再ブレイクしたりと、やはり安定しているとは言い難いものがあります。
あと歌のジャンルも様々で方向性が安定しないという感じもありますね。
まぁ100曲以上もシングルを出しているので致し方ないところでしょう。
何せ芸歴が長い方なのでまだまだ語り尽くせないのですが、今回はここまでにしたいと思います。長い間応援しているファンの方にとっては不充分かつ不愉快な内容だったかも知れません。どうか「なかったコトにして」下さい。
この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。