勝手にお名前診断 (第283回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第283回目の今日は森進一さんです。
このお名前は芸名です。
ローマ字で書くとMORI SHINICHIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。
“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。
本名は森内一寛といいます。
ローマ字で書くとMORIUCHI KAZUHIROとなり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。
この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
生まれつきリターンネームの男性は、歌が上手くなるか楽器が演奏出来るようになるなど、音楽性が高くなる性質があります。
10歳の時に両親が離婚して母子家庭となり、母の故郷・鹿児島から家計を支える為に大阪へ集団就職した森内一寛少年は、少しでも高い賃金を求めて様々な職を転々としながらも18歳の頃に素人参加の歌番組で優勝し、チャーリー石黒(いしぐろ)さんにその才能を認められて渡辺プロダクションに所属する事となります。
芸名はその渡辺プロ創業者である渡辺晋(わたなべしん)さんの“晋”を同音の“進”に替え、本名の苗字と下の名前から1文字ずつを取って、森進一となりました。ちなみにその名付け親はクレージーキャッツのハナ肇(はじめ)さんだったそうです。
元は普通の声でしたが、チャーリー石黒さんがそれでは個性が弱いと声をつぶすように説得し、1966年に「女のためいき」という曲でデビューしました。
かすれ声で女心を唄う新人男性歌手は異質な存在であり、世間から“ゲテモノ”扱いをされる事もありましたが、2年目の「命かれても」「盛り場ブルース」などが着実にヒットを続け、3年目の68年には「花と蝶」でついに紅白歌合戦に出場します。
翌年には「港町ブルース」でレコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞し、2回目の出場となる紅白では22歳の若さで白組のトリを務めました。
なお、その回の後攻・紅組のトリ(大トリ)は美空(みそら)ひばりさんで、まだ出場2回目の森進一さんをトリに推薦したのも美空ひばりさんだと言われています。要は対戦相手に選ばれたという事ですね。
続く70年には「銀座の女」、71年には「おふくろさん」のヒットで3年連続のトリを務め、紅白の常連になりました。
◉演歌歌手ではなく“流行”歌手
森進一さんと言えば演歌歌手というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、本人はそう呼ばれる事を快く思っておらず、「いい音楽であればどんなジャンルでも自分の世界に取り込みたい」という信念から、自身を“流行”歌手と表現しています。
その言葉通りフォークソングの騎手吉田拓郎(よしだたくろう)さんが作曲した「襟裳岬」や、シティ・ポップと称される大瀧詠一(おおたきえいいち)さん作曲の「冬のリヴィエラ」などを唄い、演歌以外でも見事にヒットを飛ばしました。
本名がリターンネームなので歌が上手い為にどんなジャンルでも唄いこなせ、下の名前には(かずひろ)と「か」の文字が入る“お・か・きネーム”なので自分に厳しく、演歌歌手として成功しただけでは満足出来なかったのでしょう。
◉歌手の遺伝子
1986年、それまで社会福祉活動「じゃがいもの会」にも共に参加していた歌手仲間の森昌子(もりまさこ)さんと“2度目の”結婚をしました。(1度目は女優の大原麗子(おおはられいこ)さん)
当時は“森さん”同士の結婚として大きな話題になったものです。(実際は森昌子さんも芸名で本名は森田昌子(もりたまさこ)だったので“森さん”同士ではない)
「名前の法則」的に見ると森昌子さんは芸名・本名ともリターンネームなので、本当に歌が上手い同士の結婚と言えるでしょう。
やがて2人の間に3人の男の子が生まれました。
現在、長男の森内貴寛(もりうちたかひろ)さんはロックバンドONE OK ROCKのボーカルTakaとして、
三男の森内寛樹(もりうちひろき)さんもロックバンドMY FIRST STORYのボーカルHiroとして大活躍しています。
ちなみに二男の森内智寛(もりうちともひろ)さんはテレビ東京の社員として働いています。
3人とも森進一さんの本名、一寛の“寛”が入ったリターンネームか“なめらかネーム”ですが、歌手にならなかった智寛さんだけが“お・か・きネーム”ではありません。
“寛”を受け継いでもお・か・きネームを受け継がなかった事が分かれ道となったと考えると、非常に興味深い事由です。
ともあれ3兄弟のうち2人が歌手になった事は、遺伝子云々よりも両親の姿を見て育った影響が大きかったでしょう。子守唄もハスキーボイスの格別なものだったのかも知れません。
2000年代に入ってからは森昌子さんとの離婚、C型肝炎やうつ病による入院、更には「おふくろさん」の歌詞をめぐってのトラブルなど災難にも見舞われましたが、デビュー50周年を迎えた2015年には紅白歌合戦連続出場48回の記録を打ち立てて(2019年に五木ひろしさんに破られるまでは最長記録)、紅白を勇退しました。
およそ半世紀に渡って大晦日の夜を唄い上げた日本を代表する演歌、いえ“流行”歌手なのです。
この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
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これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。