勝手にお名前診断 (第135回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第135回目の今日は寺尾聰さんです。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとTERAO AKIRAとなり、
苗字の最後の文字「お」と、下の名前の最初の文字「あ」、
フルネームの最初の文字「て」と、最後の文字「ら」の母音が違います。
この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。
しかし文字で見ると「ら」が2つ入っています。
この様なお名前を“ワンモアネーム”と呼びます。
この“ワンモアネーム”は、バンド(グループ)でも成功してソロ歌手としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。
寺尾聰さんは若い頃いくつかのグループを渡り歩いていて、ザ・サベージというグループでも活動していました。
「いつまでも いつまでも」「この手のひらに愛を」の2曲がヒットするも、寺尾聰さんはすぐに脱退して別のグループ、ザ・ホワイトキックスに加入します。しかしそのグループもシングル1枚を出しただけで解散と、実に不安定な日々を送っていたのです。
ザ・サベージもザ・ホワイトキックスも“リターンネーム”でなかった上に、寺尾聰さん自身もノーペアネームだった為に安定しなかったのですね。
しかしその後すぐに、石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さん製作・主演の映画「黒部の太陽」で俳優デビューしました。
これをきっかけに石原裕次郎門下(俗に言う石原軍団)の若手有望株としてテレビドラマを中心に活躍するようになります。
当初は三枚目の役を演じる事もありましたが、「大都会PARTⅢ」や「西部警察」などではサングラスを掛けてニヒルな刑事役を演じ、二枚目路線に転向しました。
◉3曲集中ヒット
寺尾聰さんはザ・ホワイトキックス解散後もソロ歌手としてシングルをポツポツと(3〜4年に1枚くらい)リリースしていましたがヒットには至りませんでした。
しかし「西部警察」出演中はここぞとばかりにシングル3枚を連続リリースします。
そして連続リリース第3弾となった「ルビーの指環」が大ヒットし、「ザ・ベストテン」では12週連続1位の新記録まで打ち立てたのです。
するとあまり売れていなかった第1弾の「SHADOW CITY」や第2弾の「出航 SASURAI」まで相乗効果でヒットし、3曲同時にベストテン入りした週もありました。
「ルビーの指環」はその年の「レコード大賞」も受賞し、その後の歌手活動も華々しいものになるかと思われましたが、次の曲がリリースされた頃には「西部警察」も終了していたせいか、予想をはるかに下回る売れ行きとなってしまいました。
以降もヒットが続かず、寺尾聰さんは音楽活動を休止して俳優に専念するのですが、この著しい不安定さはやはりノーペアネームの性質がそうさせたのでしょうか。
◉父から受け継いだ縁
1つ言い忘れていましたが、この方も「二世タレント」にあたります。
お父さんは宇野重吉(うのじゅうきち)さんという俳優で、舞台・映画・ドラマと幅広く活躍された方でした。
石原裕次郎さんとも映画で共演するなど親交があり、その縁で寺尾聰さんを「黒部の太陽」の出演者に選んだのでしょう。その縁が無ければ俳優・寺尾聰は誕生していなかったかも知れず、「ルビーの指環」もヒットしていなかったかも知れません。
実際、レコード化の前に石原プロの社長であった裕次郎さんと専務に聴いてもらった所、専務が「こんな(お経みたいな)曲売れる訳がない」と言ったのに対し、裕次郎さんが「いいんじゃないの」と言ってくれたお陰でレコード化が決まったそうです。
寺尾聰さんの芸能人生は父である宇野重吉さんと、昭和の大スター・石原裕次郎さんに支えられていたんですね。
近年は再び俳優として存在感を放ち、2001年の映画「雨あがる」と、2005年の「半落ち」で2度のアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。その後現在までもドラマで重厚な役を演じています。
歌手ではグループからソロでワンモア、俳優ではアカデミー賞をワンモアと、このワンモアネームの特性を活かしきっている方ですね。
この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
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これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。