矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

たまの「さよなら人類」は木星に着いていない!〈雑記Week⑤〉

今週はいつもの「お名前診断」をお休みして雑記Weekをお送りしています。

 

一応名前にまつわる話や、有名人やヒット曲にまつわる話、あと最近テレビを見ていて思った事など、芸能人の方の名前も最低1人は何処かに入れて、ブログのタイトルから逸脱しすぎないようにするつもりです。

 

5回目のテーマは

たまの「さよなら人類」は木星に着いていない!です。

 

『🎵今日〜人類がはじめて〜、木星についたよ〜、って唄ってたじゃないか?』

「あれは皮肉なんですよ。」

『皮肉?』

 

まぁこの歌に関しては既にネット上でも様々な憶測が飛び交っていてそれぞれの解釈がある様ですし、発売から30年も経っているんで「今さらかよ!」と思われても仕方ないですが、私なりの解釈を書いていきたいと思います。

 

ネット上でもほとんどが「人類滅亡」をテーマにした恐い歌として位置付けられている様で、私の解釈もそこは同じなのですが、他の方の解釈を見て思うのは恐い歌と位置付けているあまり、強引に戦争や文明破壊に関わる言葉に置き換えている様に思えるのです。

 

あまり細かく引用すると「無断で転載した」とかややこしい話になりそうなんで、ざっくりと一例を挙げると、「野良犬」「ペガサス」など正規の歌詞に登場する動物を実在の国名に置き換えて世界戦争を彷彿させたり、

「牛を忘れた牛小屋」という部分を“戦争でゴーストタウン化した街”って解釈したりしているんです。

いや非難する訳じゃないですけど、強引過ぎませんか?

元の「牛を忘れた牛小屋」っていう歌詞もよく分からないですけど、牛小屋をゴーストタウンって解釈するのは「人類滅亡」に引っ張られ過ぎでしょ?

『なに?今回はネット民に対する攻撃か?』

「いやそんなつもりは毛頭ないですけどね。」

 

作詞した元たま柳原幼一郎(やなぎはらよういちろう)さんも「あまり深い意味はない」って言ってるのに、勝手な解釈が飛躍し過ぎてて「誰もそこまで言ってないでしょう。」って感じなんです。

 

何故そうなるかと言うと、無理して歌詞全体に解釈を付けようとしているからなんですね。元々の歌詞をある程度ご存知の方はお分かりだと思いますが、結構難解というか意味不明な部分が多いんですよ。それらに全て解釈を付けようとするから強引になるんです。

 

そこで私は全体の難解な部分の解釈は他の方にお任せして「ここだけは言いたい」という部分だけに絞りました。他の方から見ると「浅いな。」と思われるでしょうが、「こういう解釈もあるんだ」と軽い気持ちで見て頂くだけで結構です。

 

◉大事なのはほんの一部

 

ポイントはサビと2番の歌詞なんですが、まず2番の歌詞にこんな一節があります。

『🎵冬の花火は強すぎて、ぼくらの体はくだけ散る〜、』

この冬の花火はほとんどの方が核兵器の事だと捉えている様ですね。そこは私も同じです。ただ花火=核兵器と直結させている方が多く、“冬の”の意味がないがしろにされている様なんです。

私はこの“冬の”に意味があるんじゃないかと考えました。

「花火はいつやる物ですか?」

『そりゃ当然“夏”だろ?』

その通り、本来夏にやるべき花火を冬にやるという事は、使い方を間違えているという事です。

使い方を間違えた花火。花火は火薬を使うので花火=火薬としましょう。

使い方を間違えた火薬。火薬を使う物にダイナマイトがあります。

使い方を間違えたダイナマイト。

ダイナマイトは元々鉱山などの固い岩盤を破壊して、土木工事の安全性を向上させる為に(諸説あり)科学者のノーベルが発明した物です。

それを人類は戦争の道具に利用するという間違った使い方をし、開発を重ねて核兵器まで作りあげました。

すなわち“冬の花火”とは使い方を間違えたダイナマイト=核兵器なんです。

「ここまで解釈してやっと“冬の花火”=核兵器なんですよ!」

『結論は一緒なのね。』

 

そして問題はサビの部分です。

『🎵今日〜、人類がはじめて〜、木星についたよ〜、』

「はいストップ!」

この歌詞を見ると科学が進歩して木星に到達した事を能天気に喜んでいる様にも思えますが、実は表題の通り木星には着いていないんです。

 

木星は端的に言うと、表面温度がマイナス140度のガスで覆われた星で、生命が住む事はまず不可能と言われています。

先程の核兵器の使用により、地球が生命の住めない様な星になってしまった。

つまりこの歌詞は、地球が木星の様な生命の住めない星になってしまった事を、皮肉を込めて「はじめて木星についた」と例えているのではないでしょうか?

何故なら上記の通りマイナス140度の地に降り立ったところで、「🎵ついたよ〜」と喜んでいられないですからね。

だから何も本当に木星についた訳じゃなく、地球を木星の様な星にしてしまったという例え(比喩表現)なんです。

『続き唄っていい?』

「あ、(忘れてた。)どうぞ!」

『🎵ピテカントロプスになる日も〜、近づいたんだよ〜、』

「そして最後の部分!」

『🎵猿に〜なるよ〜、』

 

この“猿になる”という部分も私なりの解釈をしますと、

核兵器の使用により、これまで人類が築き上げてきた文明が破壊されてしまった。

文明社会と共にあった事で尊厳を保ってきた人類が、文明を失う事で人間としての尊厳を失ってしまった。

「文明を持たない人間など、猿同然である。」

つまりここでも本当に猿になる訳ではなく、文明がリセットされた事で猿同然になる、という意味です。

 

そして、人類が猿から進化したというダーウィンの進化論が正しいと仮定して

(実は間違っていたとか矛盾しているとかいう話はこの際抜きにして)

 

猿→アウストラロピテクスピテカントロプスネアンデルタール人→ヒト

 

猿からヒトへの進化の系図を文字だけで大雑把に書くとこんな感じです。

 

この系図で見ると、猿になったという事はこれからピテカントロプスになる。

つまり「ピテカントロプスになる日も近づいた」という事ですね。

 

「猿に逆戻りした」とかいうネガティブな表現を使わず、猿になった事で「ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ」と、皮肉を込めながらもポジティブに表現しているんです。

 

まとめますと、“冬の花火”(使い方を間違えたダイナマイト=核兵器)の使用により、地球が木星の様な生命の住めない星になってしまった。人類は文明を失って猿同然になった事でピテカントロプスになる日も近づいた。

だから「さよなら人類」なんです。

 

何も全編強引な解釈をしなくても、これら要点だけで充分意味が通じるし、合点がいくでしょう。簡単な部分だけ切り取った都合の良い解釈と思われるでしょうが、無理な解釈はもはや妄想ですからね。

 

「いやぁー、これをどこかで言いたいとずっと思ってたんで、言えてスッキリしました。ブログってやっぱりいいもんですね。」

『こんな事、いつから考えてたんだ?』

「この歌が流行った頃ですから、30年前なんで20代前半ですかね。」

『若い頃からひねくれ者だったんだな。』

「昔から歌詞の意味を深く考えるのが好きだっただけです。探究心旺盛と言ってもらえますか。」

 

今回も本の告知はしないでおこうかと思いましたが、まだまだ自粛生活長引きそうですし、連休どこも行く予定がないという方にこちらの本をお薦めします。

これからもたまにヒット曲の歌詞を考察していくつもりです。

『“たま”だけにってか?』

「あ、そんなつもりで言ったんじゃないのにぃ。」

 

ではまた次回をお楽しみにー。