矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

ZARD(坂井泉水さん)(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第250回)※2021年1月28日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人(一組)ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第250回目の今日はZARD坂井泉水さんです。

坂井泉水というお名前は芸名です。

 

本名は蒲池幸子といいます。

ローマ字で書くとKAMACHI SACHIKOとなり、

苗字の最後の文字「ち」と、下の名前の最初の文字「さ」、

フルネームの最初の文字「か」と、最後の文字「こ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は活動が「不安定」になりがちです。 

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一度はOLとして就職したものの、倉木麻衣(くらきまい)さんのお父さんで映画監督などもしていた山前五十洋(やまさきいそみ)さんにスカウトされて芸能界に入り、本名の蒲池幸子名義でモデルやレースクイーンとして活動していました。

モデルやグラビアアイドルなど、女性が水着になる仕事(身体で稼ぐ仕事)に強いのはなめらかネームです。

蒲池幸子というノーペアネームの本名のままで活動していたせいかモデルとして日の目を見る(売れる)事はなく、セミヌードの写真集を出すなど『脱ぐ』一歩手前までいっていました。(売れなかったからこそその写真集を買った人が少なく、現在でもオークションサイトでは高額で取引きされているのです。)

 

そんな中で「歌手になりたい」という気持ちが捨てられず、事務所の代表取締役からビーイング社長の長戸大幸(ながとだいこう)さんを紹介され、B.B.クイーンズのコーラス隊(後のMi−Ke)のオーディションを受けました。

本名を母音ではなく文字で見ると(まちさちこ)と、「か」の字が入っています。

この様な名前を“お・か・きネーム”といい、自分に厳しくなる方が多いのです。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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また(かまこ)と、「ち」が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

無名のモデルのままでは終わりたくない、歌手としてもう一つの道にチャレンジしたいと思う気持ちが強かったのでしょう。 

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そこで合格はしなかったものの、長戸大幸さんに歌の上手さを見出され準備中だったプロジェクトのメンバー候補に選ばれたという訳です。

 

そして1991年、シングルGood-bye My Lonelinessでデビューしました。

ZARDというユニット名はカタカナにすると「ザード」となり、「名前の法則」的に見ると最初と最後の母音が違うのでグループ存続期間が長くなる“リターンネーム”にはなりません。

ほとんどテレビに出ないグループに多い“ノーリターンネーム”です。

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由来は「Lizard」(トカゲ)、「Hazard」(危険) 、「Blizzard」(吹雪)などのマイナス要素を持つ単語がロックのイメージに繋がるとして、プロデューサーの長戸大幸さんが付けたと言われています。

最初はギター、ベース、ドラム、キーボードもいるれっきとしたバンドとして「ミュージックステーション」に出演した事もありましたが、いつの間にか坂井泉水さんのソロプロジェクトになっていました。

よって他のメンバーの名前は割愛し、ZARD坂井泉水さんとして診断します。

ローマ字で書くとSAKAI IZUMIとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。 

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“なめらかネーム”の女性歌手は男性顔負けの男らしい歌や、スケールの大きな歌を唄うと成功する反面、恋愛の歌をヒットさせるのは難しいというジンクスがあります。

しかしZARDのヒット曲には男女の恋愛を唄ったものがたくさんありました。

それは坂井泉水さんの名前がZARDというユニット名に隠れていたからと考えられます。

これこそ“なめらかネーム”の女性歌手がジンクスを破り、恋愛の歌をヒットさせる事が出来る裏技なのです。

(同じタイプにEvery Little Thing持田香織(もちだかおり)さんがいます。)

せっかく坂井泉水という芸名を付け、ほぼソロ活動だったのにZARDという名義を使い続けたのは、プロデューサーやレコード会社の偉い方々の頭の中で、無意識の内に「この名前では恋愛の歌をヒットさせるのは難しい」と感じたからなのかも知れません。

 

1993年、負けないでのPRの為「ミュージックステーション」に出演したのを最後に、歌番組には一切出演しなくなりました。本人が極度の上がり症だった為、特に生放送の番組には向かないという理由もあったそうですが、やはり“ノーリターンネーム”のグループはテレビとの相性が良くない様です。

芸名を母音ではなく文字で見ると(さかいいずみ)と、「い」が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

ワンモアネームはグループで成功してソロとしても成功するという特性もあります。

最初はバンドだったZARDがソロユニットに移行したのですから、グループで成功してソロでも成功したとも考えられますね。

テレビには出なくても揺れる想いポカリスエットのCMソングに、マイ フレンドはアニメ「スラムダンク」のエンディングテーマに起用されて大ヒットします。

またアルバムも9作でミリオンヒットを記録と、90年代を代表する女性アーティストとなりました。

しかし芸名にも(さいいずみ)と、「か」の字が入る“お・か・きネーム”なので自分に厳しくなり、ZARDの楽曲の作詞はほとんど自身で担当し(他のアーティストにも提供していた)、レコーディングにも妥協を許さず、ほぼスタジオで生活する様な日々が続いていたのです。

(お気づきでしょうか?本名も芸名も文字で見るとワンモアネームでありお・か・きネームでもあるんですね。偶然とは言え芸名を名乗る様になっても本質は変わらなかったと考えられます。)

そんなスケジュールが祟ったせいか2000年を迎えた頃から体調を崩し始め、活動も途絶えがちになります。

2006年には子宮頸癌が発覚し、入院して手術を受けました。手術は成功したものの1年後に肺に転移していた事が分かり再入院となります。

 

そして2007年5月27日、入院先の病院で高さ約3メートルの場所から転落し、後頭部強打による脳挫傷の為、40歳の若さでこの世を去ったのです。

 

亡くなった後、多くのヒット曲を提供した織田哲郎(おだてつろう)さんや、親友でもあった同じビーイング所属の歌手:大黒摩季(おおぐろまき)さんらが列席し「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」と題した音楽葬が催されました。

ベスト盤などのアルバムも今だにセールスを続けています。

今年2月6日(坂井泉水さんの誕生日)にはデビュー30周年を記念して「ONLINE HANABI SHOW」なるイベントが配信されました。

坂井泉水さんの歌声は、人々の心に「永遠」に生き続けるでしょう。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。