今回はヒット曲の歌詞を検証・考察する特別企画です。
以前に雑記Weekの一環として、たまの「さよなら人類」やDA PUMPの「U.S.A.」などの歌詞を考察する企画をお送りしていましたが、
今回はそれらに続く第3弾として、この時期になるとテレビからもよく流れてくるあの歌を検証・考察していきたいと思います。
『いやぁ〜春だなぁ〜。』
「卒業シーズンですねぇ。」
『「卒業」と言えば斉藤由貴(さいとうゆき)の「卒業」だな。』
「やっぱりその世代ですか。」
『今日は「3月9日」だけど、俺たちにとっちゃレミオロメンより斉藤由貴だよ。』
「私も学生時代の1985年に斉藤由貴さんがこの歌でデビューしたのでほぼドンピシャの世代なんですけど、当時から何かこの歌には違和感を感じていたんですよ。」
『違和感ってなにが?』
「歌詞は卒業式当日や、卒業を目前に控えた男女の“あるある”が散りばめられているんですけど、主人公の女性が学生にしては大人過ぎるというか、悟りすぎてるというか・・・。」
『悟り過ぎてる?』
「はい、私も当時男性(主人公のおそらく彼氏)側の立場からこの歌詞に感情移入しようとしたんですけど、彼女にしては将来の事が予測出来過ぎてるんですよ。しかも少し冷めたドライな部分もあって冷静過ぎるし、目線もかなり客観的と言うか一歩下がって見てる感じなんですよね。」
『何が言いたいんだ?』
「要はこの歌の主人公、男性の彼女じゃなくて母親なんじゃないかと・・・」
『そんな馬鹿な!俺はずっと彼女目線の歌だと思って生きてきたんだぞ!』
「私も最初はそう思ってたんですけど、それだとどうも腑に落ちない点が多過ぎるんですよ。それに一昔前だったら特に思春期は母親に反抗する男子が多かったですけど、最近は仲の良い母子が多いって言うじゃないですか。まるでデート感覚で一緒に買い物に行ったりする様な・・・。」
『確かに俺が若い頃は「お母さん大好き!」なんて思いもしなかったもんな。』
「だから私が感じていた違和感も、昔の母親と男の子には当てはまらなかった為で、この歌は時代を先取りして最近の母子の関係を描いていたんじゃないかと思ったんです。」
そこでこんな仮説を立ててみました。
斉藤由貴の「卒業」は母親目線の歌だった!です。
『こんな大胆に言い切っちゃっていいのか?』
「あくまで仮説ですよ。この歌の主人公が彼女じゃなく母親だと仮定すると辻褄が合ってくるんです。」
ではその歌詞を検証してみましょう。
作詞は希代のヒットメーカー、松本隆(まつもとたかし)さんです。
制服の胸のボタンを 下級生たちにねだられ
頭かきながら逃げるのね 本当は嬉しいくせして
まず唄い出しのこの部分、今はもう少なくなったのかも知れませんが、当時は制服の胸のボタンを女子からねだられるのがモテる男子のあるあるでしたね。
これはまさしく卒業式当日の様子なんですが、もし自分の彼氏あるいは意中の同級生だとしたら、下級生からボタンをねだられてるのを見て「本当は嬉しいくせして」って余裕があり過ぎるんですよ。
この歌の主人公が彼女か同級生だとしたら、まず一番に「私が欲しい」ってなると思うんです。
『相場は心臓(ハート)に一番近いって事で第二ボタンだったな。』
そう、その第二ボタンが下級生に取られそうになってるのに、その様子をやや遠目から余裕で見ているんです。彼女か同級生だと到底不自然に思える描写なんですが、これが母親だとしたら遠目から余裕で見ているのも納得出来るんですよ。
まずここがひとつです。次の部分は・・・
人気ない午後の教室で 机にイニシャル掘るあなた
やめて想い出を刻むのは 心だけにしてとつぶやいた
これは私の想像ですけど、卒業式が終わって一緒に帰る約束をしていた息子が「ちょっと待って。」と教室に戻り、自分の机にイニシャルを掘った。教室に入るのを躊躇った母親は窓の外からその様子を見てつぶやいたのではないかと思います。
『これは同級生でも不自然じゃないだろ。』
いや同級生だったら一緒に教室に入れますし、なんだったら「私もやろう」って自分も机にイニシャル掘るんじゃないかと。
『そんなハッピーな娘じゃなくて、きっと悲観的(ネガティブ)な娘なんだよ。』
だとしても同級生なら直接「やめて」って言えると思うんですよね。この主人公は直接言わずに一人でつぶやいてる。しかもイニシャルを掘るのがあまり意味のない事だと、まるで自分の経験上でわかっているかの様なんです。これも母親だとしたら辻褄が合う。
そして次の部分、
離れても電話するよと 小指差し出して言うけど
守れそうにない約束はしない方がいい ごめんね
ここで私は更に想像を膨らませて考えてみました。この小指を差し出しているのは息子の同級生の女子で、(この後の歌詞にある通り)彼が東京へ行く事を知っているので「離れても電話するよ」と約束をしようとしている。ところがそれを見ていた母親が間に割って入り、その女子に「ごめんね」と言ったのではないかと。
『どういう状況?』
つまり母親は息子が東京へ出て有名な大学へ進学する事がわかっている。勉強で忙しくなるだろうから、もし本当に電話してきたらおそらく長話になって勉強の邪魔になるだろうから「ごめんね」と。
『いや小指を差し出してるのは男(彼氏)で、「ごめんね」と言ってるのが女子(彼女)だろう。』
いえいえ、これも卒業する当事者(若い学生)同士なら、「うん、絶対電話するよ!」ってなると思うんですけど、そんな約束は「守れそうにない」とドライなんですよ。
まるで、私も自分の卒業式の時はその場の雰囲気でそんな約束したけど、実際には電話なんてした事ないなぁなんて、これも自分の経験上でわかっているかの様なんです。これも母親目線だとしたら辻褄が合う。
『強引に母親目線の歌にしようとしてないか?』
「そう解釈したほうがこの後の歌詞も自然なんですよ。」
歌詞はこう続きます。
セーラーの薄いスカーフで 止まった時間を結びたい
だけど東京で変わってく あなたの未来は縛れない
『「セーラーの薄いスカーフで」つってんだから、これはどう見ても彼女目線だろう?』
「待ってください、何も“自分の”スカーフとは言ってないですよね?」
『はぁ?』
「卒業生たちの誰かから借りてでも結びたいって事かも知れないし、何だったらタンスの奥にしまってある自分の学生時代のスカーフ引っ張り出して来てでも・・・」
『やめてくれ、歌のイメージが壊れる・・・』
そもそも止まった時間を結ぶなんて不可能な事を言っている詩的な表現ですから、明確でなく誰のスカーフでもいいんですよ。ただこの時間を止められるアイテムがあるとしたら、セーラー服のスカーフしかないんじゃないかと思っている訳です。
でもきっと東京で変わってくあなた(息子)の未来までは縛れないと・・・
そしてサビの部分、
あぁ卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう
でももっと哀しい瞬間に 涙は取っておきたいの
『卒業式で泣くのは当事者の学生達だけだろう。』
「いやいや、これも私達世代とは事情が違うんです。」
Z世代と言われる25歳以下(およそ1997年以降生まれ)を対象に「卒業式のあるある」を聞いたアンケートでは「親が泣く」が7位に入っていました。
つまり最近は卒業式に参加して、子供の成長した姿に感極まり(そこまで育ててきた苦労も思い返しながら)涙を流す親が増えているんです。
『俺の高校の卒業式なんて、母ちゃん見に来もしなかったぞ!』
私の時も何人か見に来ていた親がいたかも知れませんが、ごく少数だったと思います。
でも今はあるあるで「親が泣く」が7位に入るほど、親が卒業式に参加するのが当たり前になってきているんです。
だから母親も「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう」なんです!
もしこの部分の歌詞が当事者である卒業生の心境だとしたら、女子は特に大半が泣いているのに一人だけ泣いてなかったら、冷たい人と言われるよりもポツンとなりますよ。それでいて「もっと哀しい瞬間に涙は取っておきたい」って冷静過ぎやしませんか。
まるで卒業の別れ以上に哀しい別れがある事を知っているかの様で、大人の考えとしか思えないのです。
『人前でうまく感情表現が出来ないから泣けないのかも知れないぞ。』
「まだ納得していない様ですね。では2番の歌詞も分析してみましょうか。」
席順が変わりあなたの 隣の娘にさえ妬(や)いたわ
いたずらに髪をひっぱられ 怒ってる裏ではしゃいだ
おそらくこの部分の描写だけなんですが、主人公は卒業式当日ではなくそれまでの日々を回想しています。
『席替えの後で隣になった娘に嫉妬してるんだから、これは間違いなく彼女目線だろう。』
「いやこれも母親目線に当てはめられます。何故なら、母親は授業参観に何度か来ていたんです。」
最近では息子と仲が良いどころか“溺愛”する母親もいる様で、息子の隣になった娘に嫉妬していたとしても不思議ではありません。
『百歩譲ってそうだとしてもよぉ、いたずらに髪をひっぱられて怒ってるんだぜ。いくら仲が良くても授業参観に来た母親の髪はひっぱらねぇよな。』
「確かにこの部分、そのままでは母親目線に置き換えるのは無理がありますね。」
『だろ?』
「でも、こうも考えられませんか?」
ひとつは、授業参観に来た母親が自分の学生時代の記憶を思い出している。
『まぁ考えられなくもないけどなぁ。』
そしてもうひとつ、松本隆さんが倒置法を使った可能性があります。
『倒置法?』
「後半部分を“娘(こ)”の前に持ってくると全く意味の違う文章になるんです。」
実際にやってみましょう。
席順が変わりあなたの隣の いたずらに髪をひっぱられ 怒ってる裏ではしゃいだ 娘にさえ妬いたわ
これで髪をひっぱられたのは当人ではなく、隣の娘だという事になります。
『でも「怒ってる裏ではしゃいだ」は当人の感情だろ?』
「もう!〇〇君たらー!」なんて言いながらもはしゃいでる娘の様子が見てとれたのかも知れませんよ。
ただこの順序だとどうしてもメロディーに乗せにくい。だから倒置法を使ったんじゃないかと。
『発想が飛躍し過ぎじゃねぇか?』
「あくまでそういう解釈も出来ますよという話ですから。」
歌詞も終盤に入ってきました。いよいよ確信的な部分が見られます。
駅までの遠い道のりを はじめて黙って歩いたね
反対のホームに立つ二人 時の電車が今引き裂いた
「はいここ!おかしいですよね?」
『どこがよ?』
もし彼女か友達だとしたら、何度も駅まで一緒に帰るチャンスはあった筈でしょう。三年間も一緒に過ごしてきて、卒業式の日に初めて一緒に帰るってあり得ないでしょ。
『いつもは二人で喋りながら帰ってたけど、黙って歩いたのが初めてだったって事じゃないの?』
「いつもは喋っていた?うまく感情表現が出来ない娘がですか?」
『いや、そういう感情とまた違ってだなぁ。』
「ここも母親なら辻褄が合うんです!」
駅までの道のりをはじめて歩いたのなら、授業参観の時は先に帰ったけど、卒業式で初めて息子と一緒に帰る母親のほうが理に叶っている。だからここも母親の目線なんですよ。
『でも親子で反対のホームに立つって、帰る方向が違うのおかしいだろ?』
「母親はこの後パートに行くんでしょう。」
『ホントかよ!?』
息子を東京の大学に通わせる為、かなりの学費が必要になるんです。
『父親は何の仕事してるんだよ?』
「旦那さんとは2年前に離婚しています。」
『複雑な事情!・・・いやそんな設定聞いてなかったぞ!』
「あれ?言ってませんでしたっけ?授業参観は午後からだったので先に帰らないといけなかったけど、卒業式は午前中で終わるから駅までは一緒に帰れる。でも一旦家に帰るほどの余裕はないからパート先へ直行するって。」
『細か過ぎるわ!』
「この歌詞からそこまで読み取らないと。」
そしていよいよ2番のサビです。
あぁ卒業しても友だちね それは嘘ではないけれど
でも過ぎる季節に流されて 逢えない事も知っている
ここでは息子に同級生の女子が「卒業しても友だちね」と話しかけている。確かに嘘ではないけれど、逢えない事も知っていると・・・
『うんうん・・・』
「知っている」んですよ!
『うわービックリした!急にデカい声出すなよ!』
「これでもう確定ですよね?」
『なにが?』
これがもし彼女の心情だとしたら「逢えないかも知れない」という仮定の表現になる筈です。だって未来の事なんですから。
『まぁはっきりとは言い切れないわな。』
でもこの主人公は逢えない事も“知っている”と言っています。これは自分が高校を卒業した後、社会へ出てから学生時代の友達とは逢えなくなったという実体験がないと“知っている”とは言えません。
それを“知っている”と言えるのは何故か?
そう、この歌の主人公が母親だから、なのです。
これで斉藤由貴さんの「卒業」の歌詞に秘められた謎はすべて解けました。
『謎じゃないのよ、お前が勝手に謎を解いたみたいに言ってるだけで。』
皆さんもこの歌を母親目線の歌だと仮定して聞き直してみてください。
今までとはまた違った歌に聞こえてくる、筈です。
今回の内容は載っていませんが、まだまだ絶賛発売中のこちらの本もよろしくお願いします。
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ではまた次回をお楽しみにー。