矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

松本伊代さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第221回)※2020年10月4日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第221回目の今日は松本伊代さんです。

このお名前は本名です。

(結婚後は姓が“小園”になりましたが、旧姓のまま活動しています。)

「名前の法則」的見地とは、画数ではなく母音で名前を診断する方法ですので、分かりやすくする為にローマ字にしてみましょう。

ローマ字で書くとMATSUMOTO  IYOとなります。

苗字の最後の文字「と」と、下の名前の最初の文字「い」、

フルネームの最初の文字「ま」と、最後の文字「よ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が「不安定」になりがちです。 

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松本伊代さんは中学3年生の時に原宿でスカウトされて「たのきん全力投球!」の田原俊彦(たはらとしひこ)さんの妹役オーディションに合格し、1981年10月にセンチメンタル・ジャーニーでデビューしました。

サビの「伊代はまだ16だから」という自分の名前が入る歌詞のインパクトで、アイドルのデビュー曲としてはなかなかのヒットとなりましたが、やはり本人以外が唄うと不自然になるという難点もあり、誰からも愛される程の歌にはなり得ませんでした。その点は“リターンネーム”ではなかった故のヒット曲運の弱さでしょう。

厳密には81年デビューなのでいわゆる“花の82年組”には該当しない筈なのですが、音楽賞レースにノミネート出来る新人は「前年10月から当年9月までにデビューした歌手」だった為、82年組の1人として数えられていたのです。

 

ちなみにデビューから数曲までの間、松本伊代さんの後ろで踊っていた2人組の名前はキャプテンと言い、後に麻生真美子(あそうまみこ)&キャプテンというユニット、更に2人だけでBe−2(ビーツー)という名前で再デビューしましたが、どの名義もリターンネームではなかった為かヒット曲には恵まれず、長続きもしませんでした。

グループ名もリターンネームのほうがヒット曲に恵まれる傾向があるのです。 

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松本伊代さんは人気アイドルとしてバラエティー番組から「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などの歌番組にも出演して大活躍し、高校卒業後は短大に進学して女子大生となりました。

現役女子大生という事で「オールナイトフジ」の司会を担当しましたが、ある日自身のエッセイ本を紹介する時に「どんな事が書いてあるの?」と聞かれ、「まだ読んでないので分かりません」と答えてしまいます。

忙しさのあまりゴーストライターに任せきっていた事と、嘘でごまかせないバカ正直さがバレてしまったのですが、それでも名前を母音ではなく文字で見ると(まつもといよ)と、「まつ」が入る“まつ入りネーム”になります。

古来より物の価値を松・竹・梅の3段階で評価していた日本人にとって、「松」という文字を見たり、「まつ」という音を聞いたりするだけで潜在的に高級感を感じてしまう傾向があるのです。

だから人気アイドルの地位を維持し続ける事が出来たのでしょう。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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93年には番組での共演がきっかけで知り合ったヒロミさんと結婚しました。当時はまだアイドルとお笑いタレントのカップルが少なかったので大変話題になったものです。

ヒロミさんの本名が小園浩己(こぞのひろみ)なので結婚後の本名は小園伊代(こぞのいよ)とリターンネームになりました。そのせいか以前よりバラエティーへの出演時に、笑われる事への抵抗が少なくなった気がします。

最近では料理や家事などの不手際ぶり(天然ぶり)がヒロミさんの口から語られるので、その場にいなくても存在感がありますね。

 

“なめらかネーム”ではなかったので女優業ではほとんど注目されず、主婦になってからもアイドルから女優へ肩書きが変わるという事もないままここまで来ました。

🎵伊代はまだ56だから〜、いや、伊代はまだアイドルなのです。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

中尾彬さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第220回)※2020年10月1日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第220回目の今日は中尾彬さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとNAKAO AKIRA となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”はバラエティーに強い名前です。 

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千葉県出身の中尾彬さんは、高校生の時に書いた油彩画が千葉県美術展に入選するなど、優れた芸術的才能を持っていました。

一方で俳優に対する憧れもあり、当時の大スター・長谷川一夫(はせがわかずお)さんの門を叩いたところ、「高校を出てからまたここに来なさい」とあしらわれます。

余談ですが高校の先輩・前田禎穂さん(後の千葉真一(ちばしんいち)さん)が日本体育大学在学中に教育実習で来ていたのに、中尾彬さんは授業をよくサボっていました。理由は特になくただ反抗したかっただけだそうですが、運動にはあまり興味がなかったんでしょうね。

大学は武蔵野美術大学の油絵学科に進み絵の勉強に勤しみながらも、日活のニューフェイスにも合格して、単発ながらテレビドラマの主演まで経験した事から俳優の仕事への意欲も高まり、絵の勉強の為に大学を中退してフランスへ留学までしたものの、帰国後は俳優の道へ進む決意をしました。

ある劇団の研究生として入団した後、1964年に加賀(かが)まり子さん主演の映画に出演して本格的なデビューとなりました。

その後映画やドラマに数多く出演しますが、俳優向きのなめらかネームでなかった為か、なかなか主役の座には選ばれません。

75年にようやく「本陣殺人事件」で金田一耕助役に選ばれ映画初主演を果たしますが、東宝東映などの大手映画会社ではなく、ATGという小さな映画会社の作品だった為に宣伝費用がかけられず、折しも76年の「犬神家の一族」で横溝正史金田一耕助)ブームが訪れる前だった為に世間からは注目されませんでした。

リターンネームは俳優運がやや弱い名前なのです。

そしてこれが現在に至るまで唯一の映画主演作なんですねぇ。テレビでも先述の単発ドラマ1本のみで、本格デビュー後は脇役に徹してきました。

母音ではなく文字で見ると(なかおら)と、「お」と「か」と「き」が3文字とも入るパーフェクトな“お・か・きネーム”です。

この名前タイプは自分に厳しくなる方が多いので、脇役中心でも俳優を続けてこられたのでしょう。(斜体文字が加筆した部分です)

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プライベートでは女優の茅島成美(かやしまなるみ)さんと1度目の結婚をしていましたが、池波志乃(いけなみしの)さんとの共演がきっかけで不倫関係に陥り5年で離婚し、その後池波志乃さんと再婚しました。

堺正章(さかいまさあき)さん主演の「西遊記」では孫悟空の行く手を阻む夫婦の妖怪役として、また時代劇などでも何度か夫婦共演を果たしています。

 

ただ相変わらず悪役を中心に脇役ばかりで、そんな生活に業を煮やしたのか90年代頃からは「役者が出る物ではない」と敬遠していたバラエティー番組にも出演する様になります。

同じ頃、昔からの盟友(くされ縁)の江守徹(えもりとおる)さんもバラエティーに進出してきた事で共演する機会が多くなり、2人の討論(いがみ合い)が面白いと話題になりました。

ネクタイが嫌いでマフラーをぐるぐる巻き(ねじねじ)にしていたら、それがお洒落だと言われて自分でも気に入り、以後トレードマークになって他のタレントからもいじられる様になります。

低音の渋い声もモノマネされたり、池波志乃さんとのおしどり夫婦ぶりも話題になるなど、何もかもがバラエティー向きに好転し始めたのです。

そういう運もあってすっかり味をしめた中尾彬さんは、バラエティーを中心に御意見番的ポジションで大活躍する様になりました。

考えてみれば夏場の猛暑の中、あるいは冬場の極寒の中ロケに行かなくていい。何時間も撮影の間待たなくていい。時代劇の様なかつらも被らなくていい。エアコンの効いた快適なスタジオの中で座って喋ってりゃお金が貰える、となれば俳優の仕事よりはるかに楽だと思いますわな。(これは中尾彬さんが仰っていた訳ではなく私の勝手な想像です。)

それでもちゃんと俳優としての仕事も絶える事なく、ベテランの演技力で重厚な役どころを抑えています。

強面の渋い俳優さんでもバラエティーの顔となる事があるんですねぇ。こればっかりはやってみないと分かりませんから、好き嫌いせず何でも挑戦すると良い事もあるというお手本の様な方ですね。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

稲川淳二さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第219回)※2020年9月30日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第219回目の今日は稲川淳二さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとINAGAWA  JUNJI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”はバラエティーに強い名前です。優れたトーク力が備わっている方は、声だけの仕事にも強くなります。 

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東京渋谷区の恵比寿に住んでいた稲川淳二さんは、幼少期は地元でガキ大将的存在でしたが、ある日麻布に住んでいた同い年の安岡力也(やすおかりきや)さんと公園で遭遇し、ボッコボコに叩きのめされた事で子分になりました。正にジャイアンのび太の様な関係だったそうです。

中学進学後に疎遠となっていた安岡力也さんとは芸能界で再開し、亡くなるまで交流は続きました。

専門学校卒で工業デザイナーの職に就きながら舞台俳優としての活動を始め、28歳でラジオ「オールナイトニッポン」の2部(深夜3時〜5時)に出演したのがメディアデビューとなります。

ここで本名も見てみましょう。本名は稲川良彦(よしひこ)といいます。

ローマ字で書くと INAGAWA  YOSHIHIKOとなり、

苗字の最後の文字「わ」と、下の名前の最初の文字「よ」、

フルネームの最初の文字「い」と、最後の文字「こ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

ここまではノーペアネームの不安定さが出ていると言えますね。 

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そこから徐々にテレビのバラエティーに進出すると、貧乏で不健康そうな顔立ちがキャラクターとなり様々な番組に出演しました。特に「オレたちひょうきん族」ではワイヤーで吊られた状態でペンキの海に漬けられ、魚拓ならぬ人拓を取るという身体を貼った芸で人気を博し、「悲惨だなぁー。」や「喜んで頂けましたか?」などお決まりのセリフも生み出してレギュラーとして活躍したのです。

いま思えばダチョウ倶楽部出川哲朗(でがわてつろう)さんらリアクション芸人の元祖だったのかも知れません。

ちなみにダチョウ倶楽部の3人(肥後克広さん・寺門ジモンさん・上島竜兵さん)と出川哲朗さんもノーペアネームです。(斜体文字が加筆した部分です)

 

◉怪談よりゾッとする話

 

1985年8月12日、稲川淳二さんは仕事で大阪に向かう予定でしたが、当日は立つ事も辛いほど体調を崩していた為に飛行機の予約をキャンセルし、翌朝一番の新幹線で移動するようスケジュールを変更しました。

 

なんとそのキャンセルした便こそ、悪夢の墜落事故を起こした日本航空123便だったのです。

 

一方で稲川さんの友人は私用で大阪に向かう際、羽田空港への到着が早かった為にキャンセル待ちでその便に搭乗して犠牲になったそうです。

奇跡的に命拾いをした稲川さんは「生涯忘れられない出来事」として、生き延びた事のありがたみを感じながら俳優業などにも取り組むようになりました。

 

そして1986年「オールナイトフジ」で語った怪談話が恐いと評判になり、以降カセットテープやCD、ビデオや書籍などあらゆる形で怪談をリリースするうちに、すっかり怪談の語り手として有名になりました。

これもリターンネームで長く活動した事で身に付いた話術の賜物と言えるでしょう。芸名を名乗っているうちにその名前でいる時間が長くなる為、その特性まで身に付く事があるのです。

93年頃からは「ミステリーナイトツアー・稲川淳二の怪談ナイト」というライブを夏から年末にかけて全国をまわって行い、今やライフワークとなっています。

あの「嫌だなぁー、恐いなぁー。」というフレーズも、リアクション芸人時代の「悲惨だなぁー。」が元になっていると思うのは私だけでしょうか。

 

さて、そろそろ怪談の季節になりましたねぇ。

稲川淳二の怪談ナイト」、今年も始まっていますよ。恐い話がお好きな方は是非どうぞ。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

三宅裕司さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第218回)※2020年9月28日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

218回目の今日は三宅裕司さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとMIYAKE  YUJI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”はバラエティーに強い名前です。優れたトーク力が備わっている方が多く、声だけの仕事にも強くなります。(そうでない方は、面白い事を言っているつもりは無くても何故か面白く映るという、得な性質もあります。) 

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東京生まれ東京育ちの三宅裕司さんは、母親の影響で幼い頃から三味線や日本舞踊を習い、中学時代から落語やバンド活動を始めるなど、常に人前に立つ事に興味を持っていました。

大学でも落語研究会に所属し、卒業後は喜劇役者を目指して小さな劇団を転々とします。

その頃に行動を共にしていた小倉久寛(おぐらひさひろ)さんらと、1979年に劇団スーパー・エキセントリック・シアター(通称SET)を旗揚げするのです。

ただ、三宅裕司さんの名前を世に知らしめたのは84年に始まったラジオ番組「三宅裕司ヤングパラダイス」で、そこで学生時代から落語で培った話術を発揮して注目され、テレビのバラエティーに進出する様になったのです。

先程挙げたリターンネームの声だけの仕事に強い性質がまず活かされたのですね。

SETの雰囲気をテレビに持ち込んだコント番組「大きなお世話だ!」に始まり、「テレビ探偵団」や「いかすバンド天国」では司会も担当しました。

更にラジオ「ヤングパラダイス」の人気コーナー、「恐怖のヤッちゃん」が映画化されて自身も俳優として出演するなど(小倉久寛さんも出演していました)、ノリに乗っていた時期でした。

決して二枚目ではなく、俳優や司会者といった雰囲気もない方なので(失礼)、ほぼ話術だけで掴み取った地位と言えるでしょう。

母音ではなく文字で見ると(みやけゆうじ)と、下の名前に「ゆう」が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。 

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このタイプは俳優業で大成功する可能性を秘めています。

三宅裕司さんの場合、大成功という程ではなかったかも知れませんが、何処にでもいそうな(さえない)お父さんの役で一時期はたくさんのドラマに出演していました。

司会に俳優にと大活躍でしたが、唯一難を言えばリターンネームは司会者運がやや弱く、単独で司会を任される事が少ないのです。

「テレビ探偵団」では山瀬(やませ)まみさんや西田(にしだ)ひかるさん、

いかすバンド天国」では相原勇(あいはらゆう)さん、

夜もヒッパレ」ではマルシアさんや中山秀征(なかやまひでゆき)さん、

どっちの料理ショー」では関口宏(せきぐちひろし)さん、

など代表的な番組はほとんど隣に誰か他のタレントがいる共同司会の形でした。

元々SETでスタートした頃から小倉久寛さんと常に“ニコイチ”的な雰囲気もありましたし、司会に起用するテレビ局側も、1人で任せるのは不安だと思われていたのかも知れません。

 

ついでと言っては何ですが、小倉久寛さんの名前をローマ字にしてみると、

OGURA HISAHIRO となり、こちらもフルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」なので

“リターンネーム”になるんです。

三宅裕司さんほど雄弁なタイプではありませんが、いるだけで面白く見える存在感でバラエティー運の強さを発揮するタイプと言えるでしょう。

文字で見ると(おぐろ)と、「ひ」が2文字入る“ワンモアネーム”でもあるので、SETや三宅裕司さんとも離れた所での個人活動も(意外と)よく見る印象があります。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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先日70歳(古希)の誕生日を迎えた三宅裕司さん、さすがに全盛期ほどの活躍ぶりはなくなりましたが、今でもBSなどではレギュラー番組を持っていますし、座長を務める熱海五郎一座(もちろん小倉久寛さんもいる)のお芝居も続けています。

ルックスはさえないお父さんでも、リターンネームの「口で稼ぐ」性質を地で行く様な方なのです。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

陣内孝則さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第217回)※2020年9月28日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第217回目の今日は陣内孝則さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとJINNAI TAKANORI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”はバラエティーに強い名前で、お喋りが上手い(よく喋る)方が多いのが特徴です。 

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福島県出身の陣内孝則さんは、婚礼家具などを製造する木工所「陣内木工」の長男として生まれながらも家業は継がず、高校時代から音楽に目覚めてザ・ロッカーズというバンドを結成しました。

マチュアながら5年間活動を続けた(他のメンバーは流動的に入れ替わった)後、メジャーデビューを果たして上京するも、日の目を見る間もない内にメンバーが仲違いして解散してしまいます。

おそらくザ・ロッカーズというバンド名が、グループの活動期間が長くなるリターンネームではなかった為に、メンバーの入れ替わりがあった末の解散という事態になってしまったのでしょう。

解散後陣内孝則さんはソロとしてしばらく活動を続けるものの、なかなかヒットには恵まれませんでした。リターンネームはロック歌手にはあまり向かない名前なのです。

しかし音楽活動を続けていたお陰で「爆裂都市 BURST CITY」という映画(ロックバンドに熱狂する若者たちと警察部隊との抗争を描いた近未来SFアクション)の主役に抜擢されました。

本来ならロック歌手として一旗上げたかった陣内さんでしたが、そこからは売れるなら何でも良いとプライドを捨て、俳優の道に突き進んでいきます。

1986年に放送された倉本聰(くらもとそう)さん脚本のドラマ「ライスカレー」に出演して注目を浴び、翌87年の映画「ちょうちん」ではヤクザの主人公を演じてブルーリボン賞の主演男優賞を受賞しました。

そして88年の「君の瞳をタイホする!」で連続ドラマ初主演の座に着くと共に、トレンディドラマの顔となったのです。

その後も「愛しあってるかい!」で奔放な教師を演じ、コミカルな役にも挑戦していきました。

“なめらかネーム”ほど俳優向きではありませんが、リターンネームは俳優業にも充分対応できる名前です。ただやはり話し好きの性質が強いので、バラエティーに出演した時には芸人ばりにトークに力を入れます。それが功を奏して「ハッピーバースデー!」などバラエティー番組の司会まで担当する様になりました。

せっかく掴んだ俳優の品格を下げかねない行為ですが、下の名前に「たか」という音が入る“たかたかネーム”でもあるので、馬鹿馬鹿しい事をやっても何故かリスペクトされる傾向があります。だから俳優の仕事もメインで持続しているんですねぇ。 

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90年から91年、更に2014年にもザ・ロッカーズを再結成させていますが、母音ではなく文字で見ると(じんないたかのり)と、残念ながら同じ文字が2つ入る“ワンモアネーム”ではありません。なので個人では成功してもグループでも成功とまではいかない様です。

 

もしバンド名がリターンネームだったら売れていたか長く続いたかも知れない。

本名がなめらかネームだったらロック歌手として成功していたかも知れない。

ワンモアネームだったら個人でもグループでも成功していたかも知れない。

・・・と、色々残念な点も多い方ですが、売れないロッカーからここまでのし上がったのですから大したものです。

最近では陣内智則(じんないとものり)さんの活躍によりお笑い芸人と間違えられる事も増え、またまた残念な点が増えてしまいましたが、それも自虐ネタに出来るほど強いメンタルの持ち主なので大丈夫でしょう。

むしろ“おいしい”と思っているかも知れません。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

大泉洋さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第216回)※2020年9月27日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第216回目の今日は大泉洋さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとOIZUMI  YO となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

(下の名前は平仮名で書くと“よう”となるので、最後の母音が「ウ」だと思われがちですが、「よ」を伸ばしている音ですので、カタカナで書くと“ヨー”となり、最後の母音は「オ」という事になります。)

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”はバラエティー運の強い名前です。

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北海道出身の大泉洋さんは、2浪して入った大学が本来志望していた大学とは違った為に落ち込んで、「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起して演劇研究会に入りました。

そこで森崎博之(もりさきひろゆき)さん、安田顕(やすだけん)さん、

戸次重幸(とつぎしげゆき)さん、音尾琢真(おとおたくま)さんら、

後にTEAM NACSとなるメンバーと出会う事となったのです。

もし志望通りの大学に入っていたらTEAM NACSはおろか、俳優・大泉洋も誕生していなかったかも知れません。

リーダーの森崎さんの薦めで出演した舞台を、北海道でタレント謙放送作家として活動する鈴井貴之(すずいたかゆき)さんに認められてテレビに出演するきっかけとなります。

それが「水曜どうでしょう」というバラエティー番組でした。そこで大泉洋さんの喋りが面白いと評判になり、北海道の人気者となっていったのです。

おまけにTEAM NACSの公演にも大泉さん目当ての(演劇にはほぼ関心の無い)お客さんが集まり始めました。

リターンネームはバラエティー運が強い前に、トークが上手くなる名前でもあるんですねぇ。「水曜どうでしょう」は深夜枠ながら2桁台の高視聴率を獲得し、北海道以外の地域からも番組が買われて放送された事で人気は全国に拡がっていきました。

そして1999年、PUFFYの2人が出演していた「パパパパパフィー」に不定期出演する様になり、全国ネットの番組にも進出していきます。

 

母音ではなく文字で見ると(おおいずみよう)となります。「お」が2文字入っているので“ワンモアネーム”と言いたいところですが、厳密には「お」を伸ばしている長音(ちょうおん)なので1音です。これでは“ワンモアネーム”とは言えません。

どうしましょう?では全てカタカナにしてみましょう。正にワンモアチャンスです。

するとどうでしょう、“オイズミヨ”となり、「ー」(伸ばし棒)が2つ入る“ワンモアネーム”になるじゃありませんか。「オー」「ヨー」と、どちらもオの段の音を伸ばしているので同じ音という事になりますしね。(斜体文字が加筆した部分です)

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“ワンモアネーム”はグループで成功して個人でも成功するという特性がある名前なので、TEAM NACSの一員としても成功して個人でも成功したという事でしょう。

 

バラエティーで名が知られる事となった大泉洋さんでしたが、本職は俳優です。2005年に放送された「救命病棟24時」で全国ネットの連続ドラマに初出演を果たすと、「ハケンの品格」では篠原涼子(しのはらりょうこ)さんに次ぐ準主役として注目を浴びました。

それからと言うもの、ドラマや映画に出演を重ね、押しも押されぬ人気俳優となります。(しかもほぼ主演クラス)

面長で天然パーマというコンプレックスもあり、決して二枚目ではありませんが、バラエティーで獲得したファンが増えていったのが大きな要因と考えられます。シリアスな作品でも何か面白い事をやってくれそうな期待感があるのでしょうね。

リターンネームなので俳優運はやや弱い名前かと思いきや、もう一度文字で見ると(おおいずみよう)と、苗字の最後が「み」で下の名前の最初が「よ」なので、「よ」を小さくすると「み」とくっ付いて「みょ」という拗音(ようおん)になります。

この様なお名前を、苗字と下の名前がくっ付きやすい事から“ジョイントネーム”と呼びます。 

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名前の言いやすさでは“なめらかネーム”と同等かそれ以上の効果があると思われ、俳優運も強くなると思われるのです。

 

また、声優としてもジブリ作品の「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」などに出演、人気ゲームの「レイトン教授シリーズ」では主人公のレイトン教授役を担当しました。リターンネームは声だけの仕事にも強いのです。

バラエティートーク力を発揮して人気を集め、俳優のみならず声優としても活躍する。

これはリターンネームの特性を存分に発揮していると言えますし、TEAM NACS(グループ)の一員としても成功し、個人でも成功するという意味では“ワンモアネーム”の特性も発揮していると言えます。

更に“ジョイントネーム”で俳優運の弱さを補って余りある活躍をしているので、正に名前の特性を活かしきっている方と言えますね。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

森山良子さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第215回)※2020年9月17日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第215回目の今日は森山良子さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとMORIYAMA RYOKO となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

高校時代の先輩に「若者たち」のヒットで知られるザ・ブロードサイド・フォー黒澤久雄(くろさわひさお)さん(映画監督・黒澤明(くろさわあきら)さんの長男)がいた縁で黒澤プロダクション所属の歌手となった森山良子さんは、19歳になった1967年に自身で作曲も担当した「この広い野原いっぱい」でデビューしました。

この歌はロングヒットとなって音楽の教科書にも載るなど、長く愛される歌になります。

デビュー当時はフォークソング歌手のイメージでしたが、2年後の69年には「禁じられた恋」で歌謡曲路線に転向し、「紅白歌合戦」に初出場を果たしました。

その後71年に一般の男性と結婚し、長女の奈歩さんを出産するも75年には離婚。その半年後にミュージシャンのジェームス滝(たき)さんと結婚し、長男の直太郎さんを出産するも長くは続かずこれまた離婚と、私生活で慌ただしい日々を送りながらも歌手活動は続けていました。

ちなみに長女の奈歩さんは現在おぎやはぎ小木博明(おぎひろあき)さんの奥さんで、長男の直太郎さんとはミュージシャンの森山直太朗(もりやまなおたろう)さん(ツーペアネーム)です。(斜体文字が加筆した部分です)

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歌では大きなヒットが無い状態が続きますが、中尾(なかお)ミエさんと2人で「ミエと良子のおしゃべり泥棒」というトーク番組の司会をするなど、リターンネームのバラエティー運の強さとおしゃべり好きな一面を発揮していました。

90年代後半にライブでBEGINと共演した事をきっかけに意気投合し、曲作りを依頼しました。送られてきたデモテープのタイトルが「涙がポロポロこぼれ落ちる」意味だと聞いた森山さんは、若い頃に亡くなった兄を想いながら詞をつけました。

それが「涙(なだ)そうそう」だったのです。

この歌は先に森山さんのアルバムに収録され、後にBEGINのシングルとしても発売されました。BEGINが沖縄サミットのテレビ中継でこの歌を披露したところ、それを見ていた夏川(なつかわ)りみさんがカヴァーしたいと申し出てシングルで発売しました。この夏川りみさんバージョンがロングヒットとなり、作詞した森山良子さん、作曲したBEGINにまで注目が集まったのです。

その後も多くのアーティストによってカヴァーされ、長く愛される歌となりました。

そして2001年にこの歌とカップリングする形で、69年発売のアルバムに収録していたさとうきび畑を11番までのフルサイズで再レコーディング(作詞・作曲は森山良子さんではない)すると、戦争の悲惨さや虚しさを訴える歌詞が話題となり「泣ける歌」として注目されて大ヒットしました。

明石家(あかしや)さんまさん主演のドラマ「さとうきび畑の唄」の主題歌にも起用されるなど、歌手(シンガー)としての代表曲になったのです。

 

森山良子さんの肩書きはシンガー・ソングライターでもありますが、

「この広い野原いっぱい」は作曲のみ、

涙そうそう」は作詞のみ、

さとうきび畑」は歌唱のみと、

代表曲とされる3曲がいずれも各パートのみに振り分けられているんですね。これもまた面白く、珍しい例だと思います。

 

73歳になった今も現役で歌手活動を続けている森山良子さん。リターンネームはヒット曲に恵まれるだけでなく、歌手活動が長続きする名前でもある様です。

「MUSIC FAIR」の番組オリジナルユニット、LA DIVA(ラ・ディーヴァ)にも平原綾香(ひらはらあやか)さんや新妻聖子(にいづませいこ)さんら娘ほど歳の離れた方々と共に参加していますし、まだまだ元気な方ですね。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。