矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

オノ・ヨーコさん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第268回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第268回目の今日はオノ・ヨーコさんです。

このお名前は本名で、漢字では小野洋子と書きます。

 

ローマ字で書くとONO YOKOとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

また、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事もよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

つまりオノ・ヨーコさんのお名前は、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。

更に「名前の法則」での判断基準となる4つのポイントが全て同じ母音ですので、

このタイプのお名前を、トランプ(ポーカー)の役にかけて“フォーカードネーム”と呼びます。

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更に名前を構成する文字の母音が全て同じ「オ」なので、縦の移動がない横一線の“ストレートネーム”になります。

苗字か下の名前のどちらかだけを芸名にしている“ショートネーム”では絢香(あやか)さんなどがいますが、フルネームでこのタイプは滅多にいません。亡くなられた樹木希林(きききりん)さんぐらいではないでしょうか。

冒頭からなんとかネームのオンパレードになってしまいましたが、それだけ希少な良い名前という事です。

 

皆さんはオノ・ヨーコさんと聞くと、元ビートルズジョン・レノンの奥さんという印象しかないのではないでしょうか。(実は私もそうでした)

※当ブログでは外国人の名前に日本の敬称「さん」は付けない方針です。

なので「ジョン・レノンを呼び捨てにするな!」という書き込みはしないでください。

ついでにお断りしておきますが、グループ名・団体名にも「さん付け」はしない方針、いやそもそも付ける必要はないものと考えています。

なのでビートルズにも(スピッツにも)「さん付け」はしない事をご理解頂いた上でお読みください。

 

前置きが長くなってしまいました。そろそろ本題に入りましょう。

オノ・ヨーコさんは1933年に東京で生まれ、銀行員だった父親の転勤先(サンフランシスコやニューヨーク)と日本を行ったり来たりの生活をしていました。

そんな中で20歳の時にニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、詩や音楽を学ぶようになります。リターンネームは音楽・芸術に対して嗜好が強くなる傾向がある名前なのです。

その大学で知り合った一柳 慧(いちやなぎとし)さんという、後に作曲家となる方と一度目の結婚をし、前衛芸術活動を始めました。

ニューヨークでは、床に置かれたキャンバスを客が踏みつける事で完成する「踏まれるための絵画」などが高い評価を受けていたそうです。

1962年に帰国し、観客が彼女の衣装をハサミで切り取るパフォーマンス「カット・ピース」などを披露しましたが、当時の日本は前衛芸術に慣れていなかった為に評価は低く、評論家からは批判も受けました。

母音ではなく文字で見ると(のようこ)と、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。このタイプは自分に厳しく、時には自分を追い込み過ぎてしまう事があります。

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日本で認められなかった事で自分を責めてしまったのか、自殺を謀って未遂に終わった挙げく精神病院に入れられてしまいました。

 

そんな絶望の淵に立たされたオノ・ヨーコさんを救ったのは、彼女の芸術に憧れて来日したアメリカの映像作家アンソニー・コックスでした。どんな言葉を使ったかはわかりませんが、彼女を口説き落として退院させたそうです。

やがて二度目の結婚をしようとしたものの一柳 慧さんとの離婚が法的に成立しておらず、一度「無効」とされた後にようやく結婚に漕ぎつけました。

そしてアンソニーとの間に娘(キョーコ・チャン・コックス)が生まれます。

しかし1966年から芸術活動の為イギリスのロンドンに拠点を移すと、ジョン・レノンと関係を持ち始めてしまうのです。アンソニー・コックスとは69年に離婚しますが、娘の親権をアンソニーが強く主張して法廷でも争う事となった為、やむ無く親権を譲る覚悟を決めました。

そうしてアンソニーとの離婚から一ヶ月半後、ジョン・レノンと三度目の結婚をします。

アメリカではミドルネームを入れる事も可能で、結婚後の本名はヨーコ・オノ・レノンになりました。

ジョン・レノンと結婚した事で一躍有名になり、ある意味世界中で一番名前を知られた日本人だったかも知れません。またその頃からプロとしての音楽活動も始め、70年代前半には4枚のソロ・アルバムを発表しています。

ただ結婚前後の二人の活動が世間からは奇妙なものと映った為か、「ビートルズを解散させた女」との批判を受ける事もありました。

二人は反戦活動に力を入れ、ジョン・レノンはアルバム「イマジン」を発表、オノ・ヨーコさんは反戦デモに参加するなど世界平和の為に紛糾します。

やがて1975年、息子のショーン・レノン(正式にはショーン・タロー・オノ・レノン)が誕生しました。しばらく二人は育児の為に活動を休止していましたが、ショーンが5歳になったのを機に音楽活動を再開し、二人の共作によるアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表します。

しかしその直後の80年12月8日、自宅前でファンを装った男に銃で撃たれ、ジョン・レノンは命を落としてしまったのです。

最愛のパートナーを失ったオノ・ヨーコさんは悲しみを乗り越え、その意思を継ぐかの様に音楽活動・反戦活動を続けました。

 

こんなにも愛と芸術に生きた波乱万丈の人生を歩んでこられた方だったのですね。

そして88歳になった今もTwitter核兵器廃絶を訴えています。

平和への祈りは終わる事はないのでしょうか。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。