矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

田村正和さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第271回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第271回目の今日は田村正和さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとTAMURA MASAKAZUとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

“なめらかネーム”の特徴は男女を問わず俳優業に強く、当たり役に恵まれやすいという特性があります。

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大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎俳優、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)さんの三男として生まれた田村正和さんは、幼い頃から何となく父と同じ仕事をしたいと考えていました。

9歳の時に父・阪東妻三郎さんは亡くなりましたが、その思いがどこかに残っていたのでしょう。先に俳優デビューしていた長男の田村高廣(たかひろ)さんが主演した映画「旗本愚連隊」の撮影を見学に行った際に出てみないかと薦められ、1960年に端役ながら17歳で映画に初出演しました。

翌年映画会社の松竹と専属契約して、本格的に俳優としての活動をスタートさせます。

四男の田村亮(りょう)さんも芸能界に入って俳優デビューした為、“田村三兄弟”と世間では呼ばれていましたが、次男の田村俊磨(としま)さんは俳優には興味を示さずサラリーマンとして働いていたので実際には四兄弟です。

 

66年までは学業との両立をはかり、大学卒業を機に松竹からフリーとなりましたが、すぐに大きな仕事が舞い込んでくる事はなく、しばらくは脇役ばかりの日々が続きます。

70年にそれまで交際していた一般女性と結婚すると、その年出演したテレビドラマ「冬の旅」でようやく世間の注目度が上がり、以降は二枚目の役が多くなりました。

そして72年に時代劇「眠狂四郎」の主演が決まり、「この作品を代表作にしたい」と意気込んだ田村正和さんは東京の自宅を引き払って、撮影が行われた京都に移り住みました。

そんな甲斐もあって時代劇を見る世代の新たなファン層を取り込み、特に多くの女性ファンを獲得する事となったのです。

 

80年代に入ると時代劇の二枚目役とは打って変わったコメディタッチのホームドラマにも挑戦、「うちの子にかぎって・・・」や「パパはニュースキャスター」などが高視聴率を記録して新境地を切り開きました。

下の名前(まさず)には「か」が入るので自分に厳しくなる“お・か・きネーム”でもあります。

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二枚目しか出来ないのでは役者として失格ではないかと自分を追い込んでいたのでしょう。

またNGをほとんど出さなかった事も有名であり、セリフは撮影に入る前に完璧に頭に叩き込んでいたそうです。

トレンディドラマが流行りだした80年代後半には「ニューヨーク恋物語」でまたぐっと渋い二枚目を演じ、主婦層の女性ファンを魅了しました。

 

そして94年、後にシリーズ化され真の代表作となる「古畑任三郎」(第1シーズンのみ「警部補 古畑任三郎」)に主演します。

脚本家三谷幸喜(みたにこうき)さんの意地悪ではないかと思えるほどの長いセリフを流暢にまくし立て、難事件を解決するドラマは正に痛快であり、田村正和さんにしか出来ないハマり役(当たり役)だったと言えるでしょう。

その独特な口調を真似するタレントも増え、新たなモノマネの定番ともなりました。「眠狂四郎」や以前のドラマを知らない世代にとって、田村正和古畑任三郎となったのです。

毎回犯人役で登場する大物ゲスト(俳優だけではなかったので敢えてゲストと書きます)と古畑との対決も見もので、回を重ねる毎に視聴率は上昇していきました。

余談ですがこの作品で古畑の部下“今泉巡査”を演じ俳優としてブレイクした西村雅彦(にしむらまさひこ)さんも“なめらかネーム”です。

 

◉“俳優”であるが故に

 

普段は無口で撮影以外ではほとんど喋らないと言われていた田村正和さんが、「古畑任三郎」では饒舌に喋っていたのは昔ながらの俳優気質だったからと思われます。

“なめらかネーム”の俳優は決められたセリフを覚えたり喋ったりするのは得意なのですが、自由に喋っていいよと言われると喋れなくなるシャイな方が多いのです。

田村正和さんはその代表的な方であり、だからドラマ以外のバラエティー番組などにはほとんど出演が無かったのです。プライベートを一切見せない姿勢も“夢を売る仕事”と捉えていたからであり、俳優の本来あるべき姿を体現していたと言えます。

 

70代に入った2013年頃からは仕事をセーブする様になり、2018年に放送された「眠狂四郎The Final」が最後の出演作品となりました。

3年後の今年4月、心不全の為77歳で亡くなった事を思うと、最後まで俳優として生き抜いた見事な生き様だったと言えるでしょう。

改めてご冥福をお祈りいたします。

 

この様に芸能人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。