矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

渥美清さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第275回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第275回目の今日は渥美清さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとATSUMI KIYOSHIとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

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“なめらかネーム”の特徴は男女を問わず俳優業に強く、ヒット作や当たり役に恵まれやすいという特性があります。

本名は田所康雄(たどころやすお)といいます。

 

1928年(昭和3年)、現在の東京都台東区にあたる東京府東京市下谷区で生まれた田所康雄少年は、17歳の誕生日に東京大空襲で自宅が被災してしまいました。

生計を立てる為に工員として働きながら担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていたそうで、この頃の経験が後の演技に役立つ事になるとは夢にも思っていなかったでしょう。

一時は船乗りを志すも母親の猛反対で断念し、知り合いの伝手で旅まわりの演劇一座に入り喜劇俳優を目指す事となりました。

そこで芸名を名乗る際、小説の主人公から取った“渥美悦郎”という名前をつけていたのに、ある劇団のバラエティショーに出演した時に司会者が“渥美清”のほうが通りやすいからと、勝手に変えられてしまったという説があります。

いずれにせよそこで俳優業に強いなめらかネームになった訳です。

浅草のストリップ劇場でコメディアンとして舞台に上がっていた20代の半ばに肺結核で右肺を切除し、それまでのドタバタ喜劇が出来なくなってしまいました。

それでも徐々にテレビドラマや映画などに小さい役ながらも進出し、1961年からNHKで放送されたバラエティ番組「夢であいましょう」に出演して全国的な知名度が上がっていきました。

62年には「あいつばかりが何故もてる」で映画初主演すると、後に東映の社長となる岡田茂(おかだしげる)プロデューサーに引き抜かれて「喜劇急行列車」などの“列車シリーズ3部作”にいずれも主演するなど主役級の俳優となったのです。

ただ当時の東映はヤクザ映画が主本だった為に喜劇はウケが悪く、岡田茂さんは「これでは君にも悪いから松竹へ行ったほうがいい」と、渥美清さんを松竹へ譲る事となりました。

それはフジテレビでドラマ「男はつらいよ」が放送されていた時の事です。

 

◉甦った寅次郎

 

ドラマ版の「男はつらいよ」は1968年10月から半年間に渡って放送され、脚本(メインライター)は山田洋次(やまだようじ)さんが担当していました。

ところが視聴率が芳しくなかったせいもあり、「どうせこれっきりだろうから」と最終回で主人公の車寅次郎が一攫千金を狙って奄美大島までハブを捕まえに行き、そこでハブに噛まれて命を落とすというラストにしました。

はい、寅さんは一度死んだのです。

しかし寅次郎を死なせた事で視聴者から抗議の電話が殺到し、山田洋次さんをはじめとするスタッフ一同は罪滅ぼしの意味も込めて松竹で劇場版を制作する事にしました。

渥美清さんのファンの声が寅次郎を甦らせたのです。

映画はシリーズ化されて徐々に観客動員も増え、8作目には150万人近くを記録する大ヒットとなりました。以降も年2本のペースで新作が作られ松竹の、いや日本のお盆と正月は「寅さん」と言われるほどの定番となります。

主題歌もドラマ版から続いて渥美清さんの唄う男はつらいよが使われたので、全国民が知っていると言っても過言ではないほど有名な歌になりました。

なめらかネームは男性歌手運も強い名前なのです。

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映画に主演してその主題歌も唄ってヒットする、これはもう福山雅治さんクラスの二枚目でないと成し得ないワザですよ。

 

最終的には27年間で48作を数えるシリーズとなり、世界最長(作品数)の映画シリーズとしてギネスブックにも認定されました。

これほど「当たり役に恵まれた」と言える俳優が他にいたでしょうか。

渥美清さんは決して“二枚目”ではありませんでしたが、あの“四角い顔”は車寅次郎にぴったりであり、日本人にとって愛着の湧く顔だったのです。

ただ難を言えば「寅さん」のイメージが定着し過ぎて、他の役が演じるのが難しくなった事でしょうか。

1977年には「八つ墓村」で金田一耕助を演じましたが、私にも「寅さん」にしか見えませんでした。

 

亡くなられた後で渥美清さんに国民栄誉賞が贈られ、長きに渡って日本の顔(風物詩)となった栄誉が讃えられました。

俳優では長谷川一夫 (はせがわかずお)さん(なめらかネーム)以来2人目となります。

ここで本名の田所康雄(たどころやすお)という名前を見てみましょう。

ローマ字で書くとTADOKORO YASUO と、

苗字の最初と最後、下の名前の最初と最後で

母音がア➖オ、ア➖オとジグザグになっていますね。

線で表すとダブルスラッシュ(//)の様に苗字と下の名前が斜めの平行線になるのです。

実は歴史上の人物で同じ名前タイプの人がいます。

それは織田信長です。

ローマ字で書くとODA NOBUNAGAと、母音がオ➖ア、オ➖アとジグザグになっていますね。

という事で、この様なお名前を“ノブナガネーム”と呼びます。

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有名人でも数少ない希少なタイプですが、浜崎あゆみさんや大谷翔平選手など桁違いの活躍をされている方に該当する名前なので、ギネスブックに載ったり国民栄誉賞を受賞したりするのも納得ですね。

 

60歳を越えた頃から渥美清さんは体調が悪化し、それでもシリーズは続いた為にかなり無理をしての撮影が続きました。晩年は立っている事もままならず、撮影の合間にあのトランクを椅子代わりにして座っていたそうです。

44作目が公開された1991年には肝臓癌が見つかり、その3年後には肺への転移も確認されました。担当の主治医からは47作目の撮影は不可能と言われましたが何とか乗り切り撮影を終え、48作目までいったのは奇跡的だったと言えるでしょう。

その遺作となった48作目「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のラストシーン、阪神大震災で被災した神戸の街で復興に取り組む人たちに「本当に皆さん、ご苦労さまでした。」という一言が車寅次郎すなわち渥美清さんの最後のセリフとなりました。

96年8月、68歳でこの世を去りましたが、その姿は多くの日本人の心に焼き付けられています。

だから2019年に制作された「お帰り寅さん」でも過去の映像が使われ“主演・渥美清”となっているんですね。

 

私も全作品を見た訳ではありませんが、個人的に印象に残っているのは確か34作目の「寅次郎真実一路」だったと思うのですが、最後にまた旅へ出ようとした寅次郎が(すでに廃線になった)駅のホームで電車を待っているところへ声を掛けた男性が「待ってても電車来ないよ。」と言い、それに対して寅次郎が「そうか、待ってても来ないか。」というシーンです。

寅次郎が「(幸せは)待ってても来ない」と教えてくれた様な気がしてなりませんでした。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。