勝手にお名前診断 (第215回)※2020年9月17日の記事を改訂
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第215回目の今日は森山良子さんです。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとMORIYAMA RYOKO となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。
この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。
高校時代の先輩に「若者たち」のヒットで知られるザ・ブロードサイド・フォーの黒澤久雄(くろさわひさお)さん(映画監督・黒澤明(くろさわあきら)さんの長男)がいた縁で黒澤プロダクション所属の歌手となった森山良子さんは、19歳になった1967年に自身で作曲も担当した「この広い野原いっぱい」でデビューしました。
この歌はロングヒットとなって音楽の教科書にも載るなど、長く愛される歌になります。
デビュー当時はフォークソング歌手のイメージでしたが、2年後の69年には「禁じられた恋」で歌謡曲路線に転向し、「紅白歌合戦」に初出場を果たしました。
その後71年に一般の男性と結婚し、長女の奈歩さんを出産するも75年には離婚。その半年後にミュージシャンのジェームス滝(たき)さんと結婚し、長男の直太郎さんを出産するも長くは続かずこれまた離婚と、私生活で慌ただしい日々を送りながらも歌手活動は続けていました。
ちなみに長女の奈歩さんは現在おぎやはぎの小木博明(おぎひろあき)さんの奥さんで、長男の直太郎さんとはミュージシャンの森山直太朗(もりやまなおたろう)さん(ツーペアネーム)です。(斜体文字が加筆した部分です)
歌では大きなヒットが無い状態が続きますが、中尾(なかお)ミエさんと2人で「ミエと良子のおしゃべり泥棒」というトーク番組の司会をするなど、リターンネームのバラエティー運の強さとおしゃべり好きな一面を発揮していました。
90年代後半にライブでBEGINと共演した事をきっかけに意気投合し、曲作りを依頼しました。送られてきたデモテープのタイトルが「涙がポロポロこぼれ落ちる」意味だと聞いた森山さんは、若い頃に亡くなった兄を想いながら詞をつけました。
それが「涙(なだ)そうそう」だったのです。
この歌は先に森山さんのアルバムに収録され、後にBEGINのシングルとしても発売されました。BEGINが沖縄サミットのテレビ中継でこの歌を披露したところ、それを見ていた夏川(なつかわ)りみさんがカヴァーしたいと申し出てシングルで発売しました。この夏川りみさんバージョンがロングヒットとなり、作詞した森山良子さん、作曲したBEGINにまで注目が集まったのです。
その後も多くのアーティストによってカヴァーされ、長く愛される歌となりました。
そして2001年にこの歌とカップリングする形で、69年発売のアルバムに収録していた「さとうきび畑」を11番までのフルサイズで再レコーディング(作詞・作曲は森山良子さんではない)すると、戦争の悲惨さや虚しさを訴える歌詞が話題となり「泣ける歌」として注目されて大ヒットしました。
明石家(あかしや)さんまさん主演のドラマ「さとうきび畑の唄」の主題歌にも起用されるなど、歌手(シンガー)としての代表曲になったのです。
森山良子さんの肩書きはシンガー・ソングライターでもありますが、
「この広い野原いっぱい」は作曲のみ、
「涙そうそう」は作詞のみ、
「さとうきび畑」は歌唱のみと、
代表曲とされる3曲がいずれも各パートのみに振り分けられているんですね。これもまた面白く、珍しい例だと思います。
73歳になった今も現役で歌手活動を続けている森山良子さん。リターンネームはヒット曲に恵まれるだけでなく、歌手活動が長続きする名前でもある様です。
「MUSIC FAIR」の番組オリジナルユニット、LA DIVA(ラ・ディーヴァ)にも平原綾香(ひらはらあやか)さんや新妻聖子(にいづませいこ)さんら娘ほど歳の離れた方々と共に参加していますし、まだまだ元気な方ですね。
この様に有名人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。