勝手にお名前診断 (第218回)※2020年9月28日の記事を改訂
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとMIYAKE YUJI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
“リターンネーム”はバラエティーに強い名前です。優れたトーク力が備わっている方が多く、声だけの仕事にも強くなります。(そうでない方は、面白い事を言っているつもりは無くても何故か面白く映るという、得な性質もあります。)
東京生まれ東京育ちの三宅裕司さんは、母親の影響で幼い頃から三味線や日本舞踊を習い、中学時代から落語やバンド活動を始めるなど、常に人前に立つ事に興味を持っていました。
大学でも落語研究会に所属し、卒業後は喜劇役者を目指して小さな劇団を転々とします。
その頃に行動を共にしていた小倉久寛(おぐらひさひろ)さんらと、1979年に劇団スーパー・エキセントリック・シアター(通称SET)を旗揚げするのです。
ただ、三宅裕司さんの名前を世に知らしめたのは84年に始まったラジオ番組「三宅裕司のヤングパラダイス」で、そこで学生時代から落語で培った話術を発揮して注目され、テレビのバラエティーに進出する様になったのです。
先程挙げたリターンネームの声だけの仕事に強い性質がまず活かされたのですね。
SETの雰囲気をテレビに持ち込んだコント番組「大きなお世話だ!」に始まり、「テレビ探偵団」や「いかすバンド天国」では司会も担当しました。
更にラジオ「ヤングパラダイス」の人気コーナー、「恐怖のヤッちゃん」が映画化されて自身も俳優として出演するなど(小倉久寛さんも出演していました)、ノリに乗っていた時期でした。
決して二枚目ではなく、俳優や司会者といった雰囲気もない方なので(失礼)、ほぼ話術だけで掴み取った地位と言えるでしょう。
母音ではなく文字で見ると(みやけゆうじ)と、下の名前に「ゆう」が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。
このタイプは俳優業で大成功する可能性を秘めています。
三宅裕司さんの場合、大成功という程ではなかったかも知れませんが、何処にでもいそうな(さえない)お父さんの役で一時期はたくさんのドラマに出演していました。
司会に俳優にと大活躍でしたが、唯一難を言えばリターンネームは司会者運がやや弱く、単独で司会を任される事が少ないのです。
「テレビ探偵団」では山瀬(やませ)まみさんや西田(にしだ)ひかるさん、
「夜もヒッパレ」ではマルシアさんや中山秀征(なかやまひでゆき)さん、
など代表的な番組はほとんど隣に誰か他のタレントがいる共同司会の形でした。
元々SETでスタートした頃から小倉久寛さんと常に“ニコイチ”的な雰囲気もありましたし、司会に起用するテレビ局側も、1人で任せるのは不安だと思われていたのかも知れません。
ついでと言っては何ですが、小倉久寛さんの名前をローマ字にしてみると、
OGURA HISAHIRO となり、こちらもフルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」なので
“リターンネーム”になるんです。
三宅裕司さんほど雄弁なタイプではありませんが、いるだけで面白く見える存在感でバラエティー運の強さを発揮するタイプと言えるでしょう。
文字で見ると(おぐらひさひろ)と、「ひ」が2文字入る“ワンモアネーム”でもあるので、SETや三宅裕司さんとも離れた所での個人活動も(意外と)よく見る印象があります。
(斜体文字が加筆した部分です)
先日70歳(古希)の誕生日を迎えた三宅裕司さん、さすがに全盛期ほどの活躍ぶりはなくなりましたが、今でもBSなどではレギュラー番組を持っていますし、座長を務める熱海五郎一座(もちろん小倉久寛さんもいる)のお芝居も続けています。
ルックスはさえないお父さんでも、リターンネームの「口で稼ぐ」性質を地で行く様な方なのです。
この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。