矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

尾崎豊さん【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第277回)

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第277回目の今日は尾崎豊さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとOZAKI YUTAKAとなります。

苗字の最後の文字「き」と、下の名前の最初の文字「ゆ」、

フルネームの最初の文字「お」と、最後の文字「か」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちです。

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小学校5年生の時に転校先のクラスに馴染めず、登校拒否をするなど決して褒められたものではない生徒だった少年時代、学校へ行く筈の時間に5歳上のお兄さんが購入したまま使用していなかったクラシック・ギターを弾いて、井上陽水さんやさだまさしさんなど主にフォークソングを唄っていたそうです。

中学時代は喫煙による停学処分、高校時代はオートバイ事故での停学に加え、同級生らと飲酒の末の乱闘騒ぎによる無期限の停学処分など、これまた決して褒められたものではない学生時代を送っていました。

しかし高校2年の時に応募したCBS ソニー主催のオーディションに合格していた為、高校在学中に歌手デビューが決まります。結局高校は出席日数が足りずに留年が決定した後に自主退学し、歌手(シンガーソングライター)として生きていく道を選びました。

 

そして1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム「17歳の地図」の同時リリースでデビューを果たします。

このアルバム「17歳の地図」には「15の夜」をはじめ「I LOVE YOU」OH MY LITTLE GIRL僕が僕であるためになど後の代表曲となる歌がたくさん詰まっており、デビューアルバムにして渾身の1枚だったと言えるでしょう。

しかしリリースされた時点では大々的なプロモーションも行われなかった為、当時の売れ行きは芳しくありませんでした。

それでもじわじわとファンを獲得し、84年には6大都市でライブツアーを敢行します。

ただ最初にも触れた通り“ノーペアネーム”は不安定になりがちです。

6大都市のライブツアーを成功させた約1ヶ月後、日比谷野外音楽堂で行われたライブの出演中に何を思ったか高さ7メートルの証明台から飛び降りて、左足を骨折してしまうのです。

この行動も決して褒められたものではありませんね。良い子のみんなは絶対に真似をしないようにしましょう。

骨折をした事によってその後のスケジュールが全てキャンセルになるなど本人も落ち込んでいましたが、友人からの叱咤激励もあって奮起し、4枚目のシングルとなる「卒業」を作り上げました。

名前を母音ではなく文字で見ると(ゆた)と、「お」も「か」も「き」も入る完璧な“お・か・きネーム”なのです。

元々自分に厳しいタイプだったので友人の激励にも応えられたのですね。

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この「卒業」が大人たちに反骨心を抱く若者たちの共感を得た事で注目され、収録された2枚目のアルバム「回帰線」がチャート1位に輝くなど、一躍尾崎豊の名を世間に広めたのです。

世間からは「十代の教祖」「若者のカリスマ」などと呼ばれる様になりました。

下の名前に(ゆたか)と、「たか」という音が入るので“たかたかネーム”でもあります。

この“たかたかネーム”は芸能人の中でも特にリスペクトされる方に多い名前なのです。

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ただそれから1年も経たないうちに無期限の活動停止を発表するなど相変わらず安定しません。

87年に復帰と共にレコード会社を移籍し、再スタートを切ったものの年末に覚醒剤取締法違反で逮捕されてしまいました。これまた決して、いや絶対に褒められたものではありません。

“お・か・きネーム”は自分に厳しいあまり、時に自分を追い込みすぎてしまいやすいタイプでもあるのです。

 

しかし転んでもただでは起きず、拘置所の中で「太陽の欠片」を書き上げ、復帰後「夜のヒットスタジオ」で最初で最後の歌番組出演をします。

その頃には一般女性と結婚して、長男も授かりました。それからは歌詞も「反抗」的なものから「愛」を唄うものに変わっていった様です。

その点もノーペアネームの安定の無さと言えるかも知れません。

まぁ「軋むベッドの上に優しさ持ちより」眼を閉じたかと思えば、「盗んだバイクで走り」だして「夜の校舎窓ガラス壊して」まわるんですから、歌詞と同様に精神も不安定だったんじゃないでしょうかね。

 

90年に事務所を移籍し、レコード会社もCBS ソニーに戻るなどした挙句に個人事務所を設立したのですが、スケジュールの管理やプロモーションなども自ら行わなければならなくなったせいで多忙を極め、精神的にも自分を追い詰める事となってしまいました。

そして1992年、自宅のあったマンションから500メートル程離れた民家の軒先に倒れていたところを発見され、病院に搬送された後で一旦自宅に戻ったものの容体が急変し、再び病院で手当てを受けるも間に合わず26歳の若さでこの世を去りました。

死因は一時“肺水腫”とされましたが、覚醒剤服用による中毒症状など様々な説が飛び交い、いまだ謎の死とされています。

若くして亡くなった為にファンの間にも“美しい時代”の記憶しかなく、永遠のカリスマとされている様です。

下の名前に(たか)と、「ゆ」の字が入る“ゆうゆうネーム”でもあるので、もう少し長生きしていれば俳優業でも成功していたかも知れません。

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尾崎豊さんの熱狂的なファンの方が読むと物足りない「しらけてしまう」ような文章かも知れませんが、さほどファンでもなかった人間が書くとこんなものですよ。私はどちらかと言うと「行儀よく真面目」なほうの人間でしたから。

 

ただその遺伝子は長男の尾崎裕哉(おざきひろや)さんに受け継がれています。その声は“生き写しの様”と言われ、父・尾崎豊の残した名曲をカヴァーする事でファンを感動させています。

尾崎裕哉さんがこれから自分だけの地図をどこまで広げられるかが楽しみですね。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな有名人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。