勝手にお名前診断 (第278回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第278回目の今日は尾崎紀世彦さんです。
このお名前は本名です。
ローマ字で書くとOZAKI KIYOHIKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。
“なめらかネーム”は男性歌手運が強く、ヒット曲に恵まれやすいという特性があります。
また、フルネームの最初と最後の母音も同じ「オ」である事もよくわかります。
この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
“リターンネーム”は声の質が良くなり、歌が上手くなるという特性があります。
つまり尾崎紀世彦さんのお名前は、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。
このタイプのお名前を、同じ母音のペアが2つ出来る事から“ツーペアネーム”と呼びます。
父方の祖父がイギリス人であった為、日英のクォーターだった尾崎紀世彦さんは、幼い頃からジャズやカントリー音楽に親しんでいました。
13歳の時に父親にウクレレを買ってもらった事がきっかけで、中学の同級生6人とハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」を結成し、17歳でセミプロ(ホテルの専属バンド)として活動を始めます。
ヒロ・ハワイアンズはメンバーの学業優先の為解散しますが、尾崎紀世彦さんはジミー時田(ときた)さんがいた芸能プロダクションに所属してジミー時田とマウンテン・プレイボーイズの一員となり、セカンド・ヴォーカリスト権ギタリストとして参加していました。
そのグループを脱退した後の1967年に、今度は3人組のコーラスグループザ・ワンダースを結成、ジャズ喫茶や米軍キャンプでビートルズの曲などを唄っていたところをスカウトされ、同年8月にシングルとアルバムの同時発売で本格的にデビューを果たしました。
ちなみにザ・ワンダースの他のメンバーには日立グループのCMソング「日立の樹」を唄った朝 紘一(あさ こういち)さん(後に朝コータローに改名)もいました。
ただ尾崎紀世彦さんの歌唱力とパワフルな声量は3人の中でもズバ抜けていた為、3年後にソロデビューが決まります。ザ・ワンダースは解散となり、もう1人のメンバーだった栗敏夫(くりとしお)さん(本名:小栗俊雄さん)は歌手業を引退し、尾崎紀世彦さんのディレクターとしてスタッフ側にまわりました。
そうして1970年8月に「別れの夜明け」でデビューすると、翌年に発売した2枚目の「また逢う日まで」が大ヒットしました。それまでバンドやグループの名義に隠れていた為に発揮されなかったツーペアネームの特性がようやく発揮されたのです。
しかもこの「また逢う日まで」は作詞が阿久悠(あくゆう)さんで、作曲が筒美京平(つつみきょうへい)さんという、幾多の昭和歌謡の名曲を送り出したゴールデンコンビですから、ソロデビュー2曲目でこの2人に作って貰えるなんて正に“ヒット曲運が強い”と言えますね。
あと栗敏夫さんの本名が小栗俊雄(おぐりとしお)という最初と最後の母音が同じ“リターンネーム”なので、自分は一歩下がると成功するというリターンネームの特性も発揮されたのかも知れません。
「また逢う日まで」はミリオンヒットとなり、その年のレコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞するなど尾崎紀世彦さんの代表曲となりました。レコード大賞は近年その価値が低く見られがちですが、70〜80年代のレコード大賞といったら大変なものでしたよ。
歌手にとってこれ以上の名誉はないと言える程の栄えある賞だったんじゃないでしょうか。50年前の尾崎紀世彦さんの受賞シーンが今だにVTRで流れるくらいですからね。
母音ではなく文字で見ると(おざききよひこ)と、「き」が2つ入る“ワンモアネーム”になります。
この“ワンモアネーム”はグループで成功して個人でも成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのでこの点も納得ですね。
えっ?グループ時代はヒット曲がなかったから成功してないんじゃないかって?
いえいえ、ちゃんと誰もが知っている歌を唄っていたんです。
実はザ・ワンダース時代にレコード会社との契約の関係上、やむを得ずジ・エコーズという名義を使いある番組の主題歌を担当していました。
それが「ウルトラセブン」だったのです。
あの有名な主題歌の冒頭で『🎵セブ〜ン、セブ〜ン、セブ〜ン、セブ〜ン、』と繰り返される3番目の『🎵セブ〜ン、』が尾崎紀世彦さんの声です。
ね、誰もが知っている歌を唄っていたんですから成功と言えるでしょ。
「また逢う日まで」の後も「雪が降る」などしばらくヒットが続きましたがなかなか大きなヒットとはならず、低迷しかけていた1987年に「サマー・ラブ」がビールのCMソングに起用されてスマッシュ・ヒットし、尾崎紀世彦さんの名を再び世間に知らしめました。
これも“ワンモアネーム”の効果と言えるでしょう。
尾崎紀世彦さんは2012年に肝臓癌により69歳で亡くなられていますが、「ウルトラセブンの歌」と「また逢う日まで」はレコード大賞の受賞シーンのVTRも含めてこれからも流され続けるでしょう。そんな曲にめぐり逢えるのが名前の持つ“ヒット曲運”なのです。
それでは今日はこの辺で。皆さん「また逢う日まで」。
この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。