勝手にお名前診断 (第181回)
この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。
第181回目の今日は山本リンダさんです。
このお名前は芸名です。
ローマ字で書くとYAMAMOTO LINDA となり、苗字(姓)の最初と下の名前(名)の最後の文字の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。
この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフですが、
本名は山本あつ子という純日本人のような名前で、リンダという芸名は生前に父親から付けられた愛称でした。ちなみにLindaとはスペイン語・ポルトガル語で「美しい」を意味する形容詞だそうです。
(結婚後は姓が稲葉になりましたが、旧姓のまま活動しています。)
“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。
この記事でも説明している通り「ヒット曲に恵まれる」運が強く、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。
まだ1歳の時に父親が他界し、母親1人で育てられた為に貧しい暮らしを強いられ、また1950年代の生まれであった為か、子供の頃はハーフというだけでいじめに遭っていました。決して恵まれていた訳ではなかったのです。
そんな境遇を打破して母に楽をさせたいと、まだ小学生の11歳の頃に、モデルのオーディションに応募して芸能界への第一歩を踏み出します。
15歳の時に「こまっちゃうナ」でレコードデビューすると、この曲が大ヒットして「紅白歌合戦」にまで出場しました。デビューしていきなりヒット曲に恵まれたのです。
しかしその後はヒットが続かず、歌手としては“一発屋”で終わったかに見えました。
そんな頃、歌手業の隙間を埋めるように「仮面ライダー(第1作)」の出演が決まります。
そこではライダーガールズ(仮面ライダー2号の取り巻き)の中の1人という大きな役ではなかったものの、「仮面ライダー」は社会現象になる程の人気番組になったので、山本リンダさんの知名度は再び上がったのです。
そして20歳を過ぎてすっかり大人になった1972年、「どうにもとまらない」でおへそを出した大胆な衣装でイメージチェンジを図り、デビュー曲以来の大ヒットとなりました。
当時まだ“へそ出しルック”という呼び方がなかったかも知れませんが、本田美奈子.さんの「1986年のマリリン」より14年も前に登場していた“元祖へそ出しルック”だったのです。
翌73年にも「狙いうち」が大ヒットします。
この歌は「この世は私の為にある」や「世界一の男だけ、この手に触れても構わない」などと、かなり高飛車な女性が主人公の歌詞なので、唄い手もそれに見合った美貌とスタイルの持ち主でないと説得力に欠けるのですが、そこはハーフゆえのエキゾチックな顔立ちと、モデル経験もある抜群のプロポーションで見事に主人公の女性を表現しました。むしろ山本リンダさんの為に作られた歌と言っても過言ではないでしょう。
◉これぞ“リターンネームのヒット曲運”
「狙いうち」のヒットが73年なので今から47年も前の事になります。
でもこの曲、今でも耳にしませんか?
それは「狙いうち」という言葉が「(ボールを)打つ」事を連想させる為に、大学野球や高校野球の応援歌として使われる様になり、50年近く経った今でもブラスバンドの定番曲となっているからなのです。
他にも80年代の終わりには米米CLUBがライブでカヴァーしたり、90年代には「ちびまる子ちゃん」の主人公・まる子が「ウダダー、ウダダー」と唄って子供たちにも知れ渡ったりと、山本リンダさんのリバイバルブームが巻き起こり「紅白」にまで返り咲きました。
「どうにもとまらない」もアレンジやカヴァーされる事で唄い継がれ、また本人もコンサートでは必ず唄うもうひとつの代表曲となっています。
デビュー曲のヒットに加え、これだけ長く愛される大ヒット曲が2曲もあるので、50年以上にも渡って歌手活動を続けられる。それこそが私の言う“リターンネームのヒット曲運”なのです。
おそらく本名の“山本あつ子”では、そうはいかなかったでしょう。お父さんが付けてくれた愛称“リンダ”を芸名にしたのがきっと良かったのだと思いたいですね。
この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。
もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。
これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。
ではまた次回をお楽しみに。