矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

梅宮辰夫さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第190回)※2020年8月6日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第190回目の今日は梅宮辰夫さんです。

本名は読みは同じで辰雄と書きます。

 

ローマ字で書くとUMEMIYA  TATSUO となり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。 

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“なめらかネーム”は男女を問わず俳優業に強く、当たり役やヒット作に恵まれやすいという特性があります。

 

また、全体を見るとUMEMIYA  TATSUO と、A・I・U・E・O 5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。 

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“ロイヤルネーム”は芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

梅宮辰夫さんは“なめらかネーム” の“ロイヤルネーム”と、良い名前の条件が重なっていたのですね。

 

昭和33年、日本大学法学部在学中に銀座でスカウトされて東映ニューフェイスに合格し、翌年には映画で主演デビューと、スター性の片鱗を窺わせていました。

丁度その頃東映が売り出そうとしていた若手俳優が事故で急死した為、新人の梅宮さんが次世代のスターとして売り出される事となったのです。

初期はアクション映画や仁侠映画など硬派な役が多かったのですが、私生活が派手になっていった梅宮さんに合わせようと、「夜の青春シリーズ」と呼ばれた4部作からはプレイボーイを演じる事が多くなっていきます。私生活でもプレイボーイとして鳴らした梅宮さん、当時の若手映画スターのモテ方は今の芸能人の比ではなかったそうです。

ロイヤルネームは芸能界のジャンルに関係なく“モテる”という特性もあるのです。

その後も情には熱いが女たらしの主人公を演じた「不良番長」が好評を博し、全16作にも及ぶシリーズとなりました。若い頃の梅宮さんにとっての代表作と言えるでしょう。

 

昭和47年に事務所の倒産によって借金を抱えた中、クラウディア・ヴィクトリアさんと結婚して長女(梅宮アンナさん)が誕生しました。

翌年からは「仁義なき戦い」や仁侠映画などで再び硬派路線に戻り、ベテラン俳優として重厚な役どころが多くなります。出演シーンは少なくてもキャリアがある分ギャラは高額になり(分かりやすく言うと出演者のクレジットで1番最後に名前が出る様な役)出演作品も多かったので借金返済にはそれほど時間は掛からなかったでしょう。

 

80年代後半からは「食いしんぼう万歳!」の出演を皮切りにバラエティーにも進出し、92年には娘のアンナさんも芸能界入りして親子共演なども話題となりました。

ただ、アンナさんが羽賀健二(はがけんじ)さんと交際を始めた事に猛反対し、一時はワイドショーで連日の様に取り上げられる常連となってしまいます。

自身も若い頃プレイボーイとして鳴らした嗅覚が、彼の危険性を感じとったのでしょうか。

下の名前を母音ではなく文字で見ると(たつ)と、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。 

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生まれ持っての自分に厳しいタイプなので、愛娘の交際相手を見る目も厳しかったのでしょう。(斜体文字が加筆した部分です)

それにしても自分の可愛い娘がプレイボーイの毒牙に掛かるとは皮肉なものです。

 

◉実業家として

 

俳優業やバラエティー出演の傍ら、若い頃から美味いものばかり食べてきて肥えた舌を活かし、料理の腕前にも磨きを掛けていきます。

やがて「梅辰亭」や「漬物本舗」など飲食店のフランチャイズも展開し、実業家としても成功しました。

さすがロイヤルネーム、芸能界以外でも「何をやっても上手くいく」んですね。

ただ晩年は病気に苛まれ、前立腺がんや尿管がんなど何度も手術・入退院を繰り返す日々が続きます。

そして2019年、慢性腎不全の為81歳でこの世を去りました。

 

亡くなられた後もロバート秋山竜次(あきやまりゅうじ)さんは“体モノマネ”を続けていました。

生前ご本人に伺いを立てたところ、「やるんだったら中途半端じゃなく突きつめろ!何をどうやっても良いからちゃんとした芸をやれ!」と、怒られるどころか励まされたそうです。

寛大な心を持った、器の大きい方だったんですね。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

東国原英夫(そのまんま東)さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第189回)※2020年8月5日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第189回目の今日は東国原英夫さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとHIGASHIKOKUBARU  HIDEO となり、

苗字の最後の文字「る」と、下の名前の最初の文字「ひ」、

フルネームの最初の文字「ひ」と、最後の文字「お」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。 

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“ノーペアネーム”は活動が不安定になりがちです。

 

早稲田大学を中退してお笑いを志し、「笑ってる場合ですよ!」の素人参加コーナーに漫才で出場した際、ビートたけしさんに弟子入りを志願しました。

大森クンタ(後の大森(おおもり)うたえもん)さんと2人でツーツーレロレロという漫才コンビを組んで「お笑いスター誕生!」に出場した事もありましたが、10週勝ち抜きのチャンピオンまでとは行かず、その後はたけし軍団の一員となります。

 

最初に“殿”ことビートたけしさんの下へ1番弟子として入門した時、東英夫(ひがしひでお)という芸名をもらっていたのですが、他にも弟子が増えてたけし軍団となってきた頃に開かれた宴会の席でそれぞれの芸名が命名され、他のメンバーがつまみ枝豆(えだまめ)や井出(いで)らっきょなどと特異な名前を付けられていく中、何も言われなかった東さんが「私はどうなるんですか?」と聞いたところ、

「お前はそのまんま(現状維持の意味で)東でいいよ。」と言われました。

それをラッシャー板前(いたまえ)さんが勘違いして“そのまんま東”とメモした為に芸名がそのまんま東(ひがし)となってしまったのです。

 

東英夫(HIGASHI HIDEO)のままだったら、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ“なめらかネーム”だったのですが、そのまんま東(SONOMANMA HIGASHI )となった事で、芸名も“ノーペアネーム”になってしまいました。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

しかし本名の東国原英夫(HIGASHIKOKUBARU  HIDEO) という名前の全体を見るとA・I・U・E・O、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、“ロイヤルネーム”と呼びます。 

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“ロイヤルネーム”は芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

たけし軍団の中では1番弟子という事もあり、限りなくリーダーに近い存在でした。

グループ内にロイヤルネームの方がいる場合はリーダーになるか、非常に目立つ存在になるのです。

たけし軍団ビートたけしさんの番組はもちろん、一時は軍団だけでも冠番組を持つなど大人気となりました。

ところが1986年に起きた、かの有名な?“フライデー襲撃事件”により自粛を余儀なくされるのです。

しかしその自粛期間中に書いた小説「ビートたけし殺人事件」がベストセラーになって、そのまんま東さんが一躍脚光を浴びました。

 

母音ではなく文字で見ると(そのひがし)と、「ま」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。 

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この“ワンモアネーム”は、グループでも成功してソロ(ピン)としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。

 

ビートたけし殺人事件」はドラマ化までされて自身も出演し、そこで後の結婚相手となるかとうかず子さんと共演して知り合う事になるのです。

実はその前にも1度結婚・離婚をしていて、かとうかず子さんとは2度目の結婚でした。

2度目の結婚であんな美人女優と結婚出来たのですから運が良いですよね。

ロイヤルネームは恋愛・結婚運の強い名前でもあるのです。

ちなみに「ビートたけし殺人事件」の続編ともいうべき「明石家さんま殺人事件」も執筆し、ドラマ化までされました。

グループとピン、芸人と作家、結婚も2度目、たけしを殺してさんまも殺しと、色んな意味で“ワンモア”ですね。

 

ロイヤルネームの特性として、グループから独立・脱退する傾向もあります。

2000年、芸人になる前に中退した早稲田大学に42歳で再度入学し、社会学や政治経済学を学びました。かとうかず子さんと離婚後、本格的に政治家を目指して活動を始めたところ、師匠のビートたけしさんから「政治家になるなら軍団を脱退しろ」との命を受け、それを承認したのです。

まぁ、そういった経緯も宮崎県知事として一躍時の人となった、華々しい成功があったからこそ語られた後日談ですので、当時は密かな脱退劇だったのでしょう。

 

そして2007年、東国原英夫として宮崎県知事選挙に出馬して見事当選、「どげんかせんといかん」を合言葉に大活躍しました。「どげんかせんといかん」はその年の流行語大賞にも選ばれ、東国原英夫という長い名前の代名詞になったのです。

本名も母音ではなく文字で見ると(がしこくばるでお)と、「ひ」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

タレントのそのまんま東として有名になり、政治家の東国原英夫としても有名になりました。

まあ“ひがしこくばる”と苗字だけで7文字もあり、全体で10文字と私が見てきた本名の中でも1番長い名前なので、そりゃ母音も5つ入るだろうとか、同じ文字も2つ入るだろうとかいう意見もお有りでしょうが、それはさておき話を進めて参りましょう。

 

グループのリーダー的存在になり、派手な結婚をし、グループから独立し、政治家になるという、「何をやっても上手くいく」ロイヤルネームの特性を活かしきった、生きた見本の様な方なのです。

(割愛した部分には浮気、障害事件、未成年者との淫行など、上手くいかない事もありましたが。)

 

2011年に宮崎県知事任期満了後、東京都知事選に出馬するも落選。翌年衆議院議員選挙に当選しましたが1年で辞職と、タレント時代も合わせてこの安定しない感じは基本“ノーペアネーム”である事が原因かと思われます。

その後は元政治家の経験を活かし、コメンテーターとして活躍しています。

2014年には一般女性と3度目の結婚をしていた事が明らかになりました。

離婚してもまた他の相手を見つけて結婚するという形でロイヤルネームの「結婚運の強さ」を発揮する方もいるんですね。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

梅沢富美男さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第188回)※2020年8月4日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第188回目の今日は梅沢富美男さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとUMEZAWA  TOMIO となり、

苗字の最後の文字「わ」と、下の名前の最初の文字「と」、

フルネームの最初の文字「う」と、最後の文字「お」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

しかし全体を見るとUMEZAWA  TOMIO と、A・I・U・E・O 5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて、ロイヤルネームと呼びます。 

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ロイヤルネームは芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

 

本名は池田富美男(いけだとみお)という名前で、

ローマ字で書くとIKEDA TOMIO となり、「ウ」の母音がないのでこちらはただの “ノーペアネーム”ですね。

 

昭和14年に旗揚げされた剣劇一座『梅沢劇団』の創設者にして、戦前・戦後まもなくの大衆演劇界のスターだった父・梅沢清(うめざわきよし)さんと、娘歌舞伎出身の母との間に生まれた梅沢富美男さんは、1歳7ヶ月で初舞台を踏みました。

中学生になった頃に兄の梅沢武生(うめざわたけお)さんが座長を引き継ぎ、富美男さんはそれまでの男形から女形に転身します。

するとその美しさが評判となり、「下町の玉三郎」と呼ばれるスターとなりました。

しかも単なる“下町のスター”ではなく、テレビの取材も度々来て取り上げられたので全国的にも有名になったのです。

大衆演劇というのは基本の出演料(ギャラ)だけでなく、お客さんからの気持ちで“おひねり”と呼ばれる報酬を貰えるので、花形役者は儲かるんですね。それで全国を回る訳ですから年収は相当な額になっていた筈です。

『梅沢劇団』(武生さんが座長だった時期は『梅沢武生劇団』)は歌舞伎演目のパロディー芝居、ミュージカル仕立てのショー、そして歌謡ショーの3部構成で行われていました。

その歌謡ショーで唄う為に作られた「夢芝居」が大ヒットして、1回限りの「紅白歌合戦」出場も果たしています。

元々唄いたくなかった梅沢富美男さんは、「シクラメンのかほり」や「愛燦燦」など自分の好きな歌を手掛けた小椋佳(おぐらけい)さんが作ってくれるなら、と断られる前提で提案したところ、たまたまレコード会社のディレクターが小椋佳さんの銀行員時代の後輩だった事から話が進み、唄う羽目になったそうです。

そんな嫌々始めた様な歌手活動でもヒットして紅白にまで出場するんですからロイヤルネームの「何をやっても上手くいく」特性、侮れません。

 

2006年から始まった「情報ライブ ミヤネ屋」にコメンテーターとしての出演依頼が来ました。これも最初は「自分は中学校しか出ていないので教養もないから」と断っていましたが、義理の母やお手伝いさんなどの同居人が政治のニュースに愚痴や不満をぶちまけているのを聞いて、「これだったら自分にも出来るかも知れない」と思ってオファーを受けたのです。

だから「いつ降ろされても構わない」というスタンスで言いたい放題、正に恐いもの無しで不躾な発言を連発しました。しかしそれが視聴者目線で「言いたい事を言ってくれる」と好評になり、コメンテーターとしても成功したのです。

これまた嫌々と言うか破れかぶれで始めた仕事なのに上手くいってしまう。ロイヤルネームの恐ろしさです。

 

以降はバラエティーにも出演する機会が増え、ハラスメントや炎上を恐れて自由な発言が出来ない他のタレントを尻目に、「コンプライアンスなんて知らねぇよ」と言わんばかりに歯に衣着せぬ発言で一喝する「すぐに怒るおじさん」として有名になりました。

今の時代、怒れる人が少ないので“怒ってくれる人”が求められているのです。

本名にも芸名にも共通している(とみ)という下の名前を母音ではなく文字で見ると、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。 

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生まれ持っての自分に厳しいタイプなので、他人にもあれだけ厳しく言えるのでしょう。(斜体文字が加筆した部分です)

 

これからも梅沢富美男さんにはどんどん怒ってもらいたいですね。

ちなみに女形役者を演じている時の写真を“女装”と言われるとすぐに怒ります。

最近では調子に乗ってTwitter Instagram も始めましたが、流石にこれは上手くいかないんじゃないかと・・・いやこの方なら上手くいかせてしまうかも知れませんね。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

芦屋雁之助さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第187回)※2020年8月3日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第187回目の今日は芦屋雁之助さんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとASHIYA  GANNOSUKE となり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

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“なめらかネーム”は男女を問わず俳優業に強く、当たり役やヒット作に恵まれやすいという特性があります。

 

また全体を見るとASHIYA  GANNOSUKE と、A・I・U・E・O、5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けてロイヤルネームと呼びます。

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“ロイヤルネーム”は芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

 

 

本名は西部 清というお名前で、

ローマ字で書くとNISHIBE KIYOSHI となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味でリターンネームと呼びます。 

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本名がリターンネームで、芸名がなめらかネーム+ロイヤルネームという、今まで私が見てきた芸能人の中でも最高レベルの良いお名前です。

 

昭和24年、芸事が好きだった父の影響で漫才師に弟子入りし、弟の芦屋小雁(あしやこがん)さんと2人で芦屋雁之助・小雁として漫才を始めました。

若手漫才の有望株と呼ばれ4年間ほど活動した後、演劇評論家の勧めで喜劇役者に転向します。

昭和34年には大村崑(おおむらこん)さんらと『劇団・笑いの王国』に参加し、公開コメディー番組「番頭はんと丁稚どん」で薬屋の番頭を演じて人気を集めました。

ひょうきん族」世代の方はご記憶の方も多いでしょう。太平(たいへい)シローさんが芦屋雁之助さんのものまねで「いや!えらいとこ見つかってしもたやないの!」と言っていたのは、この番組で流行っていたギャグだったのです。

 

◉“裸の大将”のきっかけ

 

やがて『笑いの王国』からは弟・芦屋小雁さんらと共に独立し、『喜劇座』という新しい劇団を旗揚げします。その座付き作家だった藤本義一(ふじもとぎいち)さんから“画家の山下清(やましたきよし)に風貌が似ている”と指摘され、それをヒントに生まれた舞台劇「裸の大将放浪記」が公演されて評判を呼びました。

その後劇団が解散するとテレビに舞台を移し、時代劇「必殺からくり人」にレギュラー出演するなど、俳優の道を進んでいきます。

そして昭和55年(1980年)、漫才ブームに乗って誕生した演芸番組「花王名人劇場」の特別ドラマ「裸の大将放浪記」で再び山下清役を演じ、これが評判となって不定期ながらも17年にも渡る人気シリーズとなりました。

芦屋雁之助さんにとって山下清さんに風貌が似ていた事が当たり役となった要因ですが、本名の下の名前が同じ“清”というのも運命的なものを感じます。

 

また、にわかに始めた様な歌手活動においても、娘を嫁に出す父親の心情を綴った「娘よ」が大ヒットして、1回限りの「紅白歌合戦」出場まで果たしました。

実はロイヤルネームの歌手は結婚をテーマにした歌がヒットするというジンクスがありまして、

安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」や

山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」、

チェリッシュの松井悦子(まついえつこ)(現:松崎)さんの「てんとう虫のサンバ」、

山根康広(やまねやすひろ)さんの「Get Along Together」などが

結婚式の定番となり、いずれも代表曲となっているのです。

芦屋雁之助さんに至っては初めて出したレコードが結婚にまつわる歌だったわけですから、これも名前のもたらす運命的なものを感じずにはいられません。

 

本名の西部 清というお名前を母音ではなく文字で見ると( )と、「き」が入る“お・か・きネーム”と「し」が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

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弟とのコンビや劇団で成功した後、独り立ちして俳優・歌手としても成功したところに“ワンモアネーム”の運が発揮されたのではないかと思われ、“リターンネーム”の奥ゆかしさも相まってか、本業以外では表舞台に立ちたがらない(あまりトーク番組などで素の喋りを聞いた印象がない)、昔の役者気質のような自分への厳しさを持った方だったのではないかと思われます。(斜体文字が加筆した部分です)

 

94年頃からは持病の糖尿病が悪化してテレビや舞台出演を控える様になり、2004年に鬱血性心不全の為、72歳で亡くなられました。

少し短い生涯だったと言えるかも知れませんが、喜劇役者として俳優として、そして歌手としても成功を収めたのですから幸せだったのではないでしょうか。

「裸の大将」シリーズはドランクドラゴン塚地武雅(つかじむが)さんの主演で復活しましたが、2010年以降は新作が製作されていません。

やはり芦屋雁之助さんの山下清役はなかなか超えられない当たり役、いやハマり役ですからね。

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

德永英明さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第186回)※2020年8月2日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第186回目の今日は德永英明さんです。

このお名前は本名ですが、“英”のくさかんむりは正しくは「艹」と書く4画の旧字体です。

 

ローマ字で書くとTOKUNAGA  HIDEAKI となり、

苗字の最後の文字「が」と、下の名前の最初の文字「ひ」、

フルネームの最初の文字「と」と、最後の文字「き」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。 

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“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちです。 

しかし全体を見るとTOKUNAGA  HIDEAKI と、O 5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けて“ロイヤルネーム”と呼びます。 

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ロイヤルネームは芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。

 

中学3年生の時にラジオで聴いた井上陽水(いのうえようすい)さんの 「氷の世界」に衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになった德永英明さんは、19歳の時に大阪で通っていた専門学校を中退して上京し、ミュージシャンを目指し始めました。

父親からは「25歳までにデビュー出来なかったら普通の社会人として働け」と言われていたそうです。

21歳の頃には「スター誕生!」の決勝大会に出場するもスカウトの手は上がらず、24歳でミニFM局主催のミュージカルのオーデイションに参加、主演に選ばれてようやくきっかけを掴み、父親との約束ギリギリの24歳10ヶ月でアルバムとシングルの同時デビューを果たします。

そのデビューシングルが「Rainy Blue」でした。当初は無名の新人が唄う曲という事であまり注目されませんでしたが、彼の活躍と共に後々評価されて多くのアーティストにカヴァーされています。

デビュー2年目、4枚目のシングル「輝きながら・・・」がCMソングに起用されてヒットし、「ザ・ベストテン」などの歌番組にも出演して一気に知名度が上がっていきました。

続く「風のエオリア」もCMソングとしてヒット、武道館でのコンサートも成功させるなど、一流アーティストの仲間入りを果たしました。

1990年には個人事務所を設立し、その第一弾となった「夢を信じて」がアニメ「ドラゴンクエスト」の主題歌に、続く「壊れかけのRadio」がドラマ「都会の森」の主題歌に起用されてどちらも大ヒットとなります。

何もかも順風満帆かに見えましたが、その頃にはヒット曲を生み出すプレッシャーに苛まれる様になっていました。

 

◉病気との闘いと再起

 

そんなプレッシャーの影響からか、93年には声帯ポリープの手術でツアーを延期するという事態が起きてしまい、以降テレビ出演も控えるようになります。

90年代後半からは小室哲哉(こむろてつや)さんのブームに押されてCDの売り上げも伸び悩み、それまで味わった事のない低迷期を迎えました。

そして2001年にはもやもや病(脳血管障害の一種)を発症して、しばらくの活動休止を余儀なくされました。

およそ1年半掛けて何とか克服したもののそのブランクは大きく、もはや“過去の人”になりかけていたのです。

この辺りにノーペアネームの不安定さが表れていると言えるでしょう。

 

しかし、この方には小室哲哉さんがあのブームの最中、「日本の男性歌手で1番良い声の持ち主」と羨む程の美声が残されていました。

2005年に女性ボーカリストのカヴァーを集めたアルバム「VOCALIST」を発表するとこれが大ヒットして再評価が高まり、翌年には「VOCALIST2」を発売すると共に「紅白歌合戦」にも初出場を果たしました。その後も「VOCALIST」シリーズは第6弾まで及び、「紅白」にも10年連続で出場するなど、歌手としての命を吹き返したのです。

さすが何をやっても上手くいくロイヤルネーム、シンガーソングライターとして作詞・作曲した「壊れかけのRadio」、歌手として楽曲提供してもらった「輝きながら・・・」、そして

カヴァーアルバム「VOCALIST」と、何をやってもヒットするんですねぇ。

 

ただ2016年には急性咽頭喉頭炎の為にツアーの一部を延期、18年には軽度の脳梗塞を発症して入院するなど、病気との闘いは続いている様です。こればっかりはロイヤルネームの力でも避けられないでしょう。

しかし母音ではなく文字で見ると(とくながひであ)、「き」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。

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自分に厳しいタイプなので、還暦を過ぎた今も病気と闘いながら活動を続けているのです。(斜体文字が加筆した部分です)

 

この様に有名人のお名前を母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

テレサ・テンさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第185回)※2020年7月30日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第185回目の今日はテレサ・テンさんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとTERESA TENとなり(英字綴りではTERESA TENG)、最初と最後の文字の母音が同じ「エ」である事がよくわかります。

(最後が「ン」で終わる名前の場合、一つ前の文字で判断します。)

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

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テレサ”は彼女が尊敬するマザー・テレサにちなんで自ら名付けたという説もありますが、カトリック信徒だった故の洗礼名という説もあります。

本名は鄧 麗筠(デン・リーユン)といいますが、筠という字が“ジュン”と間違えて発音される事が多かった為、中華圏では鄧 麗君(デン・リージュン)という芸名を使っていました。

ここでは日本での芸名テレサ・テンとして診断していきます。

 

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」運が強く、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

10歳の時、台湾の歌唱コンテストで優勝すると天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューします。16歳で主演映画が製作されて女優デビューも果たすとタイやシンガポール、マレーシアなどでも人気に火がつき、18歳の時には香港でも歌手デビューするなど、アジアのトップスターとなっていたのです。

その人気に目を付けた日本のレコード会社が契約に漕ぎつけ、1974年に日本でも歌手活動を始めました。1曲目こそ不発に終わりましたが2曲目の「空港」がヒットして「日本レコード大賞」の新人賞を受賞するなど、日本でもスターの仲間入りを果たします。

しかし79年に、台湾ではなくインドネシアのパスポートで来日しようとした事が旅券法違反とされ(当時日中国交正常化の影響で日本は中華民国と国交断絶していた為、台湾のパスポートでは入国手続きが困難だった)、国外退去処分を受けた為に日本での活動が出来なくなってしまいます。

 

◉日本へのリターン

 

処分から1年後、台湾・香港で活動を再開したテレサ・テンさんは中国本土でも人気を集め、コピーしたカセットテープ(海賊版)が出回る程でした。

そして83年、日本のファンの強い要望もあって再来日が許可され「ふたたびの」小林幸子さんのカヴァー)を挨拶がわりに日本再デビューを果たします。

84年には「つぐない」が有線放送で圧倒的な支持を受けて「日本有線放送大賞」を受賞、続く「愛人」時の流れに身をまかせもヒットして、3年連続で受賞するという快挙を成し遂げました。「つぐない」「愛人」は150万枚、「時の流れに身をまかせ」は200万枚を越える大ヒットで、いずれもテレサ・テンさんを語るにおいて欠かせない代表曲となりました。

母音ではなく文字で見るとレサ・ンと、「テ」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

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日本でも活動もワンモアと言わんばかりに、文字通り2度目のチャンスをものにしたのです。まぁあくまで日本人から見た観点ですけどね。

(斜体文字が加筆した部分です)

その後も「別れの予感」などのヒットで日本での人気を不動のものにしましたが、86年に中国で彼女の歌が事実上解禁となった事もあり、再び香港に移住します。

 

◉平和への願いと謎の死

 

彼女には両親の生まれた中国本土でコンサートを開くという夢がありました。

89年には香港で行われた中国の民主化支援コンサートに参加して、唄う事で平和への願いを届けましたが、その活動むなしく中国で天安門事件が起きてしまいます。

90年に予定されていた中国本土でのコンサートは中止となり、中国共産党政府に失望した彼女は、イギリスから中国に返還される事が決定していた香港を離れ、フランスのパリへと移住しました。

それ以降は日本を訪れる事も稀になり、持病の喘息も悪化していったのです。

そんな各地を転々とする活動をしていた為か、アジアの各国では死亡説が流れていました。

母国台湾へ他国の軍事事情を知らせる為のスパイとして働いていたとされる暗殺説から、エイズによる病死説など様々な憶測が飛び交いましたが、どれも真実とは異なるものでした。

本当のところは、空気の良い場所で静養する為に訪れていたタイのホテルでの、気管支喘息の発作によるものでした。

 

42歳の若さでこの世を去ったテレサ・テンさんの死はアジア中に衝撃を与え、多くのファンが悲しみに暮れました。台北市では国葬並みの葬儀が行われ、各国から3万人以上の参列者が詰めかけたそうです。

墓は小さな公園の様に整備され、本名の一部を取って“筠園”と呼ばれています。墓前には銅像があり、彼女の歌が常に流されているそうです。

また、遺体は火葬されておらずエンバーミングを施されて土葬されました。没後50年は生前の姿であり続けるといいます。

偉大な“アジアの歌姫”テレサ・テンは今も平和を願って唄い続けているのです。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

ジュディ・オングさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第184回)※2020年7月29日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第184回目の今日はジュディ・オングさんです。

このお名前は芸名です。

 

ローマ字で書くとJUDY ONGU となり(英字綴りではJUDY ONGG)、フルネームの最初と最後の文字の母音が同じ「ウ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

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台湾名は翁 倩玉(Ong chhiàⁿ-ge̍k)といい、

“ジュディ”は英語の家庭教師に付けられた名前です。

日本に帰化した当初は翁 玉恵(おきな たまえ)で、

現在の帰化名は翁 ジュディです。

いくつも名前がある方なのでややこしいですが、ここでは日本での芸名ジュディ・オングとして診断していきます。

 

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。 

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」運が強く、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

1952年、父の仕事の都合で2歳の時に台湾から来日したジュディ・オングさんは、9歳で劇団ひまわりに入団します。

その2年後から映画やドラマに出演し、16歳で歌手としてもデビューしました。

同時期にはアニメ映画「サイボーグ009」の003役で声優デビューも果たします。

その後も歌手業と女優業の両輪の活動を続け、日本だけでなく母国台湾でも映画やドラマに出演するなど大車輪の活躍を見せていました。

やがて1972年の日中国交正常化を機に日本に帰化し、日本に拠点を置くようになります。

 

そして79年、「魅せられて」という歌と出逢う事になるのです。

副題には「エーゲ海のテーマ」とあり、この歌は日本とイタリアの合作映画「エーゲ海に捧ぐ」をイメージして作られました。

あの袖が扇状に広がる羽根の様なドレスは、当初映画の1シーンがスクリーンの様に映し出される予定でしたが、テレビでの初披露の際に映像が間に合わず、急遽バックからライトを当てる演出に変更となります。しかしそれが、イントロが流れた瞬間に浮かび上がる彼女のシルエットを際立たせるという思わぬ効果を生み、以降も続けられて強い印象を与えました。

そして「魅せられて」は200万枚を越える大ヒットとなり、「日本レコード大賞」まで受賞したのです。

なお、あのドレスのデザインは彼女自身によるもので、最初は袖の先を中指に引っ掛ける小振りなものでしたが、「紅白歌合戦」などの大舞台ではより大きく見せる為に棒で伸ばすなどの変化が加えられました。

あのドレスは「魅せられて」と共にジュディ・オングさんの代名詞となり、現在でも袖にヒラヒラの付いた衣装を着た人が「ジュディ・オングみたい」と言われる程になったのです。

小林幸子(こばやしさちこ)さんや天童(てんどう)よしみさんなど、他の歌手にも影響を与えたと言って間違いないでしょう。

そんな歌に出逢えた事と、衣装のデザインやハプニングなども含めて、これも“リターンネームのヒット曲運”と言えるかも知れません。

同曲がヒットしていた頃、アメリカのテレビドラマ「将軍 SHOGUN」の出演依頼も来ていたものの、忙しさのあまり断念した為にその代わりを島田陽子(しまだようこ)さんが務めたという逸話も残っている程です。

 

また、1980年には台湾の国民栄誉賞王貞治(おうさだはる)さんに次ぐ2人目として受賞し、85年に「おしん」が香港で放送された際には、香港版オリジナル主題歌を広東語で唄って、東南アジア全域で大ヒットしました。

母国の台湾語以外に日本語、英語、中国語、広東語、スペイン語と6言語を話せる才女でもあるのです。

日本で「必殺からくり人」など多くの時代劇で演技が出来ていたのも、それだけ語学に堪能だったからなのですね。

 

芸能以外では75年から棟方志功(むなかたしこう)門下の版画家に師事し、93年からは日本をはじめ台湾やフランスでも個展を開くなど、版画家としての一面も持っています。

(斜体文字が加筆した部分です)

帰化後の翁(おきな)という苗字には「お」と「き」が入る“お・か・きネーム”でもあります。

(芸名の“オング”にも「オ」が入っています) 

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仕事の傍らでも一度やり出したら本格的に取り組む、自分への厳しさが表れたのでしょう。

 

今年1月には71歳になり、今も現役で歌手を続けられています。(7月に開催予定の「めざましクラシックス サマースペシャル2021」にも出演が決定しています。)

それももちろん「魅せられて」という、大ヒットした1曲があるからなのです。やはり歌手にとってヒット曲に恵まれる事は大きいですね。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。