矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

光GENJI (2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第95回)※2021.3.17改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人(一組)ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第95回目の今日は光GENJIの7人です。

 

光GENJIGENJIという5人のグループ(諸星和己さん、山本淳一さん、佐藤敦啓さん、佐藤寛之さん、赤坂晃さん)にの2人(大沢樹生さん、内海光司さん)が加わって光GENJIになりました。

お名前は7人とも本名です。

愛称で呼ばれる事は少なく、強いて言えば諸星和己さんが“カーくん”と呼ばれていたぐらいでしょうか。

 

では個人名をみていきましょう。

まず大沢樹生さんのお名前をローマ字で書くと

OSAWA MIKIOとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

 

続いて赤坂晃さんは

AKASAKA  AKIRAとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の文字、フルネームの最初と最後の文字の母音が全て同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”、更に4つのポイントが全て同じ母音なので“フォーカードネーム”となります。

 

そして内海光司さん、諸星和己さん、山本淳一さん、佐藤敦啓さん、佐藤寛之さんは

UCHIUMI KOJI、MOROHOSHI KAZUMI、YAMAMOTO JUNICHI、

SATO ATSUHIRO、SATO HIROYUKIとなり、

リターンネームの条件であるフルネームの最初の文字と、最後の文字   

なめらかネームの条件である苗字の最後の文字と、下の名前の最初の文字

この2つのポイントの母音が違うので、どちらのタイプにも当てはまりません。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

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グループの中にリーダー向きのロイヤルネームがいるとその方がリーダーになる事が多いのですが、7人の中にいなかったせいかリーダーは特に決められていませんでした。

 

◉衝撃のデビュー

 

1987年、アイドル的人気を誇ったチェッカーズや、ジャニーズの先輩グループ少年隊が女性人気を集めていた中、それらを押しのける様にローラースケートで颯爽と現れた7人の少年、それが光GENJIでした。

デビュー曲「STAR LIGHT」はヒットチャートの1位に輝き、たちまちトップアイドルの座に立ちます。

丁度その頃仕事で2ヶ月ほど海外に行っていた藤井(ふじい)フミヤさんは、

「帰ってきてテレビつけたら、ローラースケート履いた知らない男の子達が走り回っていて、しかも1位だって聞いて驚いた」そうで、時代の渦中にいた人まで驚くほどのあっと言う間の出来事だったのです。

光GENJIは言うまでもなく「源氏物語」の主人公・光源氏から取った名前ですが、最初の文字と最後の文字の母音が同じ「イ」なので偶然にも“リターンネーム”になっていました。

光GENJIが大人気だった頃、あとに続けとばかりに男闘呼組(おとこぐみ)や忍者(にんじゃ)といったグループがジャニーズからデビューしたのですが、どちらもリターンネームではなかった為に人気は振るいませんでした。というのは私個人の見解で、本当のところは光GENJIに人気が集中し過ぎて、この2組がファンを獲得できなかったのです。

 

◉歌番組にレギュラー出演

 

その後もガラスの十代パラダイス銀河など、出す曲全て1位になる程の大人気となった事で「ミュージックステーション」に毎週登場する様になります。本来は“ゲスト”ですが毎週出演するとなるともう“レギュラー”ですよね。しかも約5年間も続いたので総出演回数は234回と、今だに破られていない最高記録です。

が破るかと思われましたが活動休止してしまったので“タイトル”防衛しました。)

そして「パラダイス銀河」がレコード大賞まで受賞して時代の頂点に立ったのですが、メンバーが7人とやや多過ぎた為、その足並みはいつまでも揃いはしませんでした。

光GENJIはメンバーの個人活動、いわゆるバラ売りが特に少ないグループでしたが、その反動からか人気が下降し始めると、もっと違う形で自分を表現したいと、7人のうち2人が脱退してしまいます。

脱退した2人のうちの1人、リターンネームの大沢樹生さんは俳優として映画やドラマに舞台を移しましたが、もう1人の佐藤寛之さんはノーペアネームの為か、その後の活動はほとんど知られていません。ノーペアネームの特性は「不安定」で、一時的に人気者になっても持続しにくいのです。ここでも明暗がくっきり分かれたと言えます。

残った5人で光GENJI SUPER5として再スタートを切るのですが、リターンネームでなくなった為に人気が再燃する事はなく、とうとう解散を迎えます。

解散後はあの人気が嘘だったかの様に、各メンバーがテレビから姿を消しました。先述の通りバラ売りが少ないグループでしたので、俳優業など個人活動の準備も出来ていなかったのです。

そんな中唯一頭角を現したのが赤坂晃さんでした。

なめらかネームの特徴である俳優運を活かし、ドラマや舞台などに出演して再び注目を集めます。

しかし、覚醒剤を所持していた事が発覚して現行犯逮捕され、使用も認めた事でジャニーズ事務所からも解雇されました。

皮肉な事に1番良い名前だった彼が失墜してしまった訳ですが、母音ではなく文字で見ると(ら)と、「か」が2つと「き」が1つの計3つも入る、かなりハードな“お・か・きネーム”でもあるんですねぇ。(斜体文字が加筆した部分です)

自分に厳しいタイプであると同時に、自分を追い込みやすいタイプでもあり、その追い込み方を間違えると自我を見失い、己を滅ぼす危険性もある名前なのです。

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他のメンバーは名前の適性が診断出来ないほど、個人名が前に出る様な活動をしておらず、

結局アイドル向きのリターンネーム、大沢樹生さんだけが俳優として残った訳ですが、この方も仕事よりスキャンダルで有名になった感が強いですね。

もう1人の“光”内海光司さんは今もジャニーズに在籍し、舞台中心に俳優活動を続けているそうですが、ノーペアネームのせいかなかなか主役にはなれない様です。

1番人気のあった筈の諸星和己さんは流石に近年ちょくちょくテレビで見かけますが、彼の弱点は当時の裏話をしようとすると、自分の首を締めてしまう事になるのであまり喋れないという所ですね。まぁ自業自得でしょう。

 

光GENJIの失速後、ジャニーズアイドルはしばらくの間一線を退きます。アイドル冬の時代などと呼ばれ、メディアに登場しないバンドや、実力派アーティストと呼ばれる人達が音楽界の主導権を握るようになりました。その為テレビの歌番組は次々と終了し、アイドル達は歌を披露するチャンスすらなくなってしまいます。昭和の終わりから平成へと駆け抜けた光GENJIの時代の終わりは、80年代のアイドル時代の終わりでもあったのですね。

再結成の噂もあるようですが、前向きなメンバーもいれば消極的なメンバーもいて、やはり7人の足並みはなかなか揃わない様です。もし揃ったとして、今もローラースケート履いて走り回れるんでしょうか?

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

少年隊(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第94回)※2021.3.16改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人(一組)ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第94回目の今日は少年隊の3人です。

 

それぞれのお名前は錦織一清さん、植草克秀さん、東山紀之さん。

3人とも本名です。

愛称は“ニッキ”“カッちゃん”“ヒガシ(くん)”でした。

 

最初のグループ名はジャニーズ少年隊でしたが、当初のメンバーだった松原康行(まつばらやすゆき)さんという方に替わって東山紀之さんが入った時、少年隊に変わりました。

 

では個人名をみていきましょう。

まず“ヒガシ” こと東山紀之さんのお名前をローマ字で書くと

HIGASHIYAMA NORIYUKIとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

 

続いて“カッちゃん” こと植草克秀さんは

UEKUSA  KATSUHIDEとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

 

そして“ニッキ” ことリーダーの錦織一清さんは

NISHIKIORI KAZUKIYOとなり、

リターンネームの条件であるフルネームの最初の文字「に」と最後の文字「よ」、   

なめらかネームの条件である苗字の最後の文字「り」と下の名前の最初の文字「か」、

この2つのポイントの母音が違うので、どちらのタイプにも当てはまりません。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

 

グループの中にリーダー向きの“ロイヤルネーム”がいると、その方がリーダーになる事が多いのですが、いない場合は大抵年長者がリーダーになります。錦織さんもノーペアネームなのでリーダー向きではありませんでしたが、年長者なのでリーダーを任された口です。

 

◉歌も踊りも本格派

 

ジャニーズJr.時代を共にしながらも、結成から早々とレコードデビューしたシブがき隊とは違い、少年隊は踊りや歌のレッスンに充分過ぎる程の月日を費やしました。(シブがき隊のデビューが1982年の5月で、少年隊のデビューが85年の12月ですから、いかに時間を掛けたかがお分かり頂けるでしょう。)

そして満を持してのファーストシングルが「仮面舞踏会」でした。鍛錬されたダンスアクションは見る者を釘付けにし、瞬く間にチャート1位を獲得します。

その後もデカメロン伝説」「バラードのように眠れ」、名曲「君だけに」などのヒットが続き隆盛を極めていたのですが、本当に人気絶頂だったと言える全盛時代は意外と短く、強烈なインパクトで現れた後輩グループ光GENJIに中高生ファンを奪われた為か、「落ち着いた大人のグループ」という、何とも聞こえのいい表現をされる様になると共に、人気のほうも落ち着いていってしまうのです。

少年隊がシブがき隊から活躍の場を奪い取って“解隊”に追い込んだ様に、少年隊もまた同じジャニーズのグループに人気を奪われました。

この頃は一時代にひとつしか男性アイドルグループ枠が無かったかの様に、新しいグループが出てきては前のグループが心太式に押し出される、そんな時代だったんですね。

私から言わせれば、少年隊という名前がリターンネームじゃなかったからだという結論になってしまうのですが、ただグループでの活動が少なくなってきた頃、不思議な現象が起こります。メンバーのうちの一人だけがやたらと持てはやされされる様になるのです。

 

◉明暗を分けた名前と“顔”

 

それがリターンネームの東山紀之さんでした。なぜ彼だけが持てはやされたかと言うと、その頃男性の顔の系統を区別する方法として、“しょうゆ顔”や“ソース顔”といった表現が使われていました。そしてその“しょうゆ顔”を分かりやすく相手に説明する為の例として「少年隊の東山君みたいな感じ」と、彼の名前が代名詞になっていたのです。

彼は特段何もしていないのですが、“しょうゆ顔”の典型であった為に、マスコミが名前を使う=勝手に名前を売り込んでくれる、という本人も思いも寄らない宣伝効果が上がったのです。元々グループ一の長身に流行りの顔が乗っかった訳ですから、そりゃ女性人気も高まりますよ。そしてとうとう、東山紀之さん個人の人気が少年隊の人気を追い越してしまったのです。やはりリターンネームはアイドル向きの名前なんですね。 

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では、あとの二人はというと・・・

植草克秀さんはなめらかネームでしたね。

なめらかネームの特徴は、男女を問わず俳優業に強いという事です。

彼はその特徴である俳優運を活かし、人気シリーズ「渡る世間は鬼ばかり」のレギュラーの座を確保しました。こんな事を言うと怒られるかもしれませんが、アイドル時代は一番不器用そうだった彼が、この番組のレギュラーを射止めたのは見事と言って良いでしょう。その逆に一番器用だった方が、その器用さを発揮する場所を失ってしまいました。

 

そう、ノーペアネームの錦織一清さんです。

ノーペアネームの特性は「不安定」で、一時的に人気者になっても持続しにくいのです。

彼は非常によく喋るタイプでまた面白く、「ピッチャーの投球モーションの逆再生」など一発芸も持っていたので、バラエティーで生き残っていくかと思ったのですが、運に恵まれなかったのか、テレビで見かける事はほとんどなくなりました。才能のある人間が必ずしも生き残るとは限らない、芸能界の難しさと言ったところでしょうか。

 

◉永遠の“少年隊”

 

新曲のリリースも無く、グループでの活動もしていませんが、実はまだ解散していません。

そして誰も芸能界を引退していないので、グループは今も存続中という事になります。

 

そうは言っても錦織さんは舞台の演出など裏方にまわっていますし、植草さんも「渡鬼」以外で目立った活躍はありません。

唯一東山さんだけが俳優、キャスターとして活躍しています。

奥さんの木村佳乃(きむらよしの)さんも女優業にバラエティーにと、何かが吹っ切れた様に活躍なさっていますね。

東山さんの一人勝ちという感じですが、もし“しょうゆ顔”じゃ無かったらどうなっていたのか、いやそれよりも全員50代の中高年になったのに少年隊っていう名前、もうジャニーズに返上したほうが良いんじゃないでしょうか。

 

・・・なんて事を1年前に書いたんですが、昨年末の活動休止の陰で、錦織さんと植草さんがジャニーズ事務所を退所しました。(斜体文字が加筆した部分です)

これで事実上の解散となった訳ですが、少年隊という名前はリスペクトを込めて残されるそうです。残すと言っても東山さんだけで少年隊を名乗るのは変ですし、まぁ私なりの解釈をすれば、野球の背番号でいう“永久欠番”みたいなものなんでしょうかね。

計らずも本当に「永遠の“少年隊”」になってしまった様です。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

シブがき隊(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第93回)※2021.3.15改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人(一組)ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第93回目の今日はシブがき隊の3人です。

 

それぞれのお名前は薬丸裕英さん、本木雅弘さん、布川敏和さん。

3人とも本名です。

ニックネームは“ヤックン” “モックン” “フックン”でした。

当時大人気だった“たのきんトリオ”に続けとばかりにデビューした3人組で、ドラマデビューはシブがき隊結成前の「2年B組仙八先生」(主演はさとう宗幸さん)でした。

不良生徒の役だったので最初は“悪ガキトリオ”と呼ばれ、一般公募で選ばれた“シブがきトリオ”を経て、最終的にジャニーさんが“シブがき隊”にしたそうです。

“トリオ”はたのきんでも使っていたので、あえてトリオではなく“隊”にしたそうですが、偶然にもその後続く光GENJI、SMAPTOKIO、V6らと同じ“リターンネーム”になったのです。

シブがき隊がデビューした1982年はアイドル豊作の年となり、中森明菜さんや小泉今日子さん、松本伊代さんや早見優さんなど、後に「花の82年組」と呼ばれる人気アイドルが出揃った年でした。

 

では個人名をみていきましょう。

まず“ヤックン” こと薬丸裕英さんのお名前をローマ字で書くと

YAKUMARU  HIROHIDEと、

、5つの母音が全て入る“ロイヤルネーム”になります。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。 

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続いて“モックン” こと本木雅弘さんは

MOTOKI MASAHIROとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

そして“フックン” こと布川敏和さんも

FUKAWA TOSHIKAZUと、

最初と最後の母音が同じ「ウ」なので“リターンネーム”ですね。

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グループ名がリターンネームで、個人名がロイヤルネーム一人とリターンネーム二人という、名前の法則的には申し分の無いグループでした。

 

本木雅弘さんは端正な顔立ちで、女性人気も一番高かったのではないでしょうか。その証拠に薬丸裕英さんに代わって何曲かセンターに立った事もある程です。

リターンネームのアイドル性の高さが活かされたんですね。

 

もう一人の布川敏和さんは同じリターンネームでありながら三枚目路線というか、シブがき隊がメインの番組「レッツGOアイドル」内のコントでも、ボケ役に廻る事が多かったと思います。「アイドルなのに一重まぶた」と弄られる事もあり(ある時期からは開き直って自虐ネタにしていた)、ファンをよく笑わせていました。

リターンネームのバラエティー向きの特性のほうが活かされたのでしょう。

 

◉代表曲は「スシ食いねェ!」?

 

シブがき隊の曲のタイトルは準和風テイストが多く、

「Hey!Bep-pin(ベッピン)」「サムライ・ニッポン」「喝!」

「アッパレ!フジヤマ」「べらんめぇ!伊達男(ダンディ)など、

インパクト重視としか思えない古の日本語ばかりが用いられていました。

中でもNHKみんなのうた」にも起用された「スシ食いねェ!」が3人のキャラクターとも相まって大ヒットします。

どんな歌かは説明しなくても、今だにグルメ情報を扱う番組でお寿司が紹介される時には必ずと言っていい程使われていますよね。

「ヘイ・らっしゃい!」で始まるアレですよアレ。シブがき隊の他の歌は知らなくても、この歌は誰もが知っているでしょう(番組で使われる冒頭の部分だけかも知れませんが)。これはもう間違いなく代表曲です。

 

◉解散ではなく“解隊”

 

「スシ食いねェ!」のヒットから数ヶ月後、シブがき隊は突如“解隊”を宣言します。

原因は色々あったそうですが、歌とダンスのレッスンに時間を掛け、満を持してデビューした同じジャニーズの少年隊の登場が大きかったでしょう。

彼らの華麗なダンスや見事なバク転を見た時「俺達は終わった」と思ったそうです。

(ジャニーズなのにバク転が出来ない事も自虐ネタにしていましたが。)

解隊後本木さんと布川さんはジャニーズを退所し、一年後に薬丸さんも退所しました。

本木さんは俳優として第二のスタートをきり、「おくりびと」で数々の賞を受賞するなど、揺るぎない地位を築きました。プライベートでは内田裕也さん、樹木希林さんの娘である内田也哉子(うちだややこ)さんと結婚し、養子に入る形となった為現在の本名は内田雅弘となっています。

布川さんは「花の82年組」代表として当時のアイドルの裏話を暴露する光景をよく見かけました。やはりバラエティー寄りなんですね。つちやかおりさんとの離婚後はそういう機会も減ったようですが、今はお元気なのでしょうか?

母音ではなく文字で見ると(わとしず)と、「か」が2つも入る“お・か・きネーム”でもあるんですが、グループの中の一員で、しかも“フックン”と呼ばれ続けていたので作用しなかったんでしょうかねぇ。(斜体文字が加筆した部分です)

 

解隊以降はそれぞれ活動しながらも、一度も共演がないというこの3人。布川さんのメディア露出激減によりその可能性は益々低くなりましたが、待ち望んでいるファンもいると思いますよ。何と言っても元ジャニーズアイドルですから。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

野村義男さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第92回)※2021.3.14改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第92回目の今日は野村義男さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとNOMURA  YOSHIOとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

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リターンネームは男女を問わずアイドルに強い名前です。

・・・が、この方は“野村義男”名義での活動をほとんどしておらず、そのためかアイドル向きの特性は活かされませんでした。しかしリターンネームのもう1つの特性が活かされます。

 

野村義男さんは昨日紹介した近藤真彦(こんどうまさひこ)さんと同じ“たのきんトリオ” の“の”として、人気アイドルの仲間入りをしました。

たのきんトリオを中心に歌やコントが繰り広げられたバラエティー「たのきん全力投球!」に出演していましたが、先にレコードデビューしていた田原俊彦(たはらとしひこ)さんと近藤真彦さんが人気を二分していた為、野村義男さんは出番も少なく1番目立たない存在でした。

 

愛称は田原俊彦さんの“トシちゃん” 近藤真彦さんの“マッチ”に習って下の名前“義男”の“よ”を取って“ヨッちゃん”と呼ばれ、人なつっこい笑顔で親しまれましたが、彼だけがなかなかレコードデビューが決まらず、「ヨッちゃんはいつデビューするんだ」とファンもヤキモキしていた頃、ようやくその時が訪れます。

まず“野村義男”名義で「待たせてSorry」というタイトルのアルバムを出しますが、いきなりアルバムは相当なファンでないと手を出せませんよね。

その後ギターが好きだった事もあってかバンドとして本格的にデビューするのですが、いかんせんその名前がTHE GOOD-BYE(ザ・グッバイ)。

散々待たせてやっとデビューしたと思ったらもう「サヨナラ」かと。

いやそういう言葉の意味はさておき、最初の文字「ザ」と最後の文字「イ」の母音が違うのでリターンネームにはなりません。いわば“ノーリターンネーム”です。 

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この“ノーリターンネーム”のバンドはあまりテレビに出ないバンドが多く、そのせいかテレビとの相性も良くないようです。(斜体文字が加筆した部分です)

ジャニーズでは後輩の男闘呼組(おとこぐみ)もバンドスタイルでしたが、成功した部類には数えられていませんね。

その年ライバルが少なかったせいか、レコード大賞の最優秀新人賞を獲ったのですが、せいぜいヒットしたと言えるのはデビュー曲だけだったように思います。THE GOOD-BYEはその名の通り、人知れず解散してしまいました。

 

◉再びの脚光

 

バンド解散後はジャニーズ事務署から独立し、“野村義男”名義でソロアルバムを発表しますが、ジャニーズという強力な後ろ盾を失った為かこの頃の活動はほとんど知られていません。その後もギタリストや作曲家などの音楽活動は続けていたものの表舞台からは遠ざかっていました。

世間では「消えたヨッちゃん」「ヨッちゃんは何処へいったのか」などと囁かれていましたが、思わぬところで彼は再び脚光を浴びます。

1998年に浜崎(はまさき)あゆみさんが歌手デビューしてブレイクした時、バックバンドに何処かで見た顔が!そう、ギタリストとして参加していた野村義男さんでした。

冒頭で触れたリターンネームのもう1つの特性、それは前に出るよりも1歩下がったほうが成功する確率が高いという事です。

たのきんトリオ”時代は他の2人より一歩下がっていた事で人気を維持し、THE GOOD-BYEのボーカルとして前に出ると上手くいかず、浜崎あゆみさんのバックに廻ると再び日の目を浴びる。彼の活動ぶりはある意味リターンネームの典型と言えるのです。

母音ではなく文字で見ると(のむらよし)と、「お」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。

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地道にでも自分に厳しく音楽活動を続けていたからこその賜物でしょう。

 

その後は「仮面ライダー」の主題歌などを専門で演奏するバンド

RIDER CHIPS(ライダーチップス)を結成(ボーカルではない)するなど、バックバンド以外にも活動を拡げてきました。浜崎あゆみさんのテレビ出演機会が減少し、ツアーでもバックバンドを入れない様にしたそうですが、ギターの腕は誰もが認めるものですから生き残る道はいくらでもありそうですね。

そして今から約1年前、24年ぶりとなる野村義男”名義でのソロアルバムを発売しました。結局長い目で見ると、“たのきん”の中で1番長く活動し続けているんじゃないでしょうか・・・?

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。

 

近藤真彦さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第91回)※2021.3.13改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第91回目の今日は近藤真彦さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとKONDO  MASAHIKOとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”は男女を問わずアイドルに強い名前です。 

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近藤真彦さんは多くのアイドルを輩出してきたジャニーズ事務所のトップとして走り続けてきました。往年のファンから若い世代においても新しいファン層を獲得し、ずっとアイドルを続けてこられた方なのです。

 

1979年にスタートした「3年B組金八先生」(第1シリーズ)で注目を集めた田原俊彦(たはらとしひこ)さんの“た”、野村義男(のむらよしお)さんの“の”、近藤真彦さんの近という字を読み替えて“きん”、3人の頭文字を取って名付けられた“たのきんトリオ”がアイドルとしての第1歩でした。

ただし、正式なグループではなく3人をまとめて呼ぶ時の呼称に過ぎず、レコードデビューのタイミングも3人バラバラでした。

このたのきんトリオという名前も一応診断しておきますと、リターンネームではないのでグループ名として良い名前とは言えません。共演映画も5本ぐらいまで製作されましたが、トリオとしての活動は長く続きませんでした。

 

◉愛称“マッチ”に関する誤解

 

近藤真彦さんは“マッチ”という愛称で親しまれ、上記の“たのきん”システム通り真彦の“ま”を取って“マッチ”になったのかと思いきや、「金八先生」出演時に髪が短く“マッチ棒”の様なヘアースタイルだったからだそうです。真彦の“ま”でもあるからというのは後付けだったようですね。

またモノマネをする人がよく「マッチでーす!」と叫びますが、本人は1度も叫ぶどころか「マッチです。」と自分から名乗った事もないそうです。

これは一重に、モノマネで最初に「マッチでーす!」と言った片岡鶴太郎(かたおかつるたろう)さんのせいです。

オレたちひょうきん族」の“ひょうきんベストテン”のコーナーで近藤真彦さんの役を任された際、元気なイメージを出す為に「マッチでーす!」と叫んでいたのですが、人気番組だった事もありこれが浸透してしまったのですね。

いずれにしてもこの言いやすい愛称のお陰で人気も加速したのですが、以前タモリさんを紹介した時に『愛称はア段で始まるほうが良い』のではないかという話をさせて頂きました。

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その理由として、後輩が呼ぶ時に“さん”付けで呼びやすいからと申しましたが、近藤真彦さんもジャニーズの後輩からは “マッチさん”と呼ばれています。

最後に「ん」が付くものの、最初の文字「マ」と、「ん」の1つ前の文字「さ」の母音が同じ「ア」なのでリターンネームですね。

だから“近藤さん”ではなく“マッチさん”のほうが呼びやすく、また大勢の後輩から慕われ続けているのではないでしょうか。

 

◉ライバルの存在

 

スニーカーぶる〜すブルージーンズメモリーハイティーン・ブギなど初期はロック調の激しい曲が多かったのですが、一足先にデビューした田原俊彦さんとの差別化を図る意味もあったでしょう。

カラフルな衣装でポップな曲調を唄うアイドル路線の田原俊彦さんとは違い、「男らしい歌」をヒットさせていきます。

男性歌手で「男らしい歌」を唄うのはなめらかネームの方が多く、リターンネームの特性的には真逆なのですが、実はこの方非常にシャイな性格で、あまり前に出たがりません。

だからジャニーズのトップと言われながらも、一昨年亡くなられたジャニー喜多川(きたがわ)さんのお別れの会で久し振りに姿を見た、という方も多いのではないでしょうか?

リターンネームはプロデューサー向き(自分は一歩下がって他の人を前に出すタイプ)でもある様に、目立ちたがりではない方が多いんですね。

余談ですが田原俊彦さんの愛称は“トシちゃん”でした。後輩が呼ぶ時に“トシちゃんさん”は変ですし“トシさん”も違和感があります。だから後輩からは慕われにくかったのでしょうか。もちろん性格の問題もあったでしょうが、その点については触れずにおきましょう。

 

アイドルとして出す曲出す曲ベストテン入りしていた80年代から、90年代に入ると人気も落ち着いてシングルのリリース間隔も空き始め、一線を遠ざかったかに見えた96年、ジャニーズの後輩堂本光一(どうもとこういち)さん主演のドラマ「銀狼怪奇ファイル」の主題歌ミッドナイト・シャッフルを担当して久々のヒットを飛ばしました。

当時SMAPKinki Kidsのファンだった若い世代からも「渋くてカッコいい」大人の男性として注目され、再び人気を集めたのです。

母音ではなく文字で見ると(んどうまさひ)と、「こ」という字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。(斜体文字が加筆した部分です) 

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当時既に一般女性と結婚した後でしたが、この“ワンモアネーム”は小泉今日子(いずみきょう)さんなどの様に結婚後も人気が持続する傾向があるようです。

レーサーとしての顔も持つなど、正に“ワンモア”な活躍と言えるでしょう。

 

俳優運の強いなめらかネームなら木村拓哉(きむらたくや)さんの様に俳優で大成していたかも知れませんが、シャイな性格もあってかドラマや映画の出演は多くありません。

新曲のリリースもここ10年で5曲程と少なくなっていて、皮肉にもデビュー40周年を迎えた昨年末、不倫報道により無期限の芸能活動自粛処分となってしまいました。

40年もジャニーズのトップとして走り続けてきたのでもう充分かとも思いますが、再び返り咲く事はあるんでしょうか。

 

この様に芸能人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。

 

高島忠夫さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第90回)※2021.3.12改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第90回目の今日は高島忠夫さんです。

本名は“島”の字が“嶋”です。

 

ローマ字で書くとTAKASHIMA  TADAOとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

 

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。

“なめらかネーム”の特徴は、まず俳優業に強いという事です。 

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高島忠夫さんは21歳で芸能界入りし、1950年代から60年代のまだ映画が娯楽の王道だった時代に俳優として大活躍しました。「坊ちゃんシリーズ」と呼ばれた一連の作品は好評を博し、「キングコング対ゴジラ」などのゴジラシリーズに代表される東宝特撮映画にも出演して注目を集めました。

70年代に入りカラーテレビが普及し始めると今度はテレビを中心に、特に司会業に力を入れる様になります。

なめらかネームは司会者運も強い名前なのです。

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女優の寿美花代(すみはなよ)さんとの夫婦で司会を務めた料理番組「ごちそうさま」や、「クイズ・ドレミファドン!」などで持ち前の明るいキャラクターを活かし、アットホームな雰囲気を作り上げていました。

そして80年代後半になると次男の髙嶋政宏(まさひろ)さんに続いて三男の高嶋政伸(まさのぶ)さんも俳優としてデビュー、2人ともなめらかネームだったせいかたちまち大人気となり、一家4人で出演した番組が高視聴率を獲得するなど、芸能人一家の代表的存在になりました。

 

母音ではなく文字で見ると“たか”が入る“たかたかネーム”なのでリスペクトされる性質があり、また(かしまただお)と3文字目に濁点がつくものの、「た」が3つ入る“3文字ネーム”なので非常に覚えやすいという性質もあるのです。

(斜体文字が加筆した部分です)

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◉「イエーッ!」を広めた?人

 

いつからだったでしょう?こんなに日本人がイエーイエー言うようになったのは。

若い人だけかと思っていたら、最近はオジさんオバさんまで言うようになりました。

(イエーイエー言い出した世代がオジさんオバさんになったのか・・・)

私の記憶が正しければ、それは丁度元号が平成に代わった頃からで、少なくとも昭和の内は

下手に「イエーッ!」などと言おうものなら「アメリカ人じゃあるまいし。」みたいな冷ややかな目で見られていたのです。だから日本人でイエーイエー言う人はほとんどいませんでした。

ただ1人を除いては・・・。

 

高島忠夫さんは「クイズ・ドレミファドン!」のオープニングで、いつからか毎週の様に「イエーッ!」と言う様になりました。

しかしはっきり言って“浮いていた”のです。

あまりに浮いていたので面白くなり、関根勤(せきねつとむ)さんがモノマネで

「イエーッ!高島忠夫です。」と取り入れる程でした。

浮いていたのは何故かと言うと、まだ昭和だったので日本人でイエーイエー言う人がほとんどいなかったからなのです。

それでも高島忠夫さんは言い続けました。例えモノマネされて笑い者にされようとも、いつか日本でも広まるだろうと信じて。

その結果(かどうか厳密には分かりませんが)今や老若男女を問わず、日本人の誰もが臆面もなく「イエーッ」と言う様になったのです。

皆さん、特にそこの普段からイエーイエー言っているお調子者のあなた!あと「イエーッ!」をギャグにしている芸人さん!今そうやってイエーイエー言えるのは高島忠夫さんのお陰なのですよ。天国に向かって感謝しなさい。

 

1998年に重度のうつ病と診断されてテレビの一線からは遠ざかり、療養・復帰を繰り返していましたが、2019年、老衰により88歳でこの世を去りました。

しかしその血筋は息子の政宏さん(最近おかしな発言が多いので心配ですが)や政伸さん、更には姪にあたる高嶋ちさ子さん(この方は元々発言が心配ですが)などに受け継がれています。

あなたの笑顔は忘れません、どうか安らかに眠って下さい。

天国に向かって合掌。(イエーッ!)

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

関口宏さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第89回)※2021.3.11改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第89回目の今日は関口宏さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとSEKIGUCHI  HIROSHIとなり、

苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「イ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事から“なめらかネーム”と呼びます。 

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関口宏さんは俳優・佐野周二(さのしゅうじ)さんの長男として生まれ、20歳で芸能界に入りました。

(ちなみに弟の佐野守(まもる)さんは元俳優、奥さんは歌手の西田佐知子(にしださちこ)さん、息子さんは俳優の関口知宏(ともひろ)さん、と芸能一家なのです。)

 

俳優としてデビューしたものの脇役が多く、これと言った代表作もありませんでしたが、この方の場合その分の運が司会業で花開きます。

27歳で「スター千一夜」の司会を初めて務めるのですが、この番組は“千一夜”の文字通り毎晩の様に放送される、今では考えられない夜の帯番組だったのです。

司会も何人かが日替わりで担当し、また俳優を起用するという特徴もあった為、

石坂浩二(いしざかこうじ)さんや田宮二郎(たみやじろう)さん、女性では吉永小百合(よしながさゆり)さんが担当した回もあったそうですが、1番長期間に渡って定期的に担当したのが関口宏さんでした。

 

◉司会者を演じていた?

 

そうして世間に司会者としてのイメージが付き、

クイズ100人に聞きました」の司会を務めると、その後も

わくわく動物ランド」「サンデーモーニング」「東京フレンドパーク

知ってるつもり?!」「どっちの料理ショー」「テレビあっとランダム」

など、数々の名番組を担当し“視聴率男”とも呼ばれました。

 

これらの番組のうちどれか1つは見た事ある方が多いと思いますが、意外と関口宏さん自体の印象は薄いかも知れません。

というのも、あまり感情の起伏を表さず、穏やかな表情で出演者を見守る様な司会ぶりだったからです。そう、まるで司会者の役を演じていたかの様な・・・。

ゲストを引き立たせる為、司会者は目立ち過ぎてはいけないという哲学があった様にも思えます。それはきっと俳優時代から脇役が多かった為に培われた、主役以上に目立ってはいけないという精神の現れだったのでしょう。

母音ではなく文字で見ると(ちひろし)と、「き」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。

自分への厳しさで自分を戒めていたんでしょうね。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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なめらかネームは俳優運も司会者運もある名前ですが、この方は司会者運が先に発揮されたのではないかと思えます。

 

ミュージックステーションの初代司会者

 

1986年から現在まで継続し、音楽番組では「MUSIC FAIR」に次ぐ老舗となった「ミュージックステーション」ですが、ずっとタモリさんが司会だと思っていませんか?

実はタモリさんは2代目で、初代は関口宏さんだったのです。

最初の半年だけだったせいか、いっそ無かった事にしてしまえとばかりに「◯◯周年」「◯◯回記念」などのメモリアル特番で第1回のVTRが流れても、関口宏さんの出演シーンは使われません。

まるで黒歴史か(もっと悪く言うと犯罪者)の様な扱いですが、丁度その頃からタモリさんやビートたけしさんなどのお笑いタレントが司会を務める番組が多くなったので、その過渡期だったんですね。

ちなみに「TVタックル」も開始当初は関口宏さんとたけしさんのW司会でした。

 

現在は日曜朝の「サンデーモーニング」で落ち着いた司会ぶりを見せています。視聴者も(特に高齢の方は)安心するんじゃないでしょうかね。そして今でも自分は目立たず周りを立てるという基本精神は変わっていない様です。だから張本勲(はりもといさお)さんの「喝!」も引き立つんでしょう。司会者のスタイルも様々ですが、本来のあるべき形はこうなんじゃないか、とも思わされるのです。

 

この様に芸能人のお名前を母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。