矢名樹ヒロタカの「お名前だけお借りします。」

有名人のお名前を「名前の法則」に基づき紹介、分析していきます。

五輪真弓さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第214回)※2020年9月16日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第214回目の今日は五輪真弓さんです。

このお名前は本名です。

(結婚後は姓が鈴木になりましたが、旧姓のまま活動しています。)

ローマ字で書くと ITSUWA MAYUMとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

また、フルネームの最初と最後の母音が同じ「イ」である事もよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味でリターンネームと呼びます。

つまり五輪真弓さんは、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。

このタイプのお名前を、同じ母音のペアが2つ出来る事からツーペアネームと呼びます。

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まず“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合歌手業に強いという事です。 

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

音楽好きな両親の影響で若い頃からバイオリンやギターなどの楽器にも慣れ親しんでいた五輪真弓さんは、高校時代に同級生と2人でフォークデュオを結成し、アマチュアながらテレビ番組に出演するなど、音楽とは切っても切れない生活を送っていました。

高校卒業時にデュオは解散したものの、20歳の頃にラジオのオーディション番組に合格すると、レコード会社から高い評価を受けて1972年にシングルとアルバムの同時デビュー、しかも海外レコーディングのおまけ付きだったのです。

実力よりもルックスやキャラクターが重視される日本の歌謡界ではなかなかヒットに繋がらなかったものの、75年に発売した4枚目のアルバムがフランスで絶賛されて、五輪真弓さんはフランスへ渡り5枚目となるアルバム「えとらんぜ」を全編フランス語で録音したのです。また、在仏中にはサルヴァトーレ・アダモのコンサートにもゲストとして招待されました。

日本に帰国後は徐々にテレビ出演も重ね、実に13枚目となったシングル「さよならだけは言わないで」が注目され「ザ・ベストテン」のスポット・ライトのコーナーにも出演しました。

そして80年「恋人よ」の大ヒットに繋がり、あらゆる歌番組で歌唱した事で顔も広く知られる様になります。

ただ、その顔があるアニメのキャラクターに似ていると評判が立ち、大人の恋愛を唄った「恋人よ」の歌詞の意味もおそらく理解出来ないであろう小中学生の知名度も上がっていきました。

 

はい、もう皆さんお分かりですね。

それは「妖怪人間ベム」に登場する“ベラ”でした。

 

名前とは関係ない話なのでこの記事に載せるかどうかも迷いましたが、やはり避けては通れませんでした。だって今だに五輪真弓さんの名前で検索すると“ベラ”の2文字が付随してきますし、皆さんも今日のタイトルを見た時点でいつ出るか、いつ出るかと思ってたんじゃないですか?

「恋人よ」がヒットした頃は折しも漫才ブームの最中だった為、当時大人気だったザ・ぼんちが漫才の中で、

「お前が五輪真弓さんの事をベラに似てるって言うたんやないか!」

『俺そんな事言うてないよ!』

「言うてたやないか、ベラベラと・・・」

『ベラベラ!?』

などといった具合に格好のネタにされていました。

まぁそんなお陰で知名度もより高くなっていったので、悪い事ばかりではなかった筈です。

無理やり名前の話に繋げるとすると、なめらかネームは“身体で稼ぐ”タイプなのです。顔も体の一部と考えると、なめらかネームの特性が働いたとも言えますね。 

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ツーペアネームはなめらかネームとリターンネームの特性を合わせ持つタイプなので、福山雅治さんの様に俳優業向きと歌手業向きの両方の特性を発揮する方もいますが、どちらかに偏る方もいます。

五輪真弓さんの場合は歌手業1本に絞った為リターンネームに偏ったと考えられますが、本人も思わぬ形でなめらかネームの特性も発揮されていたのでしょう。

ただ「恋人よ」がヒットしていた頃はテレビにバンバン出演していたのに、それ以降あまり出演しなくなったのは“ベラ”と呼ばれてからかわれる事を気にしていたんでしょうかね。

 

顔いじりはこれぐらいにして歌の話に戻しましょう。

「恋人よ」のみならず、82年発売のアルバムに収録された「心の友」という歌が東南アジア諸国で人気となり、インドネシアでは“第二の国歌”と呼ばれるほど大ヒットしたそうです。

リターンネームは海外進出運もある名前です。他にも香港スタジアムで日本人初のワンマンコンサートを開催するなど、フランスに渡った時もそうでしたが海外でより高い評価を受ける方なのですね。日本人が世界に誇れる歌手の1人でもあるのです。

実力が物を言う海外での評価が高い方なので、日本でもアーティスト志向が強くなった90年代後半ごろに登場していたら、もう少し評価も変わっていた(ベラなんて呼ばれて馬鹿にされる事もなかった)のかも知れません。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

小林明子さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第213回)※2020年9月15日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第213回目の今日は小林明子さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとKOBAYASHI AKIKO となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。 

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

また、歌詞の内容的にも“女性らしい”歌や恋愛がテーマの歌を唄うのに適しています。

 

母音ではなく文字で見ると(ばやしあき)と、「こ」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。 

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この“ワンモアネーム”はグループでも成功してソロ歌手としても成功する方が多いので、始めからソロの場合も“ワンモア”な活躍をされる可能性が高いのです。

 

東京出身の小林明子さんは、学習院大学時代に軽音楽同好会に所属していました。主にキーボードを担当してハードロックを演奏していたそうです。

大学卒業後は音楽制作会社に勤め、作曲家としての活動をしていましたが、ある曲を提供した歌手が引退してしまうというハプニングが起こります。

それを偶然聞きつけたドラマ関係者が作詞家の湯川(ゆかわ)れい子さんに詞を依頼し、さぁ誰に唄わせようかとなった時、デモテープの声が良いという話になって、作曲者の小林明子さんに白羽の矢が立ちました。26歳で思わぬ形での歌手デビューとなります。

プロも認める程の美声を持ちながら作曲家として活動していた所にも、リターンネームの女性の奥ゆかしさが感じられるじゃありませんか。

下の名前には(あこ)と、「き」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。 

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このタイプは自分に厳しくなる方が多いので、自身に対する評価も厳しかったのでしょう。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

そしてそのデビュー曲こそドラマ「金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて」の主題歌、「恋におちて−Fall in love−」だったのです。

不倫をテーマにしたドラマの主題歌という事で歌詞にも「ダイヤル回して手をとめた」(1985年のドラマなので、まだダイヤル式の電話があった)などと、許されぬ関係ならではのシチュエーションが描かれ、ドラマとの相乗効果で歌も大ヒットしました。

歌手を目指していた訳でもなく、引退した歌手の代わりに唄ったらいきなりの大ヒット。正にリターンネームのヒット曲運が作用した瞬間です。

この歌のヒットで本格的に歌手活動を続けると共に、作曲家としても多くの女性歌手からのオファーが殺到しました。

また、他のアーティストの為に来日していたオランダの音楽出版社社長に気に入られて、ヨーロッパでも再編集したシングルが発売されたり、この歌を収録したアルバムが香港でも発売されて5万枚のヒットを記録するなど、海外でも知られる1曲となったのです。

リターンネームの特性を活かしきっていると言えますがそれだけではありません。

1992年からはイギリスに拠点を移し、holiというアーティスト名で海外デビューも果たしているのです。

よく昭和のヒット曲を振り返る歌番組などで、小林明子さんが海外からの衛星中継で出演していたのを見た覚えがないですか?そう、それはイギリスでも歌手として活動していたからなのです。

リターンネームは海外進出運もある名前です。日本で大ヒット曲を残し海外でもデビューする、正にワンモアな活躍ではありませんか。

まぁ日本人アーティストが海外に進出して大成功したという例は少なく、小林明子さんも日本に届く程の反響は無かった事からも、決して大成功ではなかったかも知れませんが、海外でもデビュー出来たのは音楽性を認められたという事ですから、それだけでも立派な事だと思います。

なお“holiというアーティスト名の由来についての詳細は分かっていません。Akiko Kobayashiでもよかったんじゃないかと思います。私に言わせれば、ですけど。

 

しばらくイギリスと日本を往復しながらの活動を続けていた様ですが、ここ数年は目立った活躍が見られません。それでも「恋におちて」という大ヒット曲があるので日本の歌謡史に名を残しているのですね。

ヒット曲やドラマを回顧する番組だけでなく、電話がダイヤル式だった時代を象徴する歌としても度々取り上げられ、その都度思い出されるという幸運な歌です。

そんな歌にめぐり会えたのも、リターンネームのヒット曲運の強さと言えるでしょう。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

岡村孝子さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第212回)※2020年9月14日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第212回目の今日は岡村孝子さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとOKAMURA TAKAKOとなり、苗字の最後と下の名前の最初の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、苗字と下の名前のつながりがなめらかで言いやすい事からなめらかネームと呼びます。

また、フルネームの最初と最後の母音が同じ「オ」である事もよくわかります。

この様なお名前を、最初の母音に戻るという意味でリターンネームと呼びます。

つまり岡村孝子さんは、なめらかネームとリターンネームの両方に該当します。

このタイプのお名前を、同じ母音のペアが2つ出来る事からツーペアネームと呼びます。

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まず“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合歌手業に強いという事です。 

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

 

高校卒業後に一浪して入った名古屋の椙山女学園大学で、現役入学の加藤晴子(かとうはるこ)さんと知り合い、音楽を通して意気投合した2人はフォークデュオあみんを結成します。

このあみんという名前は、さだまさしさんのアルバム収録曲の歌詞に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から取ったものだそうで、2人がいかにフォークソング好きだったかが伺えます。

あみんの2人は70年代から80年代半ばに開催され、中島みゆきさんや世良公則&ツイスト、クリスタルキングなどもグランプリを受賞し、スターへの登竜門となっていたヤマハポピュラーソングコンテストに参加しました。

1度目の出場では地区大会の優秀曲賞止まりだったものの、2度目の出場となった1982年「待つわ」で見事全国大会のグランプリを受賞し、同曲でレコードデビューします。

すると7月25日の発売ながら82年唯一のミリオンセラーを記録するほど爆発的なヒットとなり、暮れの「紅白歌合戦」にも出場するなど一気にスターダムを駆け上がっていきました。

ただ、デビュー曲が売れすぎるとどうしてもそのイメージが付いてしまい、2曲目以降極端に売れ行きが下がる傾向があります。

あみんもその類に違わず、「待つわ」の後が続かなかった事と、加藤晴子さんが「芸能界は私がいるべき所ではない」と感じ、学業に専念したいという意志を岡村孝子さんが尊重して、デビューから僅か1年半程で活動休止となりました。

 

ここで加藤晴子さんのお名前も見てみましょう。

ローマ字で書くとKATO  HARUKOとなり、

苗字の最後の文字「と」と、下の名前の最初の文字「は」

フルネームの最初の文字「か」と、最後の文字「こ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事からノーペアネームと呼びます。

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ノーペアネームは芸能活動が不安定になりがちで、特に強いと言えるジャンルも少ないのでかなり苦労します。

「芸能界は私がいるべき所ではない」と感じたのも、不適合さを察知したからではないでしょうか。

あと、あみんという名前も最初と最後の母音が違う“ノーリターンネーム”なので、グループの存続期間が短くなったと考えられます。

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加藤晴子さんが辞めた後、レコード会社から他の人とあみんを続けるよう薦められた岡村孝子さんでしたが、彼女以外とあみんを組む気はないと断り、大学を中退して上京後、85年にソロ歌手として再スタートを切りました。

“ツーペアネーム”はなめらかネームとリターンネームの特性を合わせ持つタイプなので、福山雅治さんの様に俳優業向きと歌手業向きの両方の特性を発揮する方もいますが、どちらかに偏る方もいます。

岡村孝子さんの場合は歌手業1本に絞った為リターンネームに偏ったと考えられ、ソロ歌手として再デビューした時も、テレビの歌番組に出演するなどの大々的なキャンペーンは行いませんでした。

その為あみんの時の様なデビューしていきなりのヒットとはなりませんでしたが、5枚目のシングル「夢をあきらめないで」がロング・ヒットとなって評価が高まり、アルバムが5作連続で1位を記録するほどの人気シンガー・ソングライターとなりました。

岡村孝子さんのお名前を母音ではなく文字で見ると(おむらたこ)と、「か」の字が2つ入る“ワンモアネーム”になります。

この“ワンモアネーム”は、グループで成功してソロ歌手としても成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いのです。 

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ちなみに加藤晴子(かとうはるこ)さんはワンモアネームではありません。

 

“リターンネーム”の女性歌手は恋愛の歌や、スローテンポの優しい曲調を唄うのに適しています。岡村孝子さんは正にそれに当てはまる曲が多い印象ですが、恋愛からはテーマが逸れる「夢をあきらめないで」が代表曲となっている点は、“なめらかネーム”の「恋愛以外の歌に向いている」性質が、周囲の評価により発揮されたからではないかと思われます。

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ただ内面的には先述の通りリターンネームに偏ったせいか、昨日紹介した竹内(たけうち)まりやさん同様テレビに出演する事はほとんどありません。

リターンネームの女性(特に、音楽や芸術などで自分を表現出来る方)は奥ゆかしい方が多いのです。

2005年にNHKの歌番組に出演したのも、あみんの名前の由来にする程の憧れだったさだまさしさんと共演出来るからという理由でした。それほどの付加価値がないと出演しない方なのです。

2007年にはあみんが活動を再開する事となり、25年振りに紅白歌合戦の舞台にも立ちました。「待つわ」の歌詞の様に本当にいつまでも待っていたファンもいたのでしょうね。無論大半は長過ぎて待てなかったでしょうけど。

 

2019年4月に白血病と診断され、入院の為長期休業となりました。9月には退院したものの、さい帯血移植後の完全寛解(目には見えなくても体内に白血病細胞が残っている)状態にあり、しばらくは薬の投与などの治療を続けなければならないそうです。

それでも昨年7月には約1年7ヶ月振りにリモートでバンドメンバーとセッションして唄った動画をYouTubeにアップしました。

その表情は活き活きとしていて、やはり唄う事が好きだという気持ちが伝わってくる様です。

 

そして先日放送された8時間の大型歌番組「THE MUSIC DAY」にトップバッターとして出演し、代表曲の「夢をあきらめないで」を披露して復帰後初のステージに立ちました。

つらい闘病生活を乗り越えてもう一度ステージに立つ気持ちになれたのは、愛娘から渡された音楽プレイヤーに「夢をあきらめないで」が入っていたからだそうです。

多くの人を励ましてきた歌に、今度はご自身が励まされたのですね。

(斜体文字が加筆した部分です)

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

竹内まりやさん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第211回)※2020年9月13日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第211回目の今日は竹内まりやさんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとTAKEUCHI MARIYA となり、フルネームの最初と最後の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”の芸能界での特徴は、女性の場合まず歌手業に強いという事です。 

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この記事でも紹介している様に「ヒット曲に恵まれる」方が多く、違うジャンルに進出しなくても、ほぼ歌手業だけで成功するという傾向があります。

母音ではなく文字で見ると(たけうちまりや)と、「たけ」が入る“たけ入りネーム”でもあります。

読みだけでなく漢字も「松竹梅」の“竹”なので、何処となく高級感が漂います。

(斜体文字が加筆した部分です)

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島根県出雲大社正門前に位置する老舗旅館「竹野屋旅館」の娘として生まれた竹内まりやさんは、高校生時代にアメリイリノイ州の「ロックフォールズ高等学校」で1年間の留学生活を経験し、その後は慶應義塾大学文学部へ進学して英米文学を専攻していました。

歌手を目指していた訳ではありませんでしたが、同大学の3年生だった杉真理(すぎまさみち)さんがリーダーを務めていたバンドサークルに、キーボードやバックコーラスとして参加する内に入れ込み過ぎて、1年目でフランス語の単位を落として留年が決定してしまいます。

しかしサークルでの活動を通じて業界人との繋がりが出来て、歌手にならないかと声を掛けられたのでした。

そして1978年、シングルとアルバムの同時発売でデビューしました。3枚目のシングル「SEPTEMBER」がロングヒット、更に4枚目の「不思議なピーチパイ」が化粧品のCMソングに使われた事で大ヒットし、「ザ・ベストテン」などの歌番組へも出演する様になります。

その頃山口百恵さんが引退し、松田聖子さんもまだデビューしたばかりで女性アイドル不在の時期と重なった為に、既に20代半ばだった竹内まりやさんまでアイドル的売り出し方をされてしまい、バラエティー番組やオールスター運動会などにも出演する羽目になってしまいました。

歌手なのに唄わせて貰えない仕事をする度に、「私は何をしているんだろう」と思い悩んでいたそうです。そんな悩みの相談に乗って貰っていたのが、レコーディングにアレンジャーとして参加していた山下達郎(やましたたつろう)さんでした。

要求される仕事と自分の理想とする活動とのギャップによるストレスと、過酷なスケジュールが祟って喉を痛めてしまい、入院して休業するまでに追い詰められてしまいました。

そして休業状態のまま82年に山下達郎さんと結婚し、以降は家庭に入って表舞台に姿を現さなくなりました。

そうです、リターンネームの女性(特に、音楽や芸術などで自分を表現出来る方)は奥ゆかしい方が多いのです。だからアイドル的売り出し方をされるのも苦痛だったのでしょう。

ライブ活動なども行わなくなった代わりに、そこからは作詞・作曲などの楽曲提供に力を入れる様になり、

河合奈保子(かわいなおこ)さんの「けんかをやめて」

薬師丸(やくしまる)ひろ子さんの「元気を出して」

中山美穂(なかやまみほ)さんの色・ホワイトブレンド

広末涼子(ひろすえりょうこ)さんの「MajiでKoiする5秒前」など、

数多くのヒット曲を生み出していきます。

また、歌手(シンガー)としても定期的にアルバムをリリースし、毎回の様に高い売り上げを記録しています。

従って活動拠点は長らく家庭とレコーディングスタジオのみだったと推測されますが、それが合っていたんでしょうね。

 

しばらくはミュージック・ビデオでしか姿を見せない状態が続きましたが、子育ても落ち着いた2000年代頃からはジョイント・ライブやゲスト出演などで、徐々に人前で唄う機会も多くなりました。

2014年には実に33年ぶりとなる全国ツアーを行い往年のファンを喜ばせると、85年に発表していた「プラスティック・ラブ(PLASTIC LOVE)が、2017年の後半に第三者の手によってYou Tubeで非公式に動画がアップロードされ、日本のシティー・ポップというジャンルが海外で再評価されていた影響もあり、主に海外で2400万回もの再生回数を記録しました。この人気を受けて公式にミュージック・ビデオが制作されたのです。

どこまでもヒット曲運の強い方なのですね。

 

そして2019年、キャリア42年目にして初めて「紅白歌合戦」に特別枠で出場し「いのちの歌」を披露すると、翌年1月1日に発売したこの曲がオリコン週間ランキングで1位となり、64歳10ヶ月の歴代最年長記録を打ち立てました。

まだまだ夫婦ともども、現役で素晴らしい歌を聴かせてくれそうです。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧下さい。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

竹野内豊さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第210回)※2020年9月10日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第210回目の今日は竹野内豊さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとTAKENOUCHI  YUTAKAとなり、

フルネームの最初と最後の母音が同じ「ア」である事がよくわかります。

この様なお名前を「名前の法則」の世界では、最初の母音に戻るという意味で“リターンネーム”と呼びます。

“リターンネーム”の男性は、アイドル的人気を得られる可能性が高いのです。

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また、苗字だけで TAKENOUCH と、A・I・U・E・O 5つの母音が全て入っています。

このタイプの名前を、トランプのポーカー最強の役「ロイヤルストレートフラッシュ」に掛けてロイヤルネームと呼びます。

“ロイヤルネーム”は芸能界でのジャンルに関係なく、「何をやっても上手くいく」のではないかと思えるほど運の強い名前です。 

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竹野内豊さんは“リターンネーム” の“ロイヤルネーム”と、良い名前の条件が重なっているのです。

しかしこの方の名前の良い所はそれだけではありません。

母音ではなく文字で見ると、まず苗字の(たけのうち)に「たけ」が入る“たけ入りネーム”です。

読みだけでなく漢字も「松竹梅」の“竹”なので、何処となく高級感が漂います。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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また、苗字の最後が「ち」で下の名前の最初が「ゆ」なので、「ゆ」を小さくすると「ち」とくっ付いて「ちゅ」という拗音(ようおん)になります。

この様なお名前を苗字と下の名前がくっ付きやすい事から“ジョイントネーム”と呼びます。

名前の言いやすさでは“なめらかネーム”と同等かそれ以上の効果があると思われます。 

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そして下の名前が(たか)と、「ゆ」の字が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。

名前に「ゆう」または「ゆ」が入る方は俳優業で成功する方が多いのです。 

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更に下の名前には(ゆたか)と、「たか」という音が入る“たかたかネーム”でもあります。

名前に「たか」が入る方は芸能人の中でも特にリスペクトされる方が多いのです。 

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その上最後の文字が(ゆた)と、「か」の字が入る“お・か・きネーム”でもあります。

このタイプは自分に厳しくなるという特徴があります。 

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最後にフルネームで見ると(けのうちゆか)と、「た」の字が2つ入る“ワンモアネーム”でもあります。

この“ワンモアネーム”はグループでも成功してソロでも成功するという“ワンモア”な活躍をされる方が多いので、俳優など他のジャンルの場合も、栄光を何度も手に入れる力があると思われます。 

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名前の良い部分を紹介するだけで記事の半分を費やしてしまいそうですが、竹野内豊さんのお名前はリターンネームでロイヤルネームな上に、文字のオプションでいくつも利点を稼いでいる(マルゲリータのクアトロピザに好みのトッピングを載せて仕上げた様な)ゴージャスでプレミアムな、とにかく良い名前なのです。

※( )内の表現は何でも構いません。もっと良い表現があれば自由に差し替えて下さい。

 

芸能界へ入ったきっかけは高校生の頃、お母さんとお姉さんがファッション誌のモデルに履歴書を勝手に応募した事でした。

自分から進んで、ではなく家族からの推しで芸能界入りしたという点が“リターンネーム”の奥ゆかしい所です。

1994年、順調だったモデルの仕事から23歳で俳優に転身し、ドラマ「ボクの就職」でデビューしました。

モデルだけで終わらず別の道に進む所に“ワンモアネーム”の特性が、そして今度は誰に薦められた訳でもなく、自ら俳優業を選ぶ所に“ゆうゆうネーム”の性質が出たのでしょう。

翌95年には「星の金貨」、更に96年には「ロングバケーション」と、高視聴率のドラマに立て続けに出演した事で知名度が一気に上がっていきます。

そして97年、「ビーチボーイズ」で反町隆史(そりまちたかし)さんとのW主演で注目を集め、イケメン俳優としてブレイクしたのです。

“ロイヤルネーム”はとにかくモテる名前です。

竹野内さんは好きな俳優ランキングや抱かれたい男ランキングでもよく名前が上がりますね。若い頃から今でもそれは変わりません。ヒゲをはやしても「カッコいい!」となるんです。

2001年には「冷静と情熱のあいだ」で映画初出演にして主演を果たし、アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。「ビーチボーイズ」の様な軟派なドラマでブレイクしたのにも関わらず、しっかりとした演技の出来る俳優として認められたのです。“たかたかネーム”のリスペクトされる性質が生きたのでしょう。

 

また2017年には「この声をきみに」でNHKのドラマに初主演しました。オファーされた理由は「声が良いから」だったそうです。

“リターンネーム”は声が良くなる性質もある様なんです。

中尾彬(なかおあきら)さんや平泉成(ひらいずみせい)さんの様な渋い声とされるベテラン俳優から、石坂浩二(いしざかこうじ)さんや森本(もりもと)レオさんの様なナレーターとしても活躍している俳優まで、皆さんリターンネームなのです。

あれだけのイケメンで声も良いと言われてドラマのオファーが来るなんて、正に“ロイヤルネーム”の「何をやっても上手くいく」特性が出ていると思われます。

 

以上、ほぼ名前の特性や利点を紹介しただけでも、1回の記事として充分な文字数になる程の良い名前でした。

いつもに比べて経歴に関する内容が少ないのも、現在50歳でこれからも活躍されると思われ、確定していない要素があるからです。

今春の“月9”ドラマ「イチケイのカラス」に主演し、視聴率は全話2桁を記録しました。

まだまだこれから飛躍していくでしょう。これだけ良い名前ですから、何をやっても上手くいきますよ。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

香川照之さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第209回)※2020年9月9日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第209回目の今日は香川照之さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとKAGAWA TERUYUKIとなり、

苗字の最後の文字「わ」と、下の名前の最初の文字「て」

フルネームの最初の文字「か」と、最後の文字「き」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事から“ノーペアネーム”と呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちな名前です。 

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しかし母音ではなく文字で見ると(がわてるゆ)と、「か」と「き」の字が入る“お・か・きネーム”になります。

このタイプは自分に厳しくなるという特徴があります。

(斜体文字が加筆した部分です) 

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また、下の名前に「ゆ」の字が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。

名前に「ゆう」または「ゆ」が入る方は俳優業で成功する方が多いのです。 

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更に、2文字目に濁点が付くものの「か」という文字が2つ続く“連チャンネーム”でもあります。

このタイプは名前を覚えてもらいやすいという特徴があります。 

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歌舞伎俳優・三代目市川猿之助(いちかわえんのすけ)さんと元宝塚の女優・浜木綿子(はまゆうこ)さんとの間に生まれた香川照之さんでしたが、3歳の時に両親が離婚した為に父の後を継いで歌舞伎俳優になるつもりもなく、学生時代は自分への厳しさも手伝ってか東大に進学するほど学業に専念していたのです。

ただ特にやりたい事も無かった為に“親の七光り”を利用しない手はないと、大学卒業後に俳優の道へ進む決心をしました。

1989年大河ドラマ春日局」でデビューしたものの、やはり生半可な気持ちで始めた為か、両親のネームバリューと東大卒の経歴だけが注目され、主演作の「静かなるドン」シリーズもテレビではなくVシネマ作品と、やや不遇の時代を過ごします。

 

父・猿之助さんとは長い間確執が続いていましたが、2004年に香川照之さんの長男・政明(まさあき)さんが誕生した事を機に、猿之助さんの後妻で女優でもあった藤間紫(ふじまむらさき)さんの計らいで関係が修復し、2011年には九代目 市川中車(いちかわちゅうしゃ)を襲名して歌舞伎界にも進出しました。

(ちなみにこのお名前も同じ母音のペアが出来ない“ノーペアネーム”です。)

しかし九代目 市川中車を襲名したにも関わらず、テレビ出演時には“香川照之”を名乗っているのは不思議ですよね。

実は歌舞伎俳優は襲名制の為本名で活動する事は認められていないのですが、香川照之さんについては過去の経歴や事情、既に本名名義で活動していた期間が長いなどの理由から、特例によって引き続き香川照之の名で芸能活動を行う事が許されたのです。

この襲名によって再注目されたせいか、二足のわらじを履く事になった途端に俳優業の仕事が増え始めました。

それまでは作品に恵まれない感もあり、俳優として演技力を評価される事も少なかったのですが、その頃から映画「あしたのジョー」や「カイジ/カイジ2」、「るろうに剣心」など漫画原作の話題作への出演が増えていきました。

現実世界のドラマに持ち込むとオーバーに見えて浮いてしまいがちな歌舞伎流の演技が、漫画原作の作品世界観にはうまく溶け込み、違和感なく馴染んだからでしょう。

 

そして2013年、そんな歌舞伎流のオーバーな演技が求められたのか「半沢直樹」の大和田常務役に選ばれ、ドラマが驚異的な視聴率を叩き出すと共に、俳優としてかなり遅咲きのブレイクを果たしたのです。

するとCMの出演も多くなり、「キンチョール」や「トヨタ自動車」、「おとなの自動車保険」などに起用される様になりました。

ノーペアネームは俳優運・歌手運は弱くともCM運は強い名前なのです。

 

また、NHKEテレでは昆虫に対する博学な知識を活かし、「香川照之の昆虫すごいぜ!」という教育番組を担当、着ぐるみを被り“カマキリ先生”を熱演(?)しています。

何でも「俳優生活でやっと本当にやりたかった仕事が出来た!」そうで、ドラマや歌舞伎とは全く違う活き活きとした動きを見せています。やりたい事が見つかって良かったですね。

 

2020年放送の「半沢直樹(第2シーズン)」でも同じ役で続投し、またもオーバーな演技が話題を呼びました。

歌舞伎界で由緒ある名前を汚すつもりはありませんが、“市川中車”という名前は法則的に良い点がありません。

やはり本名の“香川照之”という名前で俳優活動を続けた事が良かったのだと思います。

 

少し気の早い話ですが、TBS系で10月スタート予定の情報番組「THE TIME,」の金曜日の司会を担当する事が決まったそうです。

ノーペアネームは本業以外に進出する傾向があるとは言え、俳優・歌舞伎役者・CMタレント・昆虫博士・司会者と、もうどれが本業かわからなくなりそうです。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

ではまた次回をお楽しみに。

 

織田裕二さん(2回目)【お名前診断】[母音占い]

勝手にお名前診断 (第208回)※2020年9月8日の記事を改訂

 

この「勝手にお名前診断」では、有名人をお一人ずつ紹介すると共に「名前の法則」的見地から、芸能界のどのジャンルに向いているかなどの適性を診断していこうと思います。

 

第208回目の今日は織田裕二さんです。

このお名前は本名です。

 

ローマ字で書くとODA  YUJIとなり、

苗字の最後の文字「だ」と、下の名前の最初の文字「ゆ」

フルネームの最初の文字「お」と、最後の文字「じ」の母音が違います。

この様なお名前を同じ母音のペアが出来ない事からノーペアネームと呼びます。

“ノーペアネーム”は芸能活動が不安定になりがちな名前です。

しかし、下の名前に「ゆう」という音が入る“ゆうゆうネーム”でもあります。

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名前に「ゆう」または「ゆ」が入る方は俳優業で成功する方が多いのです。

「ゆう」は俳優の“優”と同じ音だからでしょうか。

 

中学から高校1年まで続けていたテニスを、膝を壊した為に断念した織田裕二さんは、高校時代にバンド活動もしていました。その時のバンド名「Deps」がファンクラブの名称になっているそうです。

卒業後は大学に進学しながらも俳優の道を目指し始めます。スポーツ、音楽、俳優と安定こそないものの、ここまでで既に後々の基礎となる要素は揃っていますね。

 

20歳の頃に映画「湘南爆走族」のオーディションに参加し、数万人の参加者の中から望んでいた役に選ばれ、主役の江口洋介(えぐちようすけ)さんと同時にデビューしました。

2年後の1989年、「彼女が水着にきがえたら」で原田知世(はらだともよ)さんの相手役を演じて注目されるようになりました。

ドラマでは「ママハハ・ブギ」や「予備校ブギ」に出演して知名度を上げていきます。

そして91年「東京ラブストーリー」で鈴木保奈美(すずきほなみ)さんの相手(カンチ)役を演じてドラマは大ヒットしました。

また学生時代の音楽活動も活きたのか、この年CMソングとして発表した「歌えなかったラブ・ソング」も50万枚を越えるヒットとなり、一気にブレイクしたのです。

更に「キターッ!」のセリフで有名な目薬のCMが流れ出したのもこの頃からで、後にモノマネや2ちゃんねるなどでも乱用される程の流行語になりました。

“ノーペアネーム”は俳優運・歌手運は弱くともCM運は強い名前なのです。 

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93年にも「振り返れば奴がいる」で石黒賢(いしぐろけん)さんとのW主演で大ヒットしましたが、ここまではまだ単独主演でのヒット作というのはないですね。これでは安定したとは言えません。

97年「踊る大捜査線」に主演しましたが開始当初は視聴率が奮わず、10%代を推移していました(テレビ全体の視聴率が低迷している現在なら10%代は万々歳ですが、当時のフジテレビ系のドラマでは低調の部類だったのです。)最終回でようやく20%を越えた事で劇場版の制作が決定し、公開までにレンタルビデオや再放送で評判が高まり、更にスペシャルドラマなども放送され、満を持しての公開により劇場版が大ヒットしました。

ドラマ主題歌だったLove Somebody織田裕二withマキシ・プリースト名義)もじわじわとヒットし、劇中のセリフ「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」も流行語となり、2003年には劇場版第2弾の「踊る大捜査線THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が公開され、実写邦画歴代興行収入第1位に輝く大ヒットとなりました。これはもう代表作と言っていいでしょう。

ただこの頃からなぜか「世界陸上」中継のメインキャスターも担当し、「地球に生まれて良かったー!」などの名言?を発して違う意味でも注目されました。

おそらく中学時代にスポーツ(テニス)をやっていた血が騒ぎ出してしまったのでしょう。これもある意味経験が活きたと言えます。

 

俳優としては映画の大ヒットで株が上がり過ぎた感もあり、期待値が上がってしまったせいか、少々の成功ではなかなか評価されにくくなってしまいました。

やはりノーペアネームは不安定になりがちなんですね。

また看板が大きくなった(ギャラも高くなった)為にテレビ局や映画会社も安々とは使いづらくなり、ヒットが約束された様な作品でないとなかなか起用出来ないのでしょう。

2018年放送の月9ドラマ「SUITS/スーツ」にも高視聴率を期待されて起用されました。今の時代に10%前後を推移し、シーズン2まで制作されたのは面目躍如といったところでしょう。(斜体文字が加筆した部分です)

一時期あまりにも華々しい活躍だっただけに最近は人気が下降した感は否めませんが、まだ53歳ですので終わった訳ではありません。これからの活躍に期待しましょう。

 

この様に有名人のお名前を画数ではなく母音や文字に注目して分析すると、名前のタイプによって芸能界のどのジャンルに向いているかが見えてくるのです。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらをご覧ください。

これからもいろんな芸能人の方を、名前の特性とともにご紹介していくつもりです。

 

 ではまた次回をお楽しみに。